ずるい人、



*学パロ


 心なしか近くなった空はもうすぐ訪れる春のせいなのか、それとも俺が知らない世界へ旅立つからなのだろうか。桜はまだ咲いていなかった。空に届きそうな程伸びた枝は、俺の髪を拐っていく風に不安げに揺れていた。


 涙を隠して俺とラビにおめでとうを言った彼女の目は真っ赤に充血していて、何て下手な嘘だろうかと思った。その後モヤシも近付いてきたから柄にも無く祝いの言葉でも言うのかと思って、何だ可愛い所も有るじゃないかと迎えてやったのに、リナリーを泣かせるなんてサイテーですバカンダ、と舌を突き出して逃げやがった。あの野郎、今度会ったら竹刀でぶっ叩いてやる。俺だって泣かせたくて泣かせた訳では無い。断じて、違う。隣でバカ兎が笑っていたからとりあえず一発殴っておいた。そうしたらリナも少し笑って、入試も大詰めだね、なんて感慨もへったくれも無いことを言うものだから、兎の笑みが苦笑に変わったのをもう一発殴ってやった。悪戯が成功した幼子のような笑顔で、彼女は無邪気に笑った。細められた瞳は、煌めく涙の中で何を映しているのか分からなかった。耳元で、ユウがいかんかったら俺が貰っちゃおっかなと嘯いてみせたラビを殴ることも忘れて、俺はその綺麗な雫を目で追った。頬を伝って渇いた土へ落下したそれは、何となく春を呼んでいるようだった。





 桜の木が茶色い枝を伸ばしている下で、未だ肌寒いような風に長い髪が踊る。いつもより少し高く結わえた黒が、視線の先の通学路を遮って視界を染めた。煩わしく騒ぎ立てる心臓が嫌で、固く閉じた瞼に鼓動は容赦無く加速していた。待ってくれてるなんて、と目を丸くした彼女は、今日はどんな表情を見せてくれるだろう。あの日のようにまた驚くか、それとも笑うだろうか。果たしてその予想はことごとく外れてしまう訳だけれど。


「かんだ?」

舌足らずな声に開いた瞳へ、彼女の半泣きの顔が映った。駆け寄ってくる彼女の動きに合わせて、2つに結わえた艶やかな黒髪が跳ねる。身体へ衝撃を感じて思わず息を飲んだ唇に冷たい空気が触れた。

「おい」

駆け寄るなり抱きついてきた幼馴染みの華奢な身体を抱き締め返して良いものか、考えあぐねて空をさ迷う手が彼女に辿り着く前に、押し返そうとする理性が本心に勝った。両肩を掴んだ手が熱い。俺を見上げる彼女の目は心配そうに揺れていた。

「大丈夫?、神田、眉間に皺寄ってた」

辛そうだったよと言われて初めて、彼女の表情の理由を知った。やるせなくて吐いた溜め息に込めた想いをずっと隠してきた。俺は卑怯だ。言いっ放しで逃げるつもりなのだから。

「リナ、」

不思議そうに首を傾げた彼女の瞳の中に、俺の顔が写っている。世界を共有したような気がして、少し喉が震えた。俺しか呼ばない彼女の固有名詞は、春を待つ桜の枝に引っ掛かってふわりと溶けた。

「お前が、好きだ」


声が震えた。情けない。風に舞った髪が視界を覆って、一瞬ではあったが彼女の顔を隠してくれたのにほっとする自分に嫌気が刺した。呆けたように目を丸く開いた彼女は、思ったよりも遠かった2人の距離を一歩で縮めてすぐ目の前に立った俺にも、まだ動けずにいた。

「お前はどうなんだ」

言いながら、自惚れでなければきっと返ってくるであろう返答に、知らず心臓が跳ねた。春から始まる世界の前に、慣れ親しんだ世界との最後を彼女に締め括ってほしかった。幼馴染みから、抜け出したかった。俯いて動かない彼女の頬を、風に靡く黒髪がさらさらと撫でる。ポケットの中で用意したホワイトデーのお返しが存在を主張するみたいにかさりと鳴った。


「あたし、で、良いの?」

たっぷりの沈黙の後にそれだけ発した彼女の唇は、それ以上話す気は無いとでも言うように固く閉ざされてしまった。その様がまるで頭上の桜の蕾のようで、愛しくて、自分の為だけに咲けば良いと思ってしまった。お前だけだ、そんな気持ちを込めて桜に噛み付きながら、らしくない自分に心の中だけで苦笑を溢した。顔を真っ赤にした彼女が呟いた言葉は聞こえない振りをして、もう一度、彼女の名前を呼んだ。


 ずるい人、

(そうやっていつも、私の心を奪っていくのよ)
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