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 一週間ほど寝たきりだった俺は、茶屋の二階に匿われて9日目に漸く包帯が取れた。やっと自由になった身体で、刀を出して欲しいと言った俺に、娘は少し黙って兄を呼んできますと部屋を出ていった。娘の兄はすぐにやって来た。

「今行ったところで、貴方は誰も救えやしませんよ」

柔和な笑みを浮かべた兄は、いきり立つ俺を宥めるようにそう言った。治りかけの怪我を抱えてどうするつもりなのかと、挑むような視線が言外に漂わせる意味を解せないほど、俺も馬鹿では無い。
けれど、今は至極最もな意見に屈している場合ではないのだ。仲間が、主人が、無念の内に散っていった思いの全てを俺に託した。

「刀を、出してくれ」

俺はそれに応えなければならない。



 どれだけ迫っても出さないの一点張りで終いには呆れたように部屋を出ていってしまった娘の兄を、俺は心から恨んだ。何も出来ないなら、俺は何の為に生かされたというのだ。得物も無しで乗り込んで行けるような相手では無いことは、充分承知していた。


「お侍様」

かたりと鳴った障子戸が、用心深く音をたてないように開かれた。背後を気にしながら恐る恐るといった様子で中へ入ってきた娘の手には、俺の愛刀が握られている。

「貴方がどれだけお仲間のことを思っておられるか、」

娘はそこで一度言葉を切った。俺の背後から部屋の中を照らす月光が、丁度娘の頬の雫に反射して光った。

「…行ってください」

月光に縁取られた微笑が、今にも消えてしまいそうに儚くて、出会った日の涙のように美しかった。

「兄に叱られるぞ」

娘は寂しそうに俯いて、髪を結わえていた簪を抜き取った。とろりとした琥珀色の、紅色の花飾りが綺麗な簪だった。

「これを、私だと思って連れて行って下さい」

目尻へ涙を溜めたまま、娘は器用に笑ってみせた。薄暗い室内で抱き寄せた身体は、細く震えていた。



 朝焼け前の暗い世界へ、娘があつらえてくれた黒の着物が溶けた。冷たい空気が肌を刺す。まだ目を覚ましていない外界に、月に照らされた影が2つぼんやりと浮かんでいた。

「…最後に、名を」

気の利いた台詞も、泣き顔を笑顔に変える方法も知らなかった。名を聞いてしまえばもう後戻りは出来ないような気がした。

「りな、と申します」

恐らくこの娘は、俺のことをずっと忘れないでいてくれるだろう。俺が消えてからも、何度も泣かせるかもしれない。俺の為に涙を流す姿は見たくはなかった。けれど忘れてほしくもなかった、勝手な我が儘だというのは分かっている。

「良い名だ」

娘は物憂げに微笑った。見ていられなくて背を向けた俺に、どうかご無事で、と消え入りそうな呟きが、叶いもしない願いが、冷たい夜明けに染み渡って滲んだ。



 はなから、俺の全てを以てしても抗うことの難しい相手だというのは分かっていた。紅く舞う鮮血とぶつかり合う刃物の奥で、奴が嘲笑っているような気がした。所詮は一介の侍に、時の権力者を滅するような力が有るか、考えずとも答えは出ているだろうに。天皇の守護を仰せつかった武士共に視界を覆われた。斬った敵は数十、いよいよ定まらない意識が命の終わりを予感して警報を鳴らす。ああ、これで最期か。


「………り、な…」


降り掛かる刃と雄叫びに埋まりながら、俺の頭に浮かんでは消えていく仲間と主の顔の最後に、俺に微笑みかける娘が涙を流した。拭おうにも手が伸ばせなくて、薄れていく意識の中で娘の名を呼んだ。


 
(誰にも届かずに宙へ消えた)
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