あぁ、涙も出ないのか。 今まで何度も見た光景と同じように地面に倒れこむそれを見て、僕はそんな感想を抱いた。 実際に会っても話を聞いても、僕の記憶は欠片も呼び起こされることは無かった。 現に今、目を見開いたまま息絶えたその姿を見下ろしても何も沸かない。 それは僕が記憶を失くしたからだろうか、本当にそうだろうか? 四年前の僕なら別の感情を抱いていたと何故言い切れる? 何度も繰り返した問いの中、辿り着いたのは自室で気付けば着替えも後片付けも済んでいる。 いつもならこのままあの木に向かうはずだった。 しかしうろうろと宿舎を歩き回っていた僕は、やはり彼を探していたのだろう。 そろそろ就寝時間だというのに一足早く縁側などで無防備に寝転がる姿を見つけて足を止めた。 「・・小平太」 名を呼んでも彼は動かない。 枕元に膝を付いてその寝顔を覗き込む。 「小、平・・太」 早く目を開けて欲しかった。 早くその眸に僕を映して欲しかった。 ゆっくりとその瞼が開く。 薄茶色の綺麗な眸が優しくその中に僕を包んだ。 「<名前>・・」 寝ぼけたように手を伸ばして頬に触れてくる小平太の指の熱さに胸が疼いた。 「もう少し待ってって言ったの、取り消す」 もう残るものは何もなかった。 今あるのはここに来てから、小平太と出会ってからの僕だけだ。 「お願い・・」 もっとその眸を見つめていたかったのに、こみ上げてきた切なさに顔を伏せる。 ぽすり、と額が小平太の肩口に当たった。 「ずっと傍にいて・・?」 この世界には小平太しかいなかった。 ただ流れていく光と音の世界で小平太だけがそこに生きていた。 とっさにその腕を掴んだのは何も感じえない世界から抜け出せる気がしたからだ。 「<名前>・・なぁ<名前>、ずっと傍にいる、好きだ・・好きだよ<名前>・・」 僕の名前を呼びながら小平太は何度も甘い言葉を囁いた。 儚く響くそれに縋りつくように、肩に添えられた小平太の掌を強く、強く掴む。 今確かに、僕はここに生きていた。 【向こう側】完 |