いつもの喫茶店でいつもの窓際の陽が当たらない隅の席で私は彼を待っていた。
しばらくすると小気味いい鈴の音を鳴らしながら喫茶店の扉が開く。
私の姿を見つけると彼は人懐こい笑みを惜しげもなく浮かべた。
くせっ毛なのかところどころ跳ねた黒髪がさらに彼に親しみやすさを抱かせる。
「久しぶりやなぁ」
子供のような無邪気な笑顔を見上げながら何度思ったかわからないことをまた胸中で呟いた。
「ほんとね。ここのところ毎週会ってたから何だか一年近く会ってなかったのような気分だわ」
私の言葉に明るく同意して彼は正面の椅子に座る。
頼んだコーヒーを飲み干すまでの小一時間、私はいつものように彼と雑談をした。
「あんなぁチュエリー」
彼の二枚目の友達のナンパの失敗談を可笑しく話していたそのままの表情で、不意に彼は私の名を呼んだ。
「多分もうあんまり会えへんようになるねん」
変わったところといったら申し訳程度に下がった眉だろうか、しかし彼の口元は依然笑みを浮かべていた。
「あら、どうして?」
意外そうに目を丸くしてみせたが私の中ではもう予想はついていた。
彼が何とも言えず嬉しそうな、そして温かい笑みを浮かべる時にその頭を占めているのはひとりしかいないから。
「いやぁ俺の好きな子がなぁ、めっちゃモテんねんけど、ふらふらしとったら他の奴に盗られてまうかもしれんのやわぁ」
好きな子、と言うそれは恐らく彼の恋人なのだろう。
何でそんな言い方をするのかはわからないが盗られてしまうと告げた彼の口調には、それだけで何処か俺のものという響きがあった。
「だめよ、手放したくないものがあるなら握った手を緩めたりしちゃ」
私の言うとおりだと彼はまた大きく同意した。
常に笑顔を浮かべている彼のその表情が八割方嘘であると気付いたのはそう最近のことでもない。
彼の表情や言葉の端々には嘘が散りばめられていて、ほとんどしたこともないが恋人の話ではその全てが嘘であるかのように思ったほどだった。
「チュエリーといっぱい話せて楽しかったわぁ。あ、言うてもこれっきりやないで?また会うてや?」
焦ったような顔をして子供っぽく告げる彼にもちろんよと返すと彼はまた眩しく笑って席を立った。
「ほな、またな」
伝票を手にひらひらと手を振って彼は私に背を向ける。
これっきりでいい、と、強く思った。
恋になる暇なんてなかった。
いつ何を話していても時折ぼんやりと何かを考えているそれが誰か別の女のことであると、すぐに気付いた。
私と会う理由はその女に嫉妬させるためであるのかもしれないと、何の根拠もなく思ったことも強ち間違ってないような気がする。
何の前触れもなくいきなり会うのを減らそうと告げた時の彼は何かが成功したかのように満足そうだった。
「・・・悪い男」
彼なんかに愛されなくて良かった。
きっと愛する人の心から彼以外のすべてを奪って何処にも逃げられないようにするに違いない。
鞄を手に立ち上がり、もう来ることもないだろう喫茶店の扉をくぐり外に出る。
照り付ける太陽の眩しさは彼の笑顔とは似ても似つかない。
彼なんかに愛されなくて良かった。
何度も繰り返すそれがただの言い訳であると、気付かないはずはなかった。


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