それはまだ忍術学園に入学してほんの二、三日しか経っていない頃のことだった。
「何の本読んでるの?」
突如掛けられた声に顔を上げる。
それほど読書に熱中していたつもりはなかったが、こんなに傍に立たれているのに今の今まで全く気付かなかった。
「何だっていいだろ」
中庭に丁度いい大きさの切り株を見付けて腰を下ろし、図書館で借りた本を読み始めたのは太陽がほぼ真上にある頃であったからもう2時間ばかり経っているのかもしれない。
「そこに立つなよ、翳る」
同じ組で同室の…確か<名字>という名の男をもう一度見上げて、俺はぶっきらぼうに告げた。
何が楽しいのかにこにこしたまま<名字>はその場にしゃがみこみ、今度は俺を見上げてくる。
「ね、僕の名前知ってる?」
うっとしいと思いながらも無視するのは何だか気が引けた。
「<名字>だろ。同室なんだからそれくらいわかる」
「違うよ」
本に視線を遣ったまま答えた俺に、<名字>がすかさず答えた。
その顔は相変わらず楽しそうな笑みを浮かべたままだ。
「<名前>だよ」
イタズラっぽく俺を見上げた<名字>が何を言ってるのかすぐには理解できず、目を丸くした俺に<名字>は小さく声を立てて笑った。


* * *


がくん、と頭が揺れた。いつの間にか寝てしまっていたらしい、視線を机の上に落とせば今月の帳簿が開きっぱなしだった。
…なんであんな、1年の頃の夢など見たのだろう。
続きをやる気にはなれなくて、俺は帳簿を閉じて机の端に追いやった。
いくらか進めておきたいから先に寝ていいと<名前>に告げ、小さな蝋燭の灯りだけを頼りに計算を始めたのは日付が変わる少し前だったような気がする。
そろそろ寝なければ明日の授業に響くと、蝋燭の灯りを消そうとする視界に<名前>の寝顔が映った。
ここ最近、あんな笑顔は見ていない。
……もしかしたら、お前が長次に惚れるよりずっと前から俺は――。
思って首を振った。
だから何だと言うのだ、伝えない道を選んだのは自分なのに。
重い思考に濁る視界を遮るように、俺は淡く揺れる蝋燭の火を吹き消した。


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