君が微笑む、時が止まる




 恐ろしいほど穏やかな声で、奴は言った。


「もう、やめても良いんだぜぇ」


そうして、俺も一緒にやめてやるからと、ひどくぎこちなくその手を差しのべた。温度の無い方の手だった。振り払えと理性は言うのに、俺はその手を掴んでいた。嫌になるほど、優しい手をしていた。



君が微む、時がまる





 日が昇るのをゆっくり見て、隣の体温を暑いうぜぇと言いながら抱き締めて、朝を迎える。それを繰り返してもうすぐ1年になる頃だった。誰も知らない島の、お世辞にも豪華とは言えないが2人で住むには十分な広さの別荘で、俺たちは暮らしていた。夜逃げ同然で飛び出してきたものだから、置いてきた奴等がどうしているのか気にならない訳でも無かったが、ボンゴレの近況やら何やらの噂さえ聞こえてこないような辺境の島であった。


「…久しぶりだなぁ」

傲慢に笑む奴と対峙して、困惑したような戸惑ったような昔馴染みの顔があった。居場所がばれるのも時間の問題だと、日頃から言ってきたことが現実になったのだった。

「2人とも、こんな所で何してるの」

とんだ甘ちゃんだとは思っていたが、まさかここまでだとは。組織を裏切って姿を消した男が2人、目の前に雁首揃えて立っているというのに、第一声がそれか。有無を言わせず殺しにかかる位のことでなければ、マフィアの頂点には立てないと思っていた。黙って殺されてやるつもりも甚だ無かったが、逃げるような真似だけは罷り間違ってもしないつもりだった。

「……ここから出て、」

「は?」

「ここから出て、どっか行って。俺にお前達は殺せない」

止めようもなく、目の前のドン・ボンゴレを殴った。こんな、こんな野郎に、俺は負けたのか。腕を掴まれて二発目は止められたが、視線だけはこの甘ったれた餓鬼から外さなかった。

「帰ってくれぇ、このままじゃ俺たちがあんたを殺しちまう」

開きかけた口を遮って、奴が言った。餓鬼は何か思案するような難しい顔をしていたが、もう一度帰ってくれと言われて諦めたようだった。

「また来るよ、今度は見逃せない」

だからそれまでに逃げろと、餓鬼は小さく笑った。俺の殴った頬が赤く腫れていて、そこだけが引きつって動いた。



 月明かりがバルコニーに射し込んで、2人の影を長く伸ばした。奴はいつもと変わらず、ワイングラスを片手に俺の隣へ座っていた。

「あの日から、1年かぁ?」

「…ああ、」

「なんかあっという間だったなぁ」

この色はあんたの色だから好きだと、いつか言っていた赤ワインが奴の喉へ吸い込まれていった。



「もう、やめても良いんだぜぇ」

「あんたが辛いなら、もう」

「このまま投げ出しちまえば良い」

「俺が拐ってやる」



あの日、俺が差し出されたこいつの手を掴まなかったら、どうなっていただろうか。過去を顧みるような女々しい真似をしている。あの日も今夜と同じように月が俺達を照らしていた。

「拐ってやるぜぇ、今度は黄泉の国まで」

傲慢な笑い方も、独特の声も、差し出した手も、何一つこいつは変わらなかった。俺はまたその手を掴んで、冷たいと文句を言った。

「俺がてめぇを殺してやる、他の誰だろうがそれは許さねぇ」

「ああ、あんたに殺されんなら、本望だぁ」

「その代わり、てめぇが俺を殺せ」

「…俺で良いなら、XANXUS、俺があんたを殺す」

ボンゴレの連中に踏みにじられるより先に、俺達の世界は俺達の手で終わらせてしまいたかった。奴の横顔は恍惚として、月を見ていた。銀の細糸は、月光を一身に受けて青白く浮かび上がっていた。風に靡く度にきらきらと僅かな光を拾って輝くその瞬間を、俺は何よりも好いていた。

「……幸せだったなぁ、」

独り言のような呟きは夜風に吹かれて島を巡った。人殺しにも幸せは在るのだと、奴が笑った。もう思い残すことは何も無い、と。

「なぁ、あんたも幸せだったか?」

月に向けられていた視線が、俺を捉えた。奴の瞳に俺が映っている。

「カス、てめぇにしちゃあ上出来だ」

噛み付くように唇を奪って、そのまま雪崩れ込むようにして互いの身体を貪った。熱を帯びた身体を重ねて、キスをして、この世の最期を契った。抱き締めた華奢な身体に、抱き締め返された無駄な筋肉の無い腕に、囁かれた愛の言葉に、俺は小さな充足感を覚えた。





 見ていたのは月だけだった。互いの頭に銃を突き付けて立つ2人の男が愛を囁き合っている姿を、一体誰が笑えただろうか。美しすぎる閉幕を、月だけが見ていた。XANXUSと呼ばれた男が、最期に、微笑むスクアーロの手を握った。


握り返した君の手があまりにも熱かったから
(ただ冷たくなるだけの僕は、可笑しくなって少し笑った)



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