梅雨の季節になった。
連日雨が続き、いつものように屋上で昼食を取ることは出来ず教室で弁当を広げる俺にしかし<名字>は声を掛けて来なかった。
俺の目の前の席で馴染みのコンビニの袋から冷めた昼食を取り出す。
そして俺に背を向けたまま、一人淡々とそれを頬張るのだ。
俺には<名字>のその行動が以前から不可解でならなかった。
だからと言って声を掛けるのも気が引け、結局俺は数日、昼休みを<名字>の背を眺めながら過ごした。


それは酷くゆっくりと動いて見えた。
それがぼやけるほど近付いても俺はそこに視線を向けるだけで、動くことも出来ない。
唇に微かな熱が触れた間でさえ俺はその真っ黒な眸を見つめていた。
「どういうつもりだ?」
そう尋ねた相手、<名字>にいつもの笑みは見られない。
真剣な表情をしつつも何処か心がここに無いような表情で俺の目を見返す。
「うん、ごめん」
質問の答えは帰って来ず、ぼんやりと呟くように告げた<名字>は中身がゴミのみになったコンビニの袋を持って立ち上がり、俺に背を向ける。
そして翌日いつもの笑みを浮かべて屋上に現れた<名字>に俺はその真意を問うタイミングを完全に見失うこととなる。


梅雨がすっかり明けた屋上で俺たちはまた春と同じような日々を過ごした。
そろそろ夏が来る、と色濃くなった空を見上げる。
一ヶ月ほど前の、それでも記憶から薄れないあの出来事の真実について。
ふと話題を変えた<名字>の問いはそれを掠めていた。
「もし、さ」
毎日陽の下で数十分いるにもかかわらず焼けることのない白い頬をそのままに、<名字>はそっと俺の目を見上げた。
「もし手塚のことが好きだって言ったらどうする?」
ふと箸を握っていた指先がゆっくりと冷たくなっていくのを感じた。
心臓が低く音を立てる。
「そんなもの、その状況になってみなければ分からんだろう」
俺の言葉に表情を変えることなく、じゃあと<名字>は口を開く。
「好きだよ。好き」
<名字>が何を返してくるのか予想していない訳ではなかった。
むしろ予想したそれと大差ないものであったのだ。
しかし俺は何を告げることも出来なかった。
只管に俺を見つめる<名字>の眸を見つめ返すことしか出来ない。
視界が薄くぼやけるのを感じて、あぁ自分は緊張しているのだ、と今更になって気付いた。
「―――」
口を開いた途端にチャイムが鳴り響いた。
何かを告げようとしたのに口を閉じた今、何を告げようとしたのか思い出せない。
そのまま俺の返事を聞かずにじゃあねと笑って帰っていく<名字>の後姿を見送る。
もしかしたら<名字>はわざと昼休みの終わる頃になってあんな事を言ったのかもしれない。
屋上の扉が閉まると同時に、床に置いた手からコロンと箸が転がる音が聞こえた。


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