もしも僕が本当だったら


 近年稀に見る猛吹雪が、夜中の診療所の窓やら扉やらを叩いていた。古びて軋む木造建築は風に吹き飛ばされてしまいそうにか弱く建っている。もう街には殆んど灯りが残っていなかった。残り少ないそれらの内の1つがこの診療所だった。診療所の主は長くこの街に医者として勤めあげて、この間60歳を迎えたばかりであった。歳を重ねる毎に寂れていく診療所も、今年で畳んでしまおうかと考えていた。儚げなランプの灯火が、眠そうに欠伸を噛み殺した男を闇に切り取る。吹き付ける風と雪は一向に弱くならないで、寧ろ強くなっていくようだった。そろそろ寝ようと医者が椅子から腰をあげたとき、風にがたがたと揺れる扉の音に混じって微かに扉を叩く音が聞こえたような気がした。外は吹雪である、気のせいだろうと奥の寝室へ引っ込もうとしたら、また聞こえた。今度は少し強く、男は仕方なく扉へ向かって叫んだ。

「他所へお願いします、もう閉めてしまいまして」

けれど、古びた扉を叩く音はますます強くなるばかりで、止まる気配がない。老いた町医者は重たい足を引きずるように動かしながら、深い溜め息を吐いて扉を少しばかり開けた。

「はいはい、何でしょう」

半分ほど開いた扉から覗くようにして見た外界には、吹き付ける雪と漆黒の夜を背景に銀の長髪の美しい青年が立っていた。彼は中途半端に開いた扉を無理矢理開けて、医者の細い腕を掴んだ。

「連れが寝込んでんだぁ、診てくんねぇかぁ」

特徴的な声をしていた。医者は透き通るような白い肌に緊張の面持ちを見た。どうやら、行ってみた方が良さそうだった。

「…待ちなさい、準備するから」

厚い外套を羽織って道具の入った鞄を持ちながら、医者は彼の姿をもう一度見て初めて、彼が真っ黒の軍服と思われるような服を着ているのに気付いた。しかし、頼りないランプの灯りの下では、胸の辺りにこびりついた赤黒い染みまでは気付かなかったようであった。

「こっちだぁ」
 
彼は吹雪の中をずんずん歩いていく。医者はそれに必死で付いていった。時折医者を気遣うように立ち止まり振り返る彼の顔には、不安が色濃く浮かんでいた。


「ここ、なのかね」

一軒の家の前で立ち止まった彼は、薄く灯りの漏れるその扉を指差した。

「頼むぜぇ、」

儚げに微笑んだ彼は医者が家の中へ入れるようにと一歩後ろへ引いた。ノックの音に返事がないのを不審に感じた医者は、力任せに扉を抉じ開けて勢いのままその家の主を探した。


「こりゃあ…」

みすぼらしい家の外見とは裏腹に、奥の寝室には高価そうな寝台が据え付けてあった。その上に眠る男は黒髪で、おろした前髪は熱による汗のせいで額へ貼り付いていた。顔に残る火傷の痕を鑑みても、美しい男であった。医者は持ちうる限りの術を尽くしてこの男を救おうとした。いつの間にか夜は明け、吹雪も止んだ頃に漸く男はその長い睫毛を震わせて目を覚ました。危ない所からの生還を、医者は手放しで喜んだ。


「…何だ、てめぇ」

熱に浮かされて濡れた瞳には、ぼやけた輪郭で医者が映っている。睨み付ける視線が弱りきった身体にしては存外に強くて、医者は少したじろいだ。

「あんた、死にかけてたんだよ」

男の瞳は鮮やかな紅だった。寝台の脇にある窓から、昇りかけた太陽の橙な光に染められて、男の瞳は紅く燃えているようであった。
「若い男の人が私を連れてきたんだが、」

そう言えば彼の姿が見えなかった。この家の戸を力任せに開いた時には、彼はまだ隣に居ただろうか。男は始め怪訝そうに眉根を寄せて聞いていたが、医者が長くて綺麗な銀髪だったと言った瞬間、転がり落ちんばかりの勢いで飛び起きて医者の胸ぐらを掴んだ。

「てめぇ、安い嘘ついてんじゃねぇよ…ッ」

熱い指が首筋に触れた。節くれだった屈強な手に、病み上がりの男の力は不釣り合いな程弱々しかった。

「あいつは、」

医者の首元からずるずると落ちていく男の身体を、医者は必死に受け止めた。男はそれきり何も言わなかった。朝日に照らされた部屋は燃えるような橙だった。




 吹雪の通り過ぎた町は、平穏を取り戻して春に少しずつ近付いてきていた。老いた町医者は決して近くはない男の家へ、毎日通って看病してやった。男は元より回復力が強かったと見えて、1週間もすれば自分で歩き回れるようになった。けれどあの銀髪の青年には、吹雪の日以来一度も会わなかった。

「あいつは、」

医者が男に背を向けて帰り支度を始めた矢先、男はおもむろに口を開いた。それまで幾ら問いただしてみても頑なに答えようとしなかった問いに、男が自ら語り出したそれは余りに残酷だった。


 あいつは、スクアーロは二年前、俺を庇って死んだ。流れ弾に当たって、あっけねぇ、カスにはぴったりの死に様だった。なのにあいつは笑ってやがった。お前を守って死ねるのなら本望だと、笑わせるな。残ったのは憤怒でも嘲りでも無い、俺にはずっと必要ねぇと思ってた、煩わしい焦燥、穴が空いたような空虚。こんな感情は知らねぇ、知りたくもなかった。城にはあいつの残像が有りすぎる。本部にはあいつを知る奴が多すぎる。それなのに本物は何処を探したって。逃げたんだ、俺は。あいつから、認めたくない感情から、それなのに、奴は俺に生きろと言うのか。


 医者は、こめかみの辺りに押し付けられた冷たい金属に、どうせ残り少ない人生だと笑ってみせた。男はあいつによろしく言ってくれよと笑った。町外れの一軒家に銃声が響いたところで、誰も気付きはしない。



 
(君を抱き締められるのに)


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