最初はただ気に食わなかった。 誰かと話し微笑いながら廊下を歩く彼の姿を見ることが、ただ。 僕の横を通り過ぎるだけの彼の眸に僕は映らない。 映っているのは誰とも知らない彼の友達。 いっそその眸を抉ってしまおうかとも思って、嘲笑った。 この執着の気持ちは初めてであるというのに 何であるのかを解ってしまった自分が滑稽だった。 彼が自分の目の前からいなくなればこの厄介な気持ちは消えるだろうか。 僕は彼の名も、知らないというのに。 昼休みの終わり頃、すっかり人の気配のない廊下に彼がいた。 何らかの係なのだろうプリントの束を抱えている。 「ねぇ」 僕の声に彼の足がぴたりと止まる。 何故声を掛けたのか自分でも分からなかったが、 振り返った彼にそんなことはどうでも良いと思えた。 その眸に自分が映っている。 今彼の目を抉ったら永遠にその眸の中にそれを閉じ込められるんじゃないかと指先が震えた。 「君、名前は?」 問うと彼は目を丸くした。 「<名字>」 それでも反射的に答えた彼は、不思議そうな表情をしたままでじっと僕の顔を見つめる。 ふと、チャイムが鳴り響く。 はっとした彼は一瞬進行方向に視線をやり再び僕を見た。 「行っていいよ」 告げた僕に彼は律儀にも小さく礼をして、早足に教室へ向かった。 「<名字>・・」 小さくなった彼の背中に呟きを漏らす。 頭が沸騰したんじゃないかと自分でも思う。 群れるのは嫌いだと常に独りを求めて独りでやってきた。 そんな中に初めて彼が、彼だけが僕の世界にちらつく。 苛立ちに握り締めた拳を彼の姿を見つめたまま叩くように窓ガラスにぶつけた。 騒音が響いて破片が足元に落ちる。 慌しく目の前の教室の扉が開かれ、名も知らない教師が僕を見て止まった。 「ひ、雲雀か・・どうしたんだ?」 怯えたように僕を見るこの教師の目を見て そういえば彼は僕を怖がってなかったと今気付く。 じくじくと鈍い痛みが走る掌から生温かい血が滴った。 「別に」 教師の方を見ることもせずに屋上でも行こうかと歩き出す。 後ろで教師が呼び止める声がしたような気がしたがどうでも良かった。 ふと視線を下ろすと、溢れ出す血が掌を赤く染めている。 制服のズボンに幾らか跳ねたそれは黒地に紛れていた。 何を思ったのか、僕は指先に滴る血にそっと舌を這わせた。 生臭い鉄の味が口の中に広がる。 「不味・・」 彼の血なら美味しいだろうかとそんなことを思った。 恐らく僕は最後の一滴までそれを飲み干すことが出来るだろう。 彼の血は甘いに違いない。 真っ赤な彼の血。 きっとそれは媚薬のように。 |