※来神時代


 いつになくぼんやりした頭で、登校中に昼ご飯として買っておいたあんぱんの袋を開ける。ほとんど条件反射のようなもので、午前の授業の終わりを告げるチャイムが鳴るのを聞いて、何も考えないままに屋上まで来てしまった。フェンスに背中を預け、空を見上げてため息を吐く。今日ばかりは、想いを寄せているみょうじなまえにも会いたくない。静雄はそう思いながら、あんぱんにかじりついた。


『シズちゃんってば知らないの? みょうじさんの好みって穏やかで優しくて物静かな人なんだってよ』


 昨日も昨日とて喧嘩をした。そのときの臨也のセリフが頭から離れない。何で手前がそんなこと知ってんだ、そんで何でわざわざ俺にそれを言うんだ、まさか俺がなまえを好きだって知ってんのか、まあこいつならあの手この手でそれぐらい知ってても可笑しかねえだろうが、兎に角腹が立つ。突然足を止めた臨也につられて静雄も足を止め、握りこぶしが怒りで震えるのを感じながら、やっとのことで口を開いた。


『だから何だってんだ』
『やー、シズちゃんの真反対の人間だよなって思っただけ。もしかしたら君のこと、嫌いなのかもしんないよ? でもみょうじさんは優しいから、シズちゃんを傷つけまいとしてっ』


 そこまでが限界だった。廊下に積み上げられていた椅子を手当たり次第に投げつけ、身軽にもそれをかわしていく臨也の様子に余計腹を立て、終いには使い物にならなくなって粗大ゴミにでも出す予定だったのだろうか、同じく廊下に放置されていたボロボロの電子オルガンを持ち上げ、……そこになまえが訪れたのだった。臨也は驚いたように目を見開き、それからにやりと笑った。静雄はというと、こちらもこちらで目を見開き、そうしてオルガンを元の場所に置いたかと思うと、くるりと踵を返したのだった。


 だから、その先なまえがどうしたのか静雄は知らなかった。臨也とふたりで談笑でもしたのか、したとすればその内容は何だろう、俺がいかに凶暴か、あのノミ蟲が語っていたり、ああ、考えただけで反吐が出る。それに、この気持ちは何だ。確かに、確かに俺はなまえのことが好きだ。だが俺はこんなに、何ていうんだ、乙女思考……っつーのか?じめじめしてるっつーかなんつーか、こんなに、女々しい考え方をする日がまさか俺に来るなんて、思ってもみなかった。口の中に広がる餡の甘さがなんだか虚しく感じられる。手元のコンビニの袋からストレートティーを取り出し、その甘さを消し去ろうと、流し込むようにして飲んだ。


「静雄ー、隣いーい?」


 聞こえてきた明るい声に驚いて顔を上げると、ちょうど後ろ手にドアを閉めながら、首を傾げて笑っているなまえが目に入った。断る訳にもいかず、無言で頷く。すると嬉しそうに駆けてきて、言葉通り、静雄の隣に腰掛けた。スカートが汚れるのも気にしないというのも、いかにも彼女らしくて、いい。その少年のような無邪気さに、静雄は惹かれたのである。


「なんか今日元気ないね、まー詮索はしないけどさ」
「……ありがとな」
「いーえ」


 購買にでも行ってきたのだろうか、その手には紙パック入りのいちごオレとチョコチップが散りばめられた菓子パンが握られている。袋を開けてパンを取り出そうとするなまえの横顔を見て、静雄は彼女の様子がいつもと違うことに気付いた。具体的に説明しろと言われると言葉に詰まるが、いつも見ているからこそ、もやっと感じる違和感。眉根を寄せたままずっと見つめている静雄に気づき、一瞬の後で、なまえは苦笑を漏らした。


「やっぱ静雄には隠せないね」
「あ、いや、その」
「わたし、今、変?」


 嘘をつくのが下手だというのは、静雄の長所でもあり短所でもあった。それを自らも認めていたので、無駄な足掻きはやめようと、静雄はおとなしく肯定した。なまえは「やっぱそっかー」と笑い、一口パンをかじった。咀嚼して飲み込んで、パックにストローを刺し、そこでまた口を開いた。


「折原が」


 静雄は思わずびくりと肩を揺らした。彼女もまたあいつに苦しめられているのかと思うと今にも臨也を探し出してフルボッコにしてやりたいと思ったが、その臨也の言葉が静雄を止める。

『みょうじさんの好みって穏やかで優しくて物静かな人なんだってよ』
 唇を噛み締めなければため息を量産してしまいそうだった。なまえの為だなんて理由をつけたって、俺が凶暴であることに変わりはない。ただ黙って愚痴を聞こう、今日は聞き役に徹するんだ、頑張らねば。
 なまえは唇を尖らせて、そしてほんのり頬を染めて、ちらりと静雄の方を見たかと思うと、小さな声で、「……みょうじさんって子供っぽいよね、って、言うから」と言った。


「静雄もそう思う?」
「子供っぽい、つーか、純粋なんだろ、お前は」
「それが子供っぽいんだって、折原が」


 ストローに口をつけて、半ばやけくそのように勢いよくいちごオレを吸い込んでいる。その姿がまた子供っぽいとは、思っても言えない。相手のことを好いていて、またその相手が子供っぽいのを気にしているのならなおさらだ。静雄は目を逸らしてティーの缶に口をつけた。


「そんな、気にすることでもねえって。それはお前のいいところだ」
「そう、かなあ」
「俺はそう思うぜ」


 素直な気持ちを伝えてやると、なまえは少しばかり顔を綻ばせた。なまえの笑顔が見たいというその一心で、静雄は言葉を続けた。


「そうやってクソ蟲の言葉を間に受けちまうってーのも、お前が純粋で、それに優しいっていう証拠だろ。あんな奴の言うことなんざいちいち気にしてたら身が持たねえって」
「でも」


 静雄の言葉を否定すると、なまえは眉をハの字にして、か細い声で言った。


「『シズちゃんは大人っぽい女性が好みなの、そんなのも知らずに仲良くしてたの?』って、言われ、て」


 思わずぽかんと口を開けた。思わぬところで同じ相手から似たような言葉によって苦しめられていたとは、流石の静雄でも予想だにしなかったことである。呆ける静雄には気づかぬまま、なまえは泣きそうになりながらしゃべり続ける。


「折原が、君みたいに子供っぽくて単純な奴、なるほどシズちゃんの好みからは程遠いよね、アイツってば変なところで気を遣うから、みょうじさんのこと無碍にできなくて悩んでるかもよって、言うから、わたし」
「いや、いやいやいや、それはお前」
「でも! イヤだったの、静雄とおしゃべりしたかったの、わたし、静雄が優しくておしゃべりに付き合ってくれるから、嬉しくて、だから、折原の言うとおりなら距離置いた方がいいかもとか思ったんだけど、でも、イヤだったの!」


 静雄が否定するのも聞かず、なまえは子供が泣き喚くような言い方で、爆弾を落とした。


「静雄とおしゃべりできないなんてイヤっ! ねえ、大人っぽくなんてなれないけど、わたし、隣に居たいの!」


 言うだけ言って、なまえは膝に顔を埋めてぐすぐす泣いている。かたや静雄はいまだ呆けていた。頭がこんがらがって整理に時間がかかっているのだ。まさか、俺も単純バカだったのではないか、もしかするとあのノミ蟲の戯言に踊らされていただけではないのか、と。


「なあなまえ」
「……なに」
「俺も、似たような感じなんだけど」


 理解出来ないとでも言うように、なまえは顔を上げて静雄を見つめた。その視線を受け止め、静雄も訥々と語りだす。


「お前が、優しくて穏やかで物静かな奴が好きだって、アイツから聞いてよ。俺はその正反対に居る人間だろ? だから、もしなまえが、俺に気を遣って仲良くしてくれてるんだったら、俺は、」


 そこで言葉を止めた。離れようと思った? それともなまえの言ったように、それでも構わず隣に居ようと思った? どちらにも当てはまらない気がして、次の言葉を思案しているうちに、なまえが声を上げた。


「ちがうよ」
「あ?」
「静雄はその正反対じゃないよ。優しいし、折原が絡まない限りは、穏やかで静かじゃない。まさしく『平和島静雄』って感じでさ」


 さっきまで泣いていたせいで赤らんだ目元が、今度は強い意思の光を持って、静雄を見ている。


「わたし、好きだよ」
「え」
「静雄の、優し、わぷっ」


 静雄は慌ててなまえの口を塞ぎ、自分の顔の熱くなるのを感じながら、意を決して言った。


「こういうのは、その、男から、だろ」
「……」


 こっくり頷いたなまえを見て、ゆっくり、ゆっくり、言葉を紡いだ。


「好きだ、なまえ、お前の、真っ直ぐで純粋で優しいところが。確かに好みのタイプを訊かれれば俺は年上って答える。でもな、タイプとかじゃなくて。俺が好きなのは、お前だ、なまえ」


「うーわー、ふったりともクッサい青春しちゃってさー。ここどこだか分かってんの? 学校だよ? 公共の場なんですけど。痛々しーい」


 なまえは見た、ぴきぴきと静雄の米神に血管の浮かぶのを。血の気が引くのを感じて、それと同時に臨也に対して計り知れない怒りを抱いた。いいとこだったのに、今すっごく、いいとこだったのに! 静雄が傍に置いてあったティーのボトルを投げつけるよりも早く、なまえが怒鳴り散らした。


「うるっさいこのゲス野郎!」
「……わお、予想外の展開」
「なまえ、なまえ、待て、落ち着け」


 突然立ち上がってつかつかと臨也に掴みかかり、その額に勢いよく頭突きをかますのを、静雄は黙って見ているしか出来なかった。まさか自分よりも短気な人間が居るなんてといささか呑気な驚きを胸に、女であるなまえと凶暴という訳でもない臨也の喧嘩なら、いざというときには俺が止めに入ればなまえが怪我をすることはないしと普段の彼からは考えられない思考のもとに、ことの成り行きを見守っていた。


「いっ、てえ! お前ほんとに女!? シズちゃんといい勝負じゃないのこの短気っぷりと凶暴っぷり」
「そこはお似合いって言ってよね、あんたの方が信じらんないわよあんな人を惑わすようなこと言ってくれちゃってさあ! 確かに物静かな人が好きだとは言ったけど喧嘩っぱやい人が嫌いだなんてひとっことも言ってません、つまり静雄がわたしの好みのタイプと正反対だなんてこじつけですう、あんたの早とちりですうー、ややこしいことしてくれやがってこの野郎喰らえ!」
「同じ手を喰らうかよ、バカじゃないの」


 なまえの二発目の頭突きをかわし、胸ぐらを掴む彼女の細い腕をくぐり抜けると、臨也はドアへと向かった。屋上を出る直前、ドアからひょいと顔を出すと、意地の悪い笑顔を浮かべて「単純バカ同士、確かにお似合いかもねー。ふたりがくっついたのは俺の貢献のお陰ってのもあるんだから、感謝してよね」とだけ言い残し、ばたんとドアを閉めた。静雄もなまえも、追いかけることはしなかった。臨也のセリフを反芻して、なるほど彼の言葉は一見ふたりの仲を拗れさせたように思えるが、このいざこざが無ければこうして思いを打ち明けることはなかった。感謝するのは何だか癪だしそれに彼の意図が分からないうちは感謝をするのも何か違うような気もするが、結果だけ見れば臨也がキューピッドの役割を果たしたようなものである。臨也とキューピッド、その組み合わせがあまりにもフィットしないので、ふたりして噴き出してしまった。また、同じものを想像したというのが嬉しくて、ふたりで笑い合う。
 人間離れした気の短さと力を持つ静雄と、純粋は純粋だが年頃の娘とは思えない無鉄砲な性格をしたなまえ。「普通」からは遠く離れたところに居るふたりが、あまりにも普通な幸せを感じて、もう午後の授業なんてさぼってしまえ、と、ふたりして思った。




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くっそ長いですねすみません




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