彼は、手がきれいだと思うのだ。周りの女の子たちが騒ぐように顔ももちろん整っているがしかし、彼が魅力的たる所以はその手の美しさにあるのではなかろうか。男の子らしく少し大きいてのひら、しかしゴツゴツしすぎない甲、切り揃えられた爪。わたしの右斜め前の席に座る彼のその手は、授業中にぷかりと浮いたわたしの思考を攫って止まないのである。


「あいつに直接言ったらどうだ? 喜ぶと思うぞ」
「や、それはちょっと……」


 わたしのオカンこと三国に南沢への想いをつらつらと吐露した後の彼のセリフに、愕然とした。せっかくいい奴なのに、だからきっとモテないんだ。もうちょっとこう、デリカシーがあれば、わたしなんてすぐに落ちるのに。


「南沢よりよっぽど素敵なのに、三国ったら」
「俺がどうした」


 図書室前のベンチにて、ふたりして並んで腰掛けていたわたしたちは、話題の中心となっていた人物の突然の来訪に、肩を跳ねさせた。おそるおそる振り返れば、なんだか不満そうな表情を浮かべた彼が居る。


「誰が、誰より、素敵だって?」


 あのきれいな手が、わたしの頭をつかんで、髪をわしゃわしゃとかき乱す。一緒になって心も乱されているようだったのでその手を振り払った。


「そうやって乱暴するのよくないぞ!」
「なあにがないぞ、だ、お前がやったって可愛くもなんともねえよ」


 地味に傷ついたので黙ることにする。先ほどから空気と化していた三国が「そんなことないだろう南沢。みょうじは可愛い」と助け舟を出してくれたのでわたしは今後何かあったときには南沢よりも三国を取ることにした。今決めた。ありがとう三国。この恩は多分忘れない。


「……何、お前、こんなのが好みなの」


 じとり、意図的に低くされた声がわたしの耳を這う。なんだかいたたまれない。さすがの三国も口を閉ざしてしまって、わたしも何かをしゃべる余裕なんてなくて、背中をいやな汗がつたうのを感じながら、南沢の目を見つめていた。しかしそこを救うのが始業五分前を知らせるチャイムである。次は選択科目なのでわたしと三国と南沢はそれぞれ違う教室に行かねばならない。さらに言ってしまえば、南沢の授業は隣の棟で行われるので今すぐにでも走り出さなければきっと遅刻してしまう。内申をひどく気にかける彼のことだ、遅刻してまでこの会話を長引かせるつもりもないだろう。
 案の定、彼は眉をきゅっとひそめた後で、踵を返して駆け出した。ほっとするような、ちょっとがっかりするような。だって、あんなこと言われたら、誰だって期待するでしょう。





 とまあこんなことがあって、一週間経ったのが、今日という日である。心なしかふたりから距離を置かれているような気がしないでもない。南沢がわたしに冷たいのはいつものことだけれども、三国までもわたしを放っておくなんて、なんだか、なんだか寂しいぞ。一週間前のあの日のように図書室のベンチに腰掛けてみる。が、一緒に話す友人も居ないのにそんなことをしたって、楽しくもなんともない。仕方がないので長いあいだ借りっぱなしだった本を返す為に、図書室に足を踏み入れた。
 然るべき場所に本を三冊置いた後、帰宅部であるわたしは特にすることもないので本を物色することにした。お気に入りの作家の新作が入っていたり、小さい頃に読んだ絵本までもが置いてあったり、これが割に楽しいのである。飽きることなくそうして本を眺めていたら、「みょうじ」と、呼ぶ声が聞こえた。


「……南沢?」


 まさに、思わぬ人、だった。部活はどうしたのとか何か用でもあるのかしらとか色々考えるわたしを他所に、彼はわたしの腕を引いた。たたらを踏んで、ずいぶんと彼に近いところに引き寄せられて、内心どきどきしながら、「南沢?」と繰り返す。
 そうっと、手を伸ばされて、その指がわたしの頬をなぞった。ぞわぞわ、何かが背筋を駆け上がる。その手を止めるべく掴もうとするも、もう片方の手がわたしの腕を捉えて止めた。


「み、なみさ、わ」
「……」


 急に動きを止めたかと思えば、ぎゅうと両頬を掴まれた。たこのような口にさせられて、思わず悲鳴を上げる。


「あ、あだだだだ、ちょっと、なに!」
「図書室ではお静かに」
「意味がわからないよ!」


 解放された右腕でその憎らしい手を叩くと、思いのほか素直に手を下ろした。カウンターの奥の方向から司書さんの「こら、騒がない!」というお叱りが聞こえた。わたしは悪くない。悪くないけどごめんなさい。


「むかつくんだ」
「え」
「お前が」


 ずきん。
 胸が痛んだような気がして、口元が引きつった。南沢の顔が、見られない。気づかれないように目を伏せて、置き場のない視線を彼の黒色の靴下の先にやった。


「ずっと俺を見てたかと思えば、三国に気があるみてえな振りして、お前、わりとたぶらかす才能あるんじゃねえの?」


 彼の言葉が理解できなくて、一瞬悩む。もしかして、と思ったときには、彼はもう背中を向けていた。さっき叱られたばかりで大きな声で呼び止めることも出来ず、そこに立ち尽くすわたしである。




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