言葉にならなかったからで、



『おい、』

 いつもと同じような夜が、その日も巡ってきた。暗い海の真ん中へ、船は、静寂と波音に包まれて穏やかに浮かんでいた。

『アホコック』

明日の朝飯の仕込みに取り掛かってすぐ、奴はいつもと同じようにやって来た。どうせ酒でもせびりに来たのだろうと思って適当に返事をしたら、急に視界が180度回転して、気付いたら奴の無愛想な顔が目の前にあった。

『お前が好きだ』

何だ放せと抵抗する前に、奴はあり得ないことを口にした。それから暫く無言で見つめられて、俺はショート寸前の思考回路を抱えたまま、またキッチンに独りにされた。出ていく前の奴の背中が、小さく震えていたような気がして、余計に訳が分からなくなる。からかわれたのだと信じたいのに、真剣な瞳だとか俺の肩を掴む手が震えていただとか、そんなものを見てしまったらとても無理だった。













 あんなことがあってから、あいつは俺のことを何となく避けるようになった。毎回恒例だった食事前の呼び出しも、最近は俺が蹴り起こす前に自分で起きてくる。そのせいか、ここ数日あいつの目の下には隈が出来上がっていた。ナミさんには誉められていたようだったけれど、俺は何だか面白くない。
嫉妬した。ナミさんにかまってもらえるあいつじゃなくて、あいつと仲良く話すナミさんに。こんなの変だ、絶対おかしい。俺が好きなのは美しいレディー達のはずなのに。


「っ、」

思考をあちらこちら浮遊させたまま料理をしていたら、少し指を切った。ぱたり、床に血が落ちる。

「……ってぇ」

傷口を口に持っていきながら、俺は小さく溜め息を吐いた。何で俺が、あんな奴のために、振り回されなくちゃならないんだ。


「おい、」

「っ!?」

あの日と同じ声がして、今度は返事すらしないまま腕を掴まれた。

「な、んだよ」

奴は今日も無言で、視線を俺の手に移した。ぷくりと血が膨れていて、何だか恥ずかしくて悔しくて俺は俯く。

「けが、したのか」

見れば分かるだろうが、このやろう誰のせいだと思ってやがんだ。口から出かかった悪態が空気と共に勢いよく戻ってきたのは、あいつがおれの指を舐めたからだった。

「なっ、おま、なにす」

「……悪ぃ、全部忘れてくれ」

何を謝られて何を忘れれば良いのか、そもそも何も忘れられるはずは無いのに、俺にそう言った奴は見たことないような泣きそうな変な顔で笑っていて、俺はまた訳が分からずに立ち尽くした。

「アホコック、」

黙っていたら、俺よりもずっとごつい手が俺の手のひらを柔らかく包んだ。俺を見詰める真剣な眼差しが、さっきの台詞とは裏腹に忘れないでくれと言われているようで、やっぱり訳が分からなくて、俺はゆっくりとその震える手のひらを握り返した。





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