「なぁ」
ため息交じりのその声を何度聞いただろう。
聞こえない振りをして今日の五限の数学の宿題をしていると、僕のシャーペンの先を差して仁王が言う。
「ここ、間違っちょる」
ばっと顔を上げると僕の机で頬杖をついている仁王と目が合った。
「邪魔しないで」
目を丸くした仁王を一瞥してまた視線を机の上のノートに落とす。
僕の態度が意外だったのか漸く仁王の声色が変わった。
「すまんかった。ほんの出来心だったんじゃ、反省しちょる」
さっきも聞いた、と胸の内で毒づいて仁王に指摘された数式の答えを消しゴムで消す。
視界の端に映る斜め前の席の精市は、自分には関係ないことであるかのように背を向けていた。
また明日な、とそう言った真田とはあれから会っていない。
元々約束をしなければ接点もないから、避けられているわけではないのだろう。
ちょっとした仁王のイタズラをただの冗談と流せないのは僕と真田にまだ距離があるからだ。
ここまで怒るほどのことじゃないと、解っているのに何故仁王を許すことが出来ないのだろう。
「真田から何か言われたか?」
少しばかり声を潜めた仁王の言葉に首を振る。
「俺が口を出したらこじれるじゃろう」
こくこくと頷くそれは謝罪を受け入れているというより相談に乗ってもらっているかのようだ。「今日は弦一郎と一緒に帰るといいよ」
上から振ってきた声に顔を上げると、いつの間にか席を立っていた精市が僕を見下ろしていた。
「ね?」
にっこりと笑うその顔は提案というより強制だ。
それでも精市が僕に対することに悪意があったことは一度もない。
「・・・そうする」
目を伏せた僕の頭に精市はぽんぽんと手を乗せた。
その微笑みはいつだって優しい。
「さて仁王、ちょっと話があるんだけど」
言った精市の笑顔は先ほどから少しも変わっていないのに、僕と仁王が受け取った印象はきっと同じだ。
精一を見上げたまま固まる仁王から視線を逸らす。
まだ許したって訳じゃない。
なんて言い訳のようにそんな風に仁王を見捨てた罪悪感を拭って、冷えた空気を余所に僕は目の前の数式に意識を戻した。



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