日を増すごとにひどくなっていた胸騒ぎは今日がピークであるのだろう。 朝ご飯もほとんど喉を通らず、いつも通りに僕の家の玄関まで迎えに来てくれるジローちゃんの顔を見ても気分は全く晴れなかった。 それもそうだろう、僕のこの陰鬱とした気分はジローちゃんが原因であるのだから。 学校に着くと今日は普段と全体の雰囲気が違う。 賑やかしいとでも言えばいいのだろうか、僕にとっては忌々しいことこの上ない。 「じゃあまたね」 いつもなら教室の前で別れるジローちゃんと下駄箱で強引に別れた。 「あぁまた放課後なー」 言ったジローちゃんの顔は見れなかったが、僕がいつもと違う行動をとったことに不思議そうな様子はなかった。 きっとジローちゃんもわかっているのだ。 「おはよう岳人」 教室の扉を開けて親友の顔を見てほっとする。 もうここにジローちゃんはいない。 「どうしたんだよ、顔白いぞ」 席に着いている岳人が僕を見上げてそんな風に言ったが、そうかなと曖昧に返事をした。 今日は二月十四日。バレンタインデーである。 一般的には女の子が好きな男の子にチョコレートを渡す日だ。 ジローちゃんのことを好きな女の子が、ジローちゃんにチョコレートを渡す日。 朝から上手く息が吸えない理由はそこにあった。 ジローちゃんが僕のことを好きでいてくれていることは知っている。 女の子から告白をされたとしても、断ってくれることもわかっている。 それでも僕は考えてしまうのだ。 僕がいなければもしかしたらジローちゃんはその女の子と付き合っていたかもしれない。 そうしたらジローちゃんは、今よりずっと幸せなのかもしれない。 胸を押し潰すのは嫉妬ではなく消えない罪悪感であった。 * * * 「何してんだ?」 放課後の部活が始まる少し前。 レギュラー陣の部室に届いたダンボール数箱分のチョコレートを床にしゃがんで漁っていた僕に宍戸が声を掛けて来る。 「ジローちゃん宛のチョコ、集めてる」 彼是二十分近くこの作業を続けて、持参した布袋には三十個近くのチョコの箱が入っていた。 綺麗なラッピング。手作りのものもあるのだろう。 もしかしたら手紙が入っていたりもするのかもしれない。 キラキラしたその箱や袋に僕は吐きそうな気分だった。 「どうすんだよそれ」 制服からジャージに着替えながら、怪訝そうに宍戸が僕に視線を寄越す。 「燃やすの」 立ち上がってそう答えると宍戸の目が唖然として見張られた。 ぽかんと開いた口は僕に何を言いたいのだろうか。 何か言われる前に僕は薄く笑って部室を後にした。 人気のない焼却炉の蓋を開けて、灰になったゴミの上に布袋を放る。 火を点けるとゆっくりと袋が燃えていった。 外側の布袋が燃えて、剥き出しになったラッピングが黒く燃えていく。 ひとつずつ焼けてゴミになっていくのを眺めても心はちっとも晴れなかった。 ジローちゃんがいないと生きる意味もないのに、ジローちゃんを想うと死んでしまいそうだ。 出会う前なら、いつこれと同じように燃えてゴミになったって構わなかったのに。 チョコレートの焦げた甘ったるい匂いはまるで怨嗟のように僕の体に纏わりついて離れなかった。 「何しとるん?」 ふと声のした方に顔を向けると、思ったよりも傍に忍足が立っていた。 ぼんやりしていたのだろう近付いてきたことに全く気が付かなかった。 「手、そのままやと燃えてまうで」 落ち着いた声色で告げた忍足の言葉に促されて自分の手元に視線を落とす。 いつの間にか僕の右手は焼却炉の中にあり、炎の前に翳されていた。 何がしたかったのだろう、もはや原型を留めないその贈り物を今更どうすることも出来ないのに。 自覚した途端にチリリと掌が痛み出す。 「あ、うん。そういえば熱いかも」 ゆっくりとその手を引っ込めて焼却炉の蓋を閉じる。 燃やしたそれをどうにかするつもりなどなかった。 見惚れていたのはそれを燃やす炎にだったのだろう。 「行こっか」 未だこの場にはチョコレートの匂いが充満していたが、忍足はそれについて何も言わず頷いただけだった。 「今日もあと八時間で終わるなぁ」 部室へと向う途中で不意に忍足がそんなことを言う。 「・・うん、そうだね」 真意は何処にあるのかわからないが、何となく僕はその忍足の言葉に励まされたような気分だった。 ぐいと背伸びをして大きく息を吐き出す。 「さぁ今日もテニスするか!」 叫ぶと同時に部室の前に見えた姿に僕は頬を緩ませる。 僕を振り返って見せた無邪気な笑顔、その笑顔の所為で僕は未だこの世界に生きていた。 |