つまずいて派手に転んだ僕にその子は真っ先に駆けつけてくれた。
心配そうに眉を下げて大丈夫かと手を差し伸べる。
ありきたりな展開だった。
しかしそんなありきたりな展開でも、僕は確かに彼に恋をしたのだ。
「おはよう」
授業前の早朝に裏庭でしゃがみこんでいる伊作を見かけた。
選びながら草を摘んでいるその様子からして何か薬に使えそうなものでも見つけたのだろう。
まったく彼は骨の髄まで保健委員長だ。
「あ、<名前>!おはよう」
振り返った伊作は摘んだ草を手に立ち上がる。
「早いんだね」
言う伊作の方こそもう忍装束に着替えている。
「なんか目が覚めちゃって」
さらりと嘘を吐いた僕に疑いを見せることは決してなく、相槌を打って伊作は笑った。
留三郎が週の初めに早朝自主練をすることは知っている。
だから相部屋である伊作がつられて早起きをすることも知っていた。
「あ」
僕の前髪の辺りで視線を止めた伊作がそんな声を出す。
すっと伊作の指先が伸びてきて、触れる直前で止まった。
「え?」
急な伊作の行動に途端に回転の鈍くなった頭で状況を整理しようとしながら、実際は伊作を見つめることしか出来ない。
「あ、えっと、埃がついてるんだけど自分の手が汚れてたから・・」
土のついた指を見せながら僕以上に慌てた様子で早口に告げる伊作に、僕は胸中でため息を吐いた。
見えはしない前髪の辺りに視線をやって指先で払う。
「とれた?」
「うん、とれたよ」
別に良かったのに、と馬鹿みたいに熱で沸いた頭の中で呟く。
泥まみれの指だろうがなんだろうがその指で触れられたらどんなに嬉しいか。
そんなこと伊作はもちろんこれっぽっちも気付いちゃいない。
「伊作も葉っぱついてるよ」
伊作の耳元に手を伸ばして、ついてもいない葉っぱを取るふりをしたのはささやかな仕返しだった。
「ぅえっ!?あ、ありがとう」
真っ赤な顔をして慌てる伊作のその頭の中はきっとさっきの僕と同じであるのに、伊作は何も、何も気付かない。
「そろそろ授業の準備しないと」
好きになればなるほど、近づけば近づくほどわかる伊作の気持ちを失うことになるのだとしたら。
そんな事を考えるだけで僕はまったく身動きが出来ない。
そんな僕が伊作を鈍い男だと責める資格はないのだと、随分前から自分に言い聞かせていることをまた胸中で繰り返す。
「一緒に行こうか」
誘う僕に伊作は眩しく微笑む。
その色素の薄い髪も眸も長いまつげも、高い背も綺麗な指先も優しい声も全部、全部愛おしい。
そんな想いがまた今日も僕の口を硬く閉ざした。




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