新野先生から届けて欲しいと頼まれた薬草を手に保健室の扉を開けて絶句した。
「どうしたんだ?」
私の問いに視線の先の<名前>は不機嫌に眉を寄せる。
その正面では伊作が困ったように苦笑していた。
「関係ないだろ」
私の方を見もせずに答える<名前>の口元には大きなガーゼが貼り付けられている。
まるで誰かに殴られたようなそれは訓練で出来たにしては不自然だ。
「喧嘩でもしたのか?」
後ろ手に扉を閉めると私の手元の薬草を見つけた伊作が手を伸ばした。
「あ、新野先生からかい?ありがとう長次」
「あぁ」
私から薬草を受け取った伊作は、さっきまで<名前>の手当てに使っていたのだろう薬と一緒に棚にしまう。
「くだらないことのために喧嘩したんだよ」
言う伊作の口調は優しく、その口元に笑みさえ浮かべている。
「くだらないことじゃない」
答える<名前>は気に入らないようだった。
状況が飲み込めず立ち尽くす私に伊作が笑いかける。
「は組の奴に<名前>が殴りかかったんだよ。それで取っ組み合いになって殴られた」
相手はもっと重傷だけど、と続ける伊作が呆れたようにため息を吐く。
しかし<名前>は相変わらず憮然とした態度で首を背けたままだ。
「伊作を笑ったんだ。自業自得だろ」
その<名前>の言葉で漸く把握した。
なるほどと思わず声を漏らした私に初めて<名前>が視線を寄越す。
「何だよ」
これは完全に不貞腐れている。
恐らく伊作が叱ったのだろう、小さな子供のようだと口元が緩みそうになって慌てて引き締める。
ここで笑いでもしたら<名前>の機嫌は更に悪くなることだろう。
「いや。そういう所がお前の美点だろう」
告げる私の目を見上げたまま<名前>はそっと瞬きをする。
先ほどまであんなにわかりやすい表情をしていたにも関わらず、何を思っているのか途端に読み取れない。
「確かにそうなんだけどね」
笑う伊作に<名前>が視線を戻す。
その頭の中が覗けたのなら、きっとこの気持ちに区切りをつけることが出来るだろうに。
「もういいだろ、授業始まるよ」
立ち上がる<名前>に伊作も腰を上げる。
自分にももうここに用事はないことを思い出して、私は開いたままの襖から廊下に出る。
「行くよ伊作」
その横をするりと<名前>が通り抜けていった。
ひとつに結われた髪の毛先が視界で揺れる。
「あ、待ってよ」
伊作は私にまたねと一言告げて、おいていかれないように<名前>の後に着く。
一度も振り返らない<名前>のその背を追う理由もその腕を掴む理由も、私には何もなかった。



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