初めて<名字>から電話が掛かって来たのは携帯の番号を教えた週の土曜日だった。
自室で宿題をやっている最中だった俺は、手にしていたシャーペンをノートの上に置く。
「はい」
知らない番号だと思いつつも通話ボタンを押すと聞き慣れたそれより少し機械的に変えられた声が響いた。
【あ、<名字>だけど】
声を聞いただけで一瞬であの笑みが浮かぶような声色で<名字>が名を告げる。
【今日の午後ヒマ?遊ぼーよ】
何とも軽い口調で誘われたそれを受けたのはやはり暇だったからだろう。
一時に駅前で待ち合わせた<名字>を遠目で見て、学校とはまるで雰囲気が違うと感じる。
しかし俺の姿を見て頬を緩ませたそれは明らかに俺の知っている<名字>だった。
「おはよ、とても中学生には見えないね」
言うが<名字>も背が低くないため高校生に見えなくもない。
「そうか?」
よく言われることだが<名字>に言われると何故だか妙な気分で、ところで何処へ行くのかと話を逸らした。
「あー特に決まってないけど。何処行こっか?」
本当にただの暇潰しだったようで<名字>には何のプランも無いようだった。
だったら何処か互いに楽しめる場所でも、と思い立った所で思考は停止する。
ここ数ヶ月毎日昼食を一緒にしていたにもかかわらず共通の趣味どころかそもそも<名字>の趣味が分からない。
「本屋にでも行く?」
奇しくも<名字>に驚きは悟られなかった。
今まで俺の趣味を話したことがあっただろうか。
記憶を辿ってみても終ぞそれを見つけられることは無かった。
―――俺はお前の事を知らない。
近くに本屋があるような事を話している<名字>を見つめながら、抱いたのは絶望にも似た感情だった。

暇潰しと言いつつもあっという間に夕方になった空をふと見遣って、<名字>に視線を移す。
その目が何か特定のものを捉え、眉を寄せたのを目にして視線を追った。
「おー<名前>じゃねぇか」
<名前>という名が一瞬<名字>と結びつかずにその名を呼んだ男が<名字>の肩に手を置くまでそれが<名字>のことであると俺は気付かずにいた。
「あぁ。久しぶり」
答える<名字>はいつも通りで――俺が二人の関係を知る由もないが――些か馴れ馴れしいその男の手を払いのけようとはしなかった。
明るい茶に髪を染めた女子に人気のありそうな顔をした男はふと俺を見つめて口元にニヤニヤと笑みを浮かべる。
「へぇ今度はこいつって訳?確かに俺とはタイプが違ぇわな」
「彼はそういうんじゃないよ」
薄く笑った<名字>と男の関係をこの少ない情報から考えても妙なものであることはすぐに解った。
友達というのも少し違う、だからと言ってその先を考えるのは不自然だ。
いつの間にか考えるのを止めてしまったのは一番良くない選択であったのだろう。
この時<名字>に何かを尋ねていれば後々変わることもあったかもしれない。
或いは俺は考える事を知らず拒否したのだろうか。
無関心とは違う、何かもっと恣意的な理由の為に。


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