それは中二に上がったばかりの頃だった。 俺は初めて<名前>以外の奴を、女を抱いた。 その感想を何気なく<名前>に伝えた時の表情は今でも良く憶えている。 一度酷く驚いたように目を見開いた<名前>に初め俺は嫉妬されているのかと思ったのだ。 「あー・・あのさぁ。 僕以外にヤる奴いるならもう僕とヤんなくてもいいんじゃない?」 気だるい視線を俺から外すことなく告げた<名前>は苛立っているようで、怒ったのかと聞いたらどこにそんな理由があるのだと返された。 <名前>とヤれなくなるのは嫌だからじゃあもう他の奴とはヤらないとご機嫌取りに言ったそれを<名前>が本気で信じたとは思えない。 「自分で言ったんだから、守ってよ?」 だが薄い笑みを浮かべた<名前>のその言葉の本気を、俺は知らずにいた。 休み時間の人気の余りない廊下の一角で俺は女の腰を抱いていた。 「ねぇ仁王くん、今度はいつウチに来てくれるの?」 俺の腕に手を添えながら俺を見上げて女が問う。 ぱっちりの目元も厚い唇も俺の好みで、誘って来たから乗ってやってもう二週間ほどだ。 「ん〜?奈美ちゃんが呼んでくれたらいつでも行くとよ」 言ってその耳に口付ける。 やだーとか言いながら全く抵抗を見せない女からは薄っすら香水の匂いがして、移るじゃろかとそんなことを考えた。 「あ、でもぉー次はちゃんとゴム着けてね?」 女のその言葉に、そういえばこの間は手持ちのゴムが無かったから生でヤったのだと思い出した。 まぁ中には出してないから孕んだ可能性は低いだろうが。 「もちろん。紳士じゃから俺」 え〜とか笑って言ってる女の白い首筋にキスをすると、視界の先に知った姿が見えた。 俺が女とイチャついてることは日常茶飯事であるためこんな場面を見られることなどしょっちゅうある。 「あ・・」 声を上げたのは俺でも<名前>でもなく俺の腕の中の女で、表情を変えることなく<名前>はそのまま視界の端へ消えて行った。 「<名字>くん何か怒ってなかった?」 「気のせいじゃろ。あいつは元々無愛想じゃけぇ」 余計な口を塞ぐようにそのグロスの塗られた唇にキスを落とした。 ――ありゃあ絶対聞かれたのう。 中二のあの時以来女を抱いたことがないと言ったら嘘になる。 <名前>の目を盗みながら色んな女と関係を結んだが、抱いたという証拠は残さずに来たつもりだ。 「そろそろ授業始まるのう」 唇を離して告げると女が眉を寄せる。 「えーサボっちゃおうよ」 「すまんの、古典の出席回数ヤバいんじゃ」 残念そうな顔をする女にもう一度キスをして、じゃあまた後でとその場を離れる。 奈美ちゃんともこれでお別れじゃな。 未練はあんまし無いけどの。 <名前>の姿を探していると移動教室なのか柳と階段を上っているのを見付けた。 「<名前>」 声を掛けると階段を上がり切る前に<名前>は振り返る。 その冷ややかな眸がどれほど怒っているのか、俺には全く判らなかった。 階段を追いかけるように上がって<名前>の前で止まる。 何て言うのが一番良いだろうかと考えながら取り敢えず謝ろうと口を開いた。 「すまん<名前>、さっきのは―――」 どん、と<名前>の掌が俺の肩に触れた。 触れたというには少しばかり勢いが強いかもしれない。 バランスを崩した俺に<名前>が慌てることなどなく、階下に落ちていく俺をただ見つめていた。 「仁王!」 そう俺の名を呼んだのは柳だ。 同時に背中を地面に強く打ちつけ、一度衝撃に瞑った瞼を開くと随分離れた場所に<名前>は立っていた。 「――嘘吐き」 降り注いだのは氷のように冷たい声だ。 <名前>が階上に消えていくのと擦れ違って柳が階段を駆け下りてくる。 大丈夫かとか何とか柳が言っているがもう俺には聞こえていない。 ズキズキと痺れるような痛みで暫く動けそうにないだろう。 突き飛ばされたのはえらく久しぶりだ。 これで<名前>の気も少しは晴れただろうか。 「いってぇ・・」 嘘吐きと呼ばれたそれに、俺の心は悉く無傷だった。 * * * 頭を打っていたら大変だと柳に半ば無理やり保健室に連れて行かれ、取り敢えず打った腰と肩に湿布を貼った。 その途中で授業の始まるチャイムが鳴り柳にすまんと謝ると別に構わないと爽やかに返された。 「機嫌が悪いとは思ってたが、お前が原因か」 ふっと苦笑する柳は<名前>のああいう行動に慣れているのだろう。 もちろん<名前>が親友である柳に手を出すことなど有り得ないが。 「まぁそうじゃろうな。浮気がバレただけじゃが」 丁度保険医のいなかった保健室の椅子に座ってそう言葉を返すとやはり柳は笑みを崩さないまま答える。 「あれは独占欲が強いからな。 幼稚園のとき<名前>を放って別の子と遊んでたら その子の頭に<名前>が積み木を投げ付けたことがあったよ」 うっかり血が出て大変だったと、そんなことを言う柳もやはり<名前>と長年親友をやってるだけあって少しズレている。 道徳的な印象を受けるが柳は<名前>には馬鹿みたいに甘い。 ただ<名前>にそこまで好かれては、きっと悪い気などしないのだろう。 「悪いと思うなら早めに謝った方が良い。 卒業まで無視されかねないぞ」 揶揄うように言う柳がそれでも冗談で言っている訳でないことは解った。 「そりゃ困るの」 床を軽く蹴って椅子を回す度にきゅるきゅると音を立ててパイプが擦れる。 土下座でもしたら許してくれるじゃろうか。 嘘を吐いたことに怒ってるなら二度と浮気しないなんて言えないのう。 よっと立ち上がって、授業に出るべく柳と保健室を出る。 まぁ結局は、それしか言いようがないけどの。 * * * 「それで?何の用」 次の休み時間は昼休みで、もちろん<名前>がいつものように屋上に来ることはないだろうから話があると言って手ぶらの<名前>を屋上へ呼び出した。 話すことなんて無いと言われなかったということは少しは望みがあると思っていいのだろうか。 「すまん。約束破ったんは事実じゃ」 俺の言葉に<名前>は深いため息を吐く。 「別に謝んなくていいよ」 鬱陶しそうに風で靡いた前髪を掻き上げる<名前>の雰囲気に、怒ってないというものなど何処にもなかった。 「謝ってまで僕といる必要ないでしょ。 嘘吐いたのは許すからさ、もう充分だろ」 その通りであるのだが俺が気まぐれで<名前>と何年も一緒にいると言われたような気がして、一瞬頭に血が昇る。 しかしキレてどうにかなるような相手でないと堪え、この傲慢をどうやって説き伏せようと疲れた頭で考えた。 俺がここまでして<名前>を宥めようとするのは何故だろうとそう考えると自然に口が開いた。 「嫌じゃ。お前と離れんのは嫌なんじゃ、知っとろう?」 徹底して無表情だった<名前>が初めて眉を顰める。 一歩距離を詰めても<名前>はその場を動かない。 「もうしないって言ってもお前は許してくれないんじゃろ? なぁどうしたら許してくれる?」 どうやら先ほどの俺の言葉は<名前>の気を良くしたらしい。 先ほどまでの雰囲気なら自分で考えろと一喝されそうだったが、<名前>は一度視線を外して再び俺を見た。 「じゃあそこから飛び降りて」 そんな冗談、と笑い飛ばせる雰囲気では決してなかった。 そことは間違いなく俺の視線に映る屋上のフェンスなのだろう。 三階建ての校舎、下は土と言えども打ち所が悪ければ死ぬぞ。 「そりゃちっとキツくありゃせんか・・?」 「許して欲しいって言うくせにそんな事も出来ないの?」 間髪入れずに返された言葉にもう何も言えない。 ・・・柳、卒業まで無視どころじゃないぜよ。 そんな俺の様子を見て<名前>は目を細める。 どうせ最初から俺が飛ぶとは思っていないのだろう、ため息をひとつ吐いて手を差し出した。 「携帯出して」 嫌な予感はした。 が、それで許してもらえるなら仕方ないと俺はポケットからそう古い訳でもない携帯を取り出す。 手渡したらそれは一瞬だった。 バキッと情けない音を立てて呆気なく携帯は半分に折られる。 こうも簡単に壊れてしまうもんなんじゃのうと全てのデータが消えたことにちょっと悲愴感を漂わせてみたりした。 「これで無かったことにしてあげる」 <名前>の手を離れた携帯が鈍い音を立てて地面に落ちる。 真っ二つのそれが自分で無くて良かったと笑えないことを思った。 「二度はないよ。 自分で言ったんだから―――」 「守るとよ」 ぐいと<名前>との距離を詰めその腰を引き寄せた。 額にキスをすると<名前>は呆れたような顔をする。 「懲りてんの?」 「もちろんじゃ」 首を屈めてその唇に自分の唇を触れさせる。 舌を滑り込ませてもすぐに応えないのはいつものことで、やっぱ<名前>が一番かのうと細い腰を抱く腕に少し力を入れた。 |