ぷらす | ナノ





消える前にもう一度、

 あと1年持つかどうかだと、長老に言われた。言われてああなるほどなと思った。思い当たる節は幾つもある。けれどそもそもの原因を考えてしまえばきっと、俺が完全では無いからなんだろう。


『お前は、生まれてはならなかった存在だ』

『人間との混血だなんて穢らわしい』

『あの子に近づいては駄目よ』


生きてきた間浴びせられてきた言葉にはもう馴れてしまった。眩しいほどの美しい金髪に囲まれて、己の銀はどこまでもくすんで見えた。人間と、一族の混血。誇り高き人狼の一族に生まれてしまった出来損ないの俺は、周囲から疎まれ蔑まれて生きてきた。人間の母は心労で倒れ、あっけない最期だった。母に盲目的な愛を注いでいた父は、一晩泣き明かして止める間もなくあとを追った。日の光に銀を透かしながら、一族が皆寝てしまった朝方に泣いて泣いて、夜にはもう涙は枯れてしまった。


「あんたらは俺が死んだってかまわねぇんだろぉ」

長老は何も言わなかった。ただ野良犬を追い払うようにしわがれた左手を振るだけだった。





 死んでもかまわないと思っていた。けれどその前に、一つだけやりたいことがあった。

「新月かぁ、」

闇の中でも夜目の効く一族は、さっきからじろじろと俺を見ている。そういえば里の外れのボロ小屋から出てきたのはひどく久しぶりのことだった。

「スクアーロ…ッ」

背後から俺を追う声が聞こえた。長老の家に呼び出されて奥の部屋で俺の余命を聞かされた時から、ずっと感じていた気配だ。

「待てって、おいっ」

無視して歩いていたら追い付かれて、左手を掴まれた。

「っ…!?」

「あっ、悪ぃ」

突き抜けるような痛みに思わず顔をしかめたら、慌てて手が離された。

「何だぁお坊っちゃん、俺に触っと銀がうつるぞぉ」

古傷の痛む左手を押さえながら、俺は振り返った。一際金髪の美しいそいつは、俺の表情を見て泣きそうな顔をした。

「なん、で……」

「あぁ?」

「っ、何でそんな顔で笑うんだよ!」

珍しく荒げられた声に、周囲の空気が一瞬凍りついた。ディーノはもどかしそうに下唇を噛んで、拳を握った。

「ゔぉぉい、怒鳴るんじゃねぇよ、響くだろうがぁ」

漸く痛みの和らいだ左手を振って見せながら、俺は奴に背を向けた。弱い痛みの中で、今でも鮮明な記憶が蘇ってくる。後ろでまた俺の名前が呼ばれたが、今度は誰も追いかけては来なかった。













 もう何年も前のことだ。俺は両親を亡くし、不純を排除しようとする過激派の奴等に殺されそうになって里から逃げ出した。行く宛も頼る相手も無く、ひたすら走れなくなるまで走った。満月の晩だった。一族は皆、俺が里から消えたことにすぐに気付き、狼の姿で俺を探した。純粋な人狼の嗅覚と運動能力に、不純な俺が敵うはずもなかったのだ。

『居た、こっちだ!』

1人の遠吠えに集まってきた一族は変化できない俺を囲み、威嚇して喉を鳴らした。

『逃げられると思ったか』

じりじりと迫る影に、俺は死を覚悟していた。1人の牙が俺の左腕に掛かって、思わず目を閉じた俺の全身を鋭い痛みが走り抜ける。ああ、俺も父や母のようにこいつらのせいで死んでいくのか。

「おや、」

唐突に現れたその声は、人間に姿を見られることを嫌う一族にとって十分すぎるほどの抑止力となった。低い唸り声の矛先には初老の男が立っていて、その後ろには護衛らしき黒服の姿があった。

「可哀想に、森で迷ったのかな」

猛る狼さえ意にも介さずといった様子で俺に近づいてきたそいつは、軽々と俺を抱き上げるとあっさり自分の屋敷へ連れ帰ってしまった。一族が追ってくる気配はない。男の腕の中で気を失った俺が次に見たのは、紅い双眼だった。



「ほら、こっちへおいで」

連れ込まれた広い屋敷の一室で、男は俺と同い年くらいの少年を呼んだ。刺さるように鋭い視線が、男に抱えられたままの俺を射る。さして興味を抱かれた様子も、嫌悪された様子も無かったのに、俺はその深い綺麗な紅から目が離せなかった。

「暫くはうちで預かるからね」

予想外の言葉に混乱した頭は、その後のことをあまりよく覚えていない。里の奴らを説得したディーノが俺を迎えに来て、結局、俺はその屋敷に少しの間しか居なかった。俺を助けた男の顔も、朧気にしか思い出せない。ただ、あの紅だけは鮮明に記憶に残っていた。吸い込まれそうに深く、非難することも差別することもせずにただただ俺を見つめていた、あの紅が俺の目には何よりも美しく見えた。












 俺が里を出ることに、誰も文句は言わなかった。寧ろ、居なくなってくれて嬉しいと言わんばかりの、慈悲も何もない冷めた視線が俺を見ているだけだった。不純の俺は、望んで里を離れ、連中の知らないどこかで望まれた死を遂げるのだ。俺はその前に少しだけ自由になった。

「スクアーロ、」

「何だぁ、お坊ちゃん」

その呼び方やめろよと言いながら、背後の気配は小さく溜め息を吐いた。

「本当に、出ていくのか」

引き留めようとしている奴の声だった。けれど、引き留められる気はさらさら無い。誰よりも美しい金髪の横で、銀の髪はいつも以上にくすんで見えた。

「あぁ、お別れだぁ」

里の外れの、一族ですら足を向けないような片隅に、俺の小屋はあった。それももう一生拝むことは無いだろう。

「世話になったなぁ」

少しの感慨を込めて振り向いた先に、ディーノはその金髪を風にきらきらと揺らして立っていた。神妙な面持ちで俺を見つめる奴に、俺は何の台詞も見つけ得なかった。

「なんでだよ、なんで……歩くことさえ辛い癖に…っ」

片手で顔を覆って絞り出すようにそう吐き捨てた奴は、その腕の中に緩く俺を拘束した。

「俺、スクアーロが死ぬのに黙って行かせるなんて無理だ」

本気だと、分かっていた。だからこそ俺は、こいつを振り払わなければならないことも知っていた。いずれは一族を治めていく立場の奴が、俺なんかに構っていてはいけない、こいつの未来まで俺のせいで暗くする必要は無いのだ。

「……それでも、俺は行く」

ディーノの肩を押し返しながら、俺は言った。

「スクアーロッ」

「あんたには感謝してるぜぇ、でも俺には会いたい奴が居るんだぁ」

ゆっくりと距離を取る。力無く項垂れてそっぽを向いた奴の横顔を、金色が彩った。

「どうせ死ぬなら、最期に少しだけ、俺を生かしてくれぇ」

ざわりと強い風が吹いた。はっとして顔を上げたディーノの前で、俺は唇を歪めた。

「またな」

その“また”はもう二度と巡っては来ないだろう。それでも奴は小さくあぁ、と返してくれた。




消える前にもう一度、
(お前に会いてぇ)
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