食堂を後にしながらさっきの文次郎の言葉を思い出す。 留三郎も文次郎も皆、やはり<名前>のことが気にかかっているようであった。 それが二人のように敬遠するものであればいいが、しかしもしそうではなかったら? 私と同じように、あいつに単純な興味を持って近寄る奴がいたら? 「…くそ」 教室へと向かっていた私は途端方向を変えてそのまま縁側を降りる。 妙にはっきりしない思考のまま目的地に着いた私は顔を上げ、肩透かしを食らった。 ――いない。 「何してんだか・・」 呟いたのは自分にだった。 今まで決して休むことのなかった授業をサボって、ここ最近の私は何処かおかしい。 しかし変化を望んだのは自分だった。 こうなることはむしろ喜ばしいことであるのに。 ・・・いつから。 いつから私は、こんなにも必死になっていたのだろうか。 教室に戻る気にはなれなくて、私はあいつのように木に登ってその太い枝に寝転がった。 硬い寝床はお世辞にも心地よいとは言えないが見上げる先にあるのは揺れる木の葉と空だけで。 静かな空の中はまるで別の世界のようだ。 あいつはいつもここで何を見ているのだろう。 <名前>の眸には私は映っていない。 いつも遠い何処かを見つめるその眸の中には、誰ひとりとして踏み入ることは出来ないのだ。 目を閉じると聞こえてくるのは遠くで鳥が鳴いている声だけで、私はそのまま微睡みの中へ落ちていった。 * * * 声が聞こえる。 「・・ぇ、ねぇ・・・」 誰かが私を呼んでいた。 聞き慣れぬその声はしかし溶けるように私の中に浸透する。 頬に指が触れたと同時に私は咄嗟にその手首を掴んだ。 この声を逃すまいと、ぐいと手首を引き寄せる。 意識が完全に覚醒しないまま目を開き、息が詰まった。 「っ…!?」 視界に広がる真っ黒な眸。 それが<名前>のものであると気付いた私は慌ててその手を離し、顔を後ろに引いた。 「すまん…!」 私の反応に<名前>は小さく首を傾げる。 何故だか居たたまれなくなりそのまま逃げるように木から滑り降りた。 「小平太…?」 不思議そうに私を見下ろして、<名前>が名を呼ぶ。 鼓動が跳ねたのはきっと気のせいじゃない。 「うっかり寝てしまった、授業に行ってくる!」 依然<名前>はよくわかっていないようだったが、私を見下ろしたままこくりと頷く。 それを目にしてすぐに踵を返し、走り出した。 授業に出る?まさか。 走り始めたばかりであるのにやかましく胸を叩くこの鼓動にふっと湧いた、ひとつの可能性。 それを否定してみせることが、今の私に出来たすべてだった。 |