その時<名字>は俺を見つめていた。
弁明することも開き直ることも、或いは謝ることもせずにただ俺を見つめていた。
驚いたように見開かれた眸は実際驚いていたのだろう。
不可解なことに俺が考えたのは仁王の心境であった。
仮に仁王が本気で<名字>を好きであるのだとしたら、この<名字>を見て決して良い気持ちはしないに違いない。
「真、田・・」
こんな、今にも泣き出しそうな絶望に染まった表情など。
「幸村ならもうすぐ出てくるだろう」
漸く口を開いた俺の言葉に遠目でも<名字>が目尻を赤くしたのが分かった。
泣かせるつもりはなかったが、では俺は何と言えば良かったのだろうか。
<名字>がこんな顔をする理由が仁王とキスをしたことに対する嫌悪なのか、それともそれを俺に見られたことに対する罪悪感であるのか、俺にはわからないというのに。
「今日は用事があってな・・また明日」
口に出した途端、事実である筈のそれが言い訳であるように思えた。
負い目を感じるならば、それは<名字>の方であるだろう。
何故俺が逃げることがある?
返事をすることのない<名字>の目の前を通り過ぎる。
<名字>は何か言いたそうだったが、自分自身何を言っていいのか分からないようであった。
――ぴたりと足を止める。
自分の意思ではなく、それは<名字>に服の裾を掴まれたからであった。
「・・どうした」
ここでそう問うのは罪な事であるのだろうか。
しかし<名字>と同様、俺も何を言っていいのか分からないのだ。
「ぁ・・」
小さくそう声を漏らしただけで<名字>は何も言おうとしない。
俯いている為に見えるのは<名字>のつむじだけで、泣いているのかどうかも分からなかった。
「<名字>」
名を呼ぶと<名字>はゆっくりと顔を上げた。
その眸には涙の気配こそあるものの雫は一粒も零れていない。
怯えたような目を向ける<名字>にそっと顔を寄せ、触れるだけのキスを落とした。
すぐに離れたそれに<名字>は目を大きく見開く。
怒ってはいるのだ。
お前はいつも無防備すぎる。
仁王がお前を好きなのかどうかは知らないがそんな事はどうでも良い。
お前は俺の傍で俺だけに微笑んで、俺だけにキスをされていれば良いのだ。
「また明日な」
思ったことは一つも声に出せず、それだけ告げると<名字>は掴んでいた俺の服をするりと離した。
微かに<名字>が頷いたのを目にして踵を返す。
<名字>は泣かない。
それは昔からのことではなかった。
小学生の頃は転んだり嫌なことがあったり、気に入らないことがあるとその度に<名字>は涙を流して泣き喚いた。
流石に中学生が泣き喚くというのは可笑しなことではあるが、どんなことがあってもここ二、三年、<名字>は決して涙を流さない。
そしてその理由がただ単に大人になったからでないことを俺は薄々勘付いていた。
或いは、それが俺の前であるからだということにも。
嫌に長く感じる帰路の途中、俺が好きなのは果たしてどの<名字>なのだろうと、ここ最近密かに疑問に思っていたことが頭の中に渦巻いた。


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