小学校の高学年から知っているが、真田弦一郎という男は人にも自己にも厳しく 怠けることが嫌いで勉強も運動もこなす人望の厚い男だ。 およそ人の上に立つのに相応しい人物である。 そして俺はその弦一郎という男にある種の尊敬の念すら抱いていたのだ。 国語の授業中、いつもは黒板から視線を外さない弦一郎が窓の外を眺めているのを見付けた。 窓際の席である為そう目立つ行為ではなかったが実に珍しいことだ。 何か見えるのだろうかとふっと俺も視線を窓の外に向けた。 グラウンドではA組が体育で陸上競技をしている。 しかし俺は弦一郎の視線がA組と聞いて本来浮かぶべき人物にあるのではないと知っていた。 <名字><名前>。 A組といえば話したこともない<名字>でなく、うちの部長の名が真っ先に出てこなければおかしい。 しかし弦一郎が絡んだ時はいつも<名字>の名が頭に浮かんだ。 それはこの恋などというものと全く結び付かないこの男が恋をしている相手が <名字>であるからということに他ならない。 皆の知る弦一郎という男は、いつもこの<名字>によっていとも容易く崩れ去ってしまうのだ。 仮に今弦一郎が教師に当てられたとして答えることが出来るのだろうか。 聞いていなかったなどと告げたら誰もが驚くことだろう。 あんなにも気の抜けた顔をして、弦一郎は只管に<名字>を見つめていた。 仕方ないと肘で自分の筆箱を突く。 机から外れた缶の筆箱は大きな音を立てて床に叩き付けられた。 「・・すみません」 一斉に振り返った生徒と俺を見た教師に小さくそう告げて、筆箱を拾う。 顔を上げると弦一郎は既に黒板に視線を戻していた。 小さくため息を吐く。 全く自分は何をしているのだろう。 もしかしたら俺はあの<名字>という青年が、心の底から嫌いであるのかもしれない。 |