積もる雪にそっと口付けを


 『お前が居ないと意味ねぇんだぁ』

そう言って泣いたのは何処のどいつだったろうか。確か、目の前のこいつだったと思う。
小高い丘からは海がよく見えた。3時間も前には世界を青く照らしていた空が今はもう暗く染まってしまって、眼下に広がる海との境界線を曖昧に濁している。久方ぶりに白く降り積もった雪の中で、奴はぽつねんと1人、その丘の上へ立っていた。否、正確に言うならば奴は1人では無かった。そのすぐ真後ろに、俺が立っていたからだ。


「俺よりも馬鹿な野郎なんて、居ねぇと思ってたぜぇ」


奴は唐突に話し始めた。救いようの無い馬鹿を自覚していただけ、カスにしちゃあ上出来だろ。


「あんたが馬鹿呼ばわりばっかしてきたせいだぞぉ」


はっ、責任の転嫁も良いところだ。馬鹿を馬鹿と呼んで何が悪い。

「なぁ……なぁ、あんたのせいだぁ」


奴の声が不意にくぐもった。頭上からはまた白い雪が舞い降り始めて、奴の銀髪を滑り落ちていった。

おい、何で泣いてんだ。

発したはずの声は、1ミリも空気を震わせはしなかった。伸ばした腕をすり抜けて、雪は少しずつ足元の白を深くしている。スクアーロは振り向かなかった。触れようと伸ばした掌が、月光に照らされて浮かび上がった銀を掴むことは無く、まるで何も無かったように通り抜けていった。


触 れ ら れ な い 。


依然として奴は動かなかった。その背中へ容赦無く降り注ぐ白が、弱い光を地上へ投げ掛ける月に小さく煌めいていた。

「あんたも大概、馬鹿だよなぁ」


酷く掠れた涙声でそう言うものだから、いつものように投げ付けてやろうとした罵声も暴言も喉の奥に引っ込んでしまった。らしくない。目の前で静かに泣くこいつも、俺も。

「何で、俺なんか、庇ったんだよぉ」

スクアーロが崩れるようにしゃがみこんだ。その高い身長に隠れて見えなかった奴の向こう側の世界に、見覚えのある名前が刻み込まれた真っ白の墓石がひっそりと佇んでいる。月明かりの中で雪と白と奴の長い銀髪だけがくっきりと浮かんで見えた。そうか、俺はこいつが消えるのが怖かったのだ。だから目の前で撃たれそうになったこいつを庇ったのだった。けれど1人、肩を震わせるこの男に何かを伝える術はもう何も残ってはいない。


「XANXUS...non lasciare」


はらはらと舞う雪に埋もれてしまいそうな細い背中は、今まで見てきたどんな姿よりも弱々しかった。手を伸ばさずにはいられない、けれどもうその体温に触れることは出来ない。長く伸びた誓いをすり抜けていく自分の指が恨めしかった。気付けば月はその姿を隠して、朝焼けの香りが辺りに立ち込めていた。月光の下で見るよりも幾分か薄くなったような己の体は、終わりの合図を鳴らしているらしかった。

何も、伝えられないで、消えるのか、俺は。

殴る蹴る以外で触れたことの無い白い肌が、幾ら酷い扱いをしても壊れなかったその体が、今はどうしようもなく儚く見えた。一度、ただ一度で良い、奴に触れたい。今まで幾度となく傷付けた分だけ、もう何年も前から胸の奥に巣食うこの感情を以て触れてやりたい。

「そろそろ帰るぜぇ、また来るなぁ」

これが本当の最期だ。目の前を通りすぎようとする銀糸をほぼ無意識に掴んで、強引に引き寄せる。腕に収まった体温が、優しく俺に染みる。神様なんて信じちゃいないが、きっとこれは俗に言う神様からの贈り物とかってやつだ。硬直した奴の体を撫でながら、もうどんなに足掻いてもこの先決して抱き締めることの出来ない“スクアーロ”を全身で感じた。

「う゛ぉおい…あんたなのかぁ?」

動揺して上擦った奴の声が可笑しくて少し笑ったら、空気が僅かに揺れた。銀灰色の双眸に俺が写っていた。ああ、そうか、伝えてしまえば良いのだ。

『Ti amo,squalo』

瞳の中の背景と俺の境界線が曖昧になって、そこから一筋の雫が零れた。これまで一度も俺に抗うことをしなかった奴が、初めて拳を振り上げた。けれどそれが振り下ろされるより早く、タイムリミットが来てしまったらしい。


「ザ、ザスッ ―――!」


消えゆく意識と暗くなる視界の中で、最後に見たのは朝日に照らされて輝く銀と、震えながら何かを叫んだ奴の唇だった。



積もるにそっと口付け
(確かにそこに、君が居たから)






渡季様 相互ありがとうございました。
これからよろしくお願いします。

渡季様のみお持ち帰り可能です。

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