遠い昔、その少年は毎晩俺の部屋の窓を叩いた。
細い指先が弱々しく叩くその微かな音でも目が覚めるのは、きっと少年の訪問を期待しているからだろう。
血の付いたばかりの窓を内側から開くと少年は涙を流していた。
【ルフィ・・どうしよう、また、また僕・・!】
取り乱す少年を抱き締めながらもまた服が血で汚れてしまったと頭の何処かでそんなことを思う。
【大丈夫だ、きっと俺がなんとかするから】
昨晩吐いたものと同じ台詞を吐いて、抱き締める腕に更に力を込めた。
【大丈夫だから・・】
震えるその背をさすり、何度も囁きを落とす。
俺の胸に顔を埋めてすすり泣く少年を見下ろしながら俺が願っていたのは、少年が間違っても海軍に出頭しないようにとそれだけだった。



普段はサンジやゾロが怒鳴ってもなかなか起きないほど眠りの深い俺だが、流石に甲板での見張りとなるといつもよりは眠りも浅い。
だからなのか、ふっと甲板に現れた小さな気配に気付くことができた。
まぁこいつの気配なら大きな鼾を掻くほど深く眠っていようとも、気付く自信はあるのだが。
「おう久しぶりだな」
告げる俺の視線の先には月光にその銀の髪を煌めかせた<first>がいた。
「うん・・。元気だった?」
小さく微笑んだ後、<first>は心配そうにその眉を寄せる。
儚げなこの青年が世界的な大犯罪者だと誰が思うだろう。
八年前、イーストブルーで起きた無差別殺人の犯人はいくつもの街や村を廃墟にし、海軍の戦艦を数え切れないほどに海に沈めた。
風圧で岩をも切り刻み、時には竜巻さえ引き起こすその能力に敵うものはいなかった。
奇跡的に撮られた犯人の写真は返り血で全身が真っ赤に染まっていた為、ついた名前は「血まみれ」。
その返り血から正確な犯人の顔はわからず、出身も性別も本名もわからない犯人は億を超える指名手配犯であるにもかかわらずもう八年も海軍から逃げ延びていた。
そして、今俺の目の前にいる。
「怪我とかしなかった?」
伸ばされた白い指がひやりと、まるで氷のような刺激を俺の頬に与える。
この手のことを聞いてくる時の<first>の表情はいつも直視し辛い。
今にも泣き出しそうな悲痛な表情で、壊れ物でも扱うかのように淡く微笑む。
実際に壊れてしまいそうなのは<first>の方だというのに。
「俺はこの通りぴんぴんしてるぜ。<first>は?元気だったか?」
空元気でも何でもなく純粋に俺がそう答えると<first>は安心したように小さなため息を吐いた。
「元気だったよ?」
<first>がそう答えるたびに俺はいつも元気とは一体どんな状態のことをいうのか、とそんなことを考える。
八年前から得体の知れない何か≠ノ憑かれている<first>は理性を手放すとその体をそいつに取って奪われる。
ここ数年はそんなこともなくなったようだが<first>はいつそいつが――八年前の事件を引き起こしたそいつが出てくるのかと、毎日を怯えて過ごしていた。
・・・そんな状態で元気も何もないだろうに。
「でもちょっと・・淋しかったけど」
夜の空気に消え入りそうなほど小さく、<first>が微笑みながら呟く。
未だ俺の横に座ろうともしない<first>の腕を軽く引っ張って、隣に座るよう誘導した。
ちょこんと座る細く冷たい体を左手でぐいと引き寄せる。
急に近くなった距離に驚いたのか、<first>は頬を赤くして視線を彷徨わせた。
もう八年もこんなことをしているというのに、未だに<first>は初々しい反応を見せる。
「俺も。俺も<first>がいないと、淋しかった」
自分でも顔が赤くなっているのが分かった。
夜で気温も低いというのに首から上だけ異様に熱い。
あぁ未だに慣れないのは俺もかなんて考えていると<first>が俺の肩に頭を凭れかけて来た。
「・・ん、嬉しい」
言いながらも切なげな目をしている<first>の胸中は、何となく分かった。
俺が仲間を増やして冒険して、それを<first>は羨ましく・・・妬ましく思っているのだろう。
本人が気付いているかは分からないが<first>はいつも俺しかいないという態度を取る。
それに堪らなく胸が痛み、酷く嬉しく感じた。
「この前行った島はな―――」
俺が甲板の見張りになる度に<first>はメリー号にやってくる。
俺が「血まみれ」の仲間だと思われないように、俺に迷惑を掛けないように<first>がここ以外で俺に接触してくることは決してなかった。
たった一人で自分の身に憑いているものを祓う方法を探しているのだ。
夢を追いかけることを選び、<first>の為に生涯を捧げることをしなかった薄情な俺とただ恋人で居続けるために。
あの頃、何度も命を絶とうとした<first>を繋ぎ止めたのは俺だ。
夢も<first>も、俺はどちらも捨てることが出来なかった。
俺に出来るのは俺の不甲斐なさも全て承知で、俺の為に生きようとしている<first>を愛してやることだけだった。
「あぁもう夜明けだね」
不意に<first>が明るくなり始めた地平線に目を遣る。
何時間も冒険や思い出話に耽っていたようだ。
夜明けは<first>との別れを意味した。
立ち上がる<first>の手を掴むことも出来ずに、朝日に背を向けて微笑う<first>を見上げる。
今でもまだ生きていることが辛いのだろうか。
俺さえいなければ、この青年は死ぬことを選ぶのだろうか。
「・・<first>」
「ん?」
答えなどわかっていた。
俺がいてもなお、いつだって<first>は死にたがっている。
「またな」
だから俺はこうやって何度も約束を押し付けては<first>を繋ぎ止めておくのだ。
「うん・・また来るね」
いつしか俺が目にする<first>の笑顔はこの泣きそうなものばかりになっていた。
ふわりと一陣の風が吹き、止む頃にはもう<first>の姿は何処にもない。
「・・・・・・・また、か」
互いを傷付けるだけのこの関係は一体いつになったら終えることが出来るのだろう。
<first>の呪いが解けるまで?
俺が夢を実現させるまで?
きっとそれよりも早く訪れるであろう終焉のその姿を、俺はもうずっと前から知っているような気がした。



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