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あの日以来、私はあの場所には近寄らないようにしていた。それでも前より敏感になったせいか、N高のゆうの噂はよく聞くようになった。私が知ってる限りでもけっこう色んなとこに広まっているみたいだった。
「ねぇ、大体はるかってさ、どんな字書くの?」
教室で話していた優衣が、ふと思い付いたみたいに聞いてきた。
「え、っと、こうだよ」
私は近くにあったプリントに大きく“悠”と書いて優衣に見せた。
「珍しい読みだから、私も最初は分かんなかったの」
「へぇ、ほんと珍しい……これ、ゆうって読めるね」
「あ、ほんとだ。みんな、間違えて呼んでるのかなぁ」
まじまじとプリントを見つめる私に、優衣は苦笑して、さすがにそんなに単純な理由じゃないでしょと言った。
「でも、“ゆう”の由来はきっとこれだよね」
敵を追い詰めたような勝ち誇った声で優衣が笑う。確かに、そうかもしれない。可能性はすごく高いと思う。
「悠……何でゆうって呼ばせてるんだろ」
私の中で悠は悠で、どうしてもゆうと同じ人には思えなかった。噂の内容だって、どこ高校で何人病院送りにしたとか、1人で暴走族を解散まで追い込んだとか、昔の悠からは想像できないようなことばかり。
「そんなに恐い人じゃ無かったのになぁ」
確かに目付きは悪いし無愛想だけど、悠は優しい。不器用で誤解されやすいだけで、私は悠が優しいことをちゃんと知ってる。
「美奈、また新しい噂聞いたんだけどさ、」
珍しく言い淀んだ優衣は、私を見て聞きたい?と首を傾げた。
「うん、聞きたい」
「あのね、あたしも人伝に聞いただけだし、多分証拠も根拠も無いようなやつの1つだと思うんだけどね」
美奈には言わなきゃいけないんじゃないかなって、思ったのと言って、優衣は私の手を少し強く握った。
「……N高のゆうに、彼女が出来たって噂」
「そ、なんだ……仕方ないよ、強かったらモテるの当たり前だよね」
自分で言いながら、語尾が消えかけて掠れるのが分かった。心臓が痛い。苦しい、いやだ、悠がずっとずっと遠くに行ってしまう。
「っ、」
「ただの噂だよ、美奈、ほんとかどうかなんて分かんない」
肩を震わせて必死に涙を堪えようとする私の背中を、優衣はすごく優しく撫でた。
「で、も……っ」
よしよしと小さい子にするみたいに背中を撫で続ける優衣に、いつもだったら子供扱いしないでと笑うのだけど、今だけは、その優しさにすがっていたかった。
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