好きなんです、と微笑いながら告げたのがこの災厄の始まりだった。
秀吉殿子飼いの将の中でも一際異彩を放つ彼は、縁側で素足をぶらつかせながら俺を見上げる。
子供のような仕草も彼がやると可愛らしく見えるのだから仕方ない。
しかし俺が惚れたのは、この可愛らしさというよりむしろ戦時の鋭さだった。
「いいよ」
いつも表面的に驚いてみせてもその実何事にも動じない彼の
戸惑う姿が見れるだけで良かった。
そして俺を良い方向にもいっそ悪い方向でも意識してくれればそれだけで良かったのだ。
しかし<名前>殿の言葉は俺の期待をことごとく裏切った。
「いいよ付き合っても。僕も左近のこと好きだよ」
おつかいでも承諾するような気軽さと素っ気なさで返事をした<名前>殿は微笑むこともしない。
受け入れられたにもかかわらず、
俺はまるで自分の気持ちをどうでもいいと突き放されたかのような気分だった。


* * *


名を呼ぶ声が聞こえた。
三成殿と雑談をしていた俺は会話を中断して声のした方を向く。
「あ、いた」
取り繕うことなど知らぬような気の抜けた顔が目に入る。
一兵卒から時に軽視される彼が愚かなどとは程遠い人物であることを
無論秀吉様も含め幹部で知る者は多い。
「話し中?」
何気なく近寄ってくる<名前>殿の足元から一切音がしないことにも、
口には出さずとも面々は気付いていた。
「いや、大した話じゃない」
三成殿が答える。
普段ならこの状況で<名前>殿が用があるのは三成殿だ。
しかし今日<名前>殿は俺の名を呼んだ。
「ちょっといーい? 散歩付き合ってよ」
その言葉に驚いたのは俺だけでなかった。
いつの間に仲良くなったのかというように三成殿が俺を見る。
だが仮にそう聞かれたとしても俺は何も答えられなかっただろう。
きっと俺と<名前>殿の距離は、少しも縮まっていない。


* * *


広大な大坂城の敷地内をうろついていた俺達は小さな池の前で立ち止まった。
俺というよりは<名前>殿が、だ。
「そろそろ夏かなぁ? 梅雨も終わったしね」
言いながら<名前>殿はおもむろに靴を脱ぎ始める。
まさかとは思ったが着流しのまま<名前>殿は池の中に足を踏み入れた。
水深はその脛ほどでしかないものの、ここは敷地内でしかも中庭だ。
「んー冷たくて気持ちー」
ぱちゃりと水が跳ねる。
まるで下町の子供だ。
「<名前>殿、衛士の目もありますしお止めになった方がよろしいかと」
「え?」
本当に聞こえなかったのだろうか、<名前>殿はすぐにそう聞き返して小さく水を蹴る。
キラキラと太陽に反射する水面が<名前>殿を照らしていた。
<名前>殿は危ういほどに美しい。
かつての信長公が持っていた絶対的支配者のそれではなく
幸村が持っている清廉潔白なそれでもない。
不可思議で不透明であるが故に惹かれていく棘のような美しさだ。
「恥ずかしいなら先に帰ってていいよ?」
責める口調ではなくともはっきりと告げられたそれに、俺は試されているような気がした。
そう言われて帰る奴が一体何処にいるのだろう。
俺はすぐ傍にある松の木に寄りかかった。
「確かに人目は気になりますがここにいます。
そんな貴方を見るのも嫌いじゃないんでね」
意外そうな顔をしてから、<名前>殿は声を立てて笑った。
「好きだよ左近」
「・・はいはい」
よくもまぁそんな軽々しく口に出来るものだ。
俺がどれだけ思いを募らせて鼓動を馬鹿みたいに早くして告白したのかも知らないくせに。
水飛沫を立てて一人遊ぶ<名前>殿を眺める。
既に棘に気づき始めた俺はしかし手遅れなまでに彼に魅入られていた。



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