母親のように慈愛に満ちた眼差しで俺達を見守ってくれていた綿貫が、べっこり凹んでいる。理由は明らかだ。
 桐生の転校。
 あんな高飛車な奴でも話せるまともな人間だと俺達が気付けたのは、綿貫のお陰だ。桐生がどんなにひどく当たろうと、綿貫は決して桐生から離れなかった。傍から見れば異常と思えるほどに、いっそ執着にすら見えるほどに、綿貫は桐生によくしていた。最後の最後、やっと打ち解けて、溝を埋めていこうと歩み寄った矢先の、転校だった。親の仕事の都合で、海外に行くらしいと綿貫が語った。そのときの瞳に浮かんでいた涙が、俺には、忘れられない。





 強い日差しの下、休憩に入れとけたたましく響くホイッスル。心地よい疲労感を抱え、マネージャー達が渡してくれるボトルとタオルを受け取る。綿貫は人のよさげな笑顔を貼り付けて、豪炎寺にタオルを渡しているところだった。
 久遠監督はその冷静さ、監督能力、強い母性からくる面倒見のよさを買って、綿貫を日本代表チームのマネージャーとして引き抜いた。いつの間にそんな面を発見したのか。俺達ですら気付かなかった長所をあげては綿貫を戸惑わせ、ついにはあれほどまで渋っていた綿貫の首を縦に振らせたのだ。もしかしたら押しに弱いところも知ってのことだったかもしれない。


「わたしでよければ」


 綿貫は、小さな声でそう言った。目を伏せた彼女をじっと見据え、監督は低い声で「ああ、宜しく頼む」と。果たして監督は、かみ締められた綿貫の下唇の白さに、気付いていたのだろうか。





「綿貫、顔色悪いぞ」


 夕食も済んで片付けも終えて静まり返った食堂で、綿貫はひとり端っこの席に腰掛けて頬杖をついていた。俺の方に視線だけ向けると、綿貫はにこりと微笑んだ。


「大丈夫」
「そうは見えないから言っているんだ。マネージャーが自己管理不十分なんて、笑えないだろう」
「体調は平気だよ」


 体調、「は」、か。なんとも分かりやすい、しかし聞き返しにくい回答だ。追求を諦め、代わりに言葉を投げかけて食堂を後にした。





「……仲間、か」


 風丸の言葉を噛み締めながら、ありがたみを感じた。しかし彼らにどうにかできることでもない。桐生と、同郷のかけがえのないはらからと分かれたこの痛みが癒えるまで、わたしはじっと待ち続けるだけだ。



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -