青空が僕を責め立てた


 最悪の出会いから始まった俺と奴の関係は、当事者にも把握できないほど複雑な感情と思惑と情念とで成り立っていた。倒すべき敵として目の前に立ち塞がる壁でしか無かった奴を、いつしか俺も気が付かない内に特別な存在へ変えてしまったのは何だったのだろう。遠回しに言ってみたって、それは紛れもなく俺の心だったんだろうけれど。
先に動いたのは奴だった。イタリアに次期ボスとして入国したその日、人混みに紛れて見覚えのある火傷の痕を見つけて、空港で喧嘩はさすがにまずいだろうとぼんやり思ったのを覚えている。


「お前に出迎えられるなんてね」

自称右腕と親友は後の便で来る予定になっていたから俺は1人で、向こうも何故か1人だった。

「まさか此処で喧嘩しようってわけじゃあ無いだろ」


上手く笑えたかは覚えていない。ただ、その時の苦虫を噛み潰したような奴の表情と、珍しく歯切れの悪い台詞とだけはやけにはっきりと思い出せた。驚愕に見開かれた俺の目を見て、奴は漸く奴らしく見下したように笑った。



 曲がりなりにも愛と呼べる感情が俺に向けられていたことだけは、確かだったろうと思う。思い返せば恋人らしいことをしたような覚えはなかった。寄り添いあう、という言葉が奴ほど似合わない者はいない。ごく稀に吐き出されるイタリア語の文句が唯一奴と俺とを結んでいて、互いの気持ちを確認する術はどうやらそこまで器用では無かったらしかった。
それでも何だかんだ続いたコイビトは、世間一般のそれのように甘いなんてもんじゃあ無かったけれど、俺達には相応しい距離感でいつ終わるとも知れぬ命に少なからず華を添えていた。もしも奴の方が先に終わってしまったとして、それに対して流すだけの涙が俺の中には確実にあった。奴にも俺にも、それだけの想いがそこに在ったと今でも思っている。







 先代の威厳は俺がどれだけ大人になろうと損なわれなどしなかった。穏健派の彼も流石一大ファミリーを束ねあげる長であって、一般市民の感覚で付いていこうとする方が間違っていた。ボスなのだ。俺がなろうとしているのは、俺が座ろうとしているのは、この席なのだ。どれだけ走っても決して追い付けなどしない背中を9人分、俺はこれから追いかけなくてはならなかった。


「ツナヨシ、君に頼みがある」

呼び出してすまないね、と前置きして微笑んだ9代目は、落ち着いた色彩の執務室でゆったりとソファへ腰掛けて俺と対峙していた。

「10代目直々に手を下して欲しいんだが」

デスクを挟んで先代の真向かいに座った俺へ、彼はガラス張りの滑らかな机上に写真を1枚滑らせながら言った。裏返されたそれの白い紙面が照明の淡い光を反射して少し眩かった。


「お前達は下がりなさい」

自らに付いた護衛と、俺が従えてきた守護者とに退室を促した先代は、戸惑うように俺を見つめる獄寺へ小さく目配せした。背後に重厚な扉の閉まる無機質な音を聞きながら、俺はその写真をゆっくりと捲る彼の右手を目で追った。疼く超直感が嫌な結末を予期して警鐘を鳴らしていた。


「……ノーノ、御説明を」

彼の手の中に納まったその顔がきっとそこに有ることを、俺は多分何となく解っていた。手を下す、というのがどういう意味かも嫌と云うほど知っていた。先代は妙に格式張った口調で、デーチモ、と俺を呼んだ。


「私が知らないとでも思っていたのかね」

悪戯が成功した時の子供のような無邪気な笑みでそう言った彼は、ゆっくりと口角を下げて今この瞬間の世界で最も残酷であろう言葉を俺に囁いた。

「君とボンゴレに、奴は必要無い」


プランは全て用意してある、君は何も考えずにただ引き金を引けば良い、それが出来れば君は本物のデーチモだ、何にせよ出来ないとは言わせないが、ね。
この日ほどあの柔和な笑みを憎いと思った日は無い。指定された日付と場所を確認して、俺は漸く重たい口を開いた。

「…分かりました、ただ俺の部下には言わないで下さい、表には敵襲だと発表をお願いします」

この裏の世界にもまだ表と裏があるなんてね、と笑った先代が、一番それを知っているはずだった。何故なら彼が、奴を裏の裏へ落としたからだ。光も届かぬ凍てついた世界へ、彼と俺が、奴を導いてしまったからだ。

「君の言う通りにしよう」

俺は何も言わずに頭だけ下げた。楽しそうに細められた瞳へ、年甲斐もなく灯ったマフィアの色に吐き気がするほどの嫌悪を覚えた。
重たい扉がもう一度開いたとき、先代は背中を向けた俺をツナヨシ、と呼んで止めた。

「なに、一度は殺されかけた相手だ、やり返すのは造作も無いことだろう?」

振り向かなかった。歴代ドン・ボンゴレの中でも群を抜いて穏健派な彼が、悪役に徹してまで俺に伝えんとする所を汲み取ろうとは思わない。この世界で甘えがどれだけ危険か、教わらずとも知っているつもりだった。
 組織と奴を天秤にかける、ということを今まで無意識に避け続けていた。そこには何らかの心理的作用が働いていたのだろうけれど、俺はそれさえも考えることを拒否していた。
たくさんの支えが在って、踏み台にして来たたくさんの想いが在る。この地位は簡単に手放せるほど軽いものでは無かった。それでももういっそ捨ててでも、と思えてしまうくらいには俺は奴にほだされてしまっていたらしい。奴がそれを望まないことも、俺に選ぶ権利なんか無いこともよく分かっていた。
どう足掻いたってその日はやって来てしまうのだ。









 待ち構えた運命には到底似合わぬ、澄みきった空が俺の頭上に在った。裏世界の社交には珍しくまだ日の高い内に行われたパーティは、空が鮮やかな朱色に染まる少し前に終わって、俺は奴と2人並んで荒廃した街を歩いていた。次の抗争の視察と銘打って連れ出した奴は、甚だ迷惑そうな顔で無愛想に俺を見ていた。懐に忍ばせた拳銃がずっしりと重く俺の胸にのし掛かっている。

「こうやって2人で歩くのは何時ぶりだろうね」

贔屓目に見ても上機嫌とは言えない横顔へ、精一杯の虚栄と共に嘯いてみても、奴の表情はぴくりとも動かなかった。


「ごめんな、ザンザス」

俺の謝罪を連れ出された為と思ったのか、それとも全て勘づいていたのか、奴は一言ああとだけ言った。薄暗い路地裏には、かつてこの街にも人が住んでいたのだと知らしめるような、捨てられた日用品やら風化した段ボール箱やらが雑然と積み上げられている。噛み付くように奪われた最後の口付けは薄く血の味がした。


「ボンゴレなんかじゃ無かったら、良かったんだ」

奴は目の前に突き付けられた拳銃を払い落とそうとも、逆に俺を殺そうともしなかった。慈しむような、俺にだけ見せる微笑を浮かべて、ただそこに居た。


「お前が選んだ道だろう」


からからに渇いた喉から、自分のものでは無いような奇妙な言葉がもれた。それはもう母国語ともイタリア語とも取れず、ただの呻き声と形容してしまうのが一番正しいのかもしれなかった。けれど確かに俺は、目の前の人物が発した文章に返答を返したつもりだったのだ。ひび割れた唇を少し舐めてもう一度開いた口から飛び出したのはむせこんだ咳だけだった。



 廃れたアパートの狭間から、一発の銃声が静かな街に響いた。それに重なって囁かれた2人分のありふれた愛の言葉を聞いていたのは、ただ俺と奴だけだった。
見上げた狭い空は相も変わらず、無邪気な幼児がクレヨンで塗り潰したような真っ青を俺に見せていた。


(お前はどうして泣いているんだ)



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -