たまたま馬の散歩道で行き倒れていたから、一応は俺の国の民だろうと飯をくれてやった。
俺の顔を知る筈もないぼろぼろの着流しを身に付けた二十歳前であろうその青年は、
唖然とした様子で俺を見上げながら掠れた声で礼を言った。
そんな何でもないことを、そいつは神様とやらの巡り会わせだとでも思ったのか。
小田原城の城主の部屋の開け放たれた襖の向こう。
良く晴れた空を背景に、手摺りに腰掛けているそいつはもう三十分ほどその状態だ。
「なァおい、お前がやってることは斬首の対象だってわかってんのか?」
煙管を咥えながらそいつとは正反対の襖に背を凭れかけて、睨み上げるようにそいつを見る。
「わかってるよ」
丸腰のガキが俺から視線を逸らすこともせずはっきりと答える。
・・・わかってねぇだろうがよ。
俺が臣下を呼ぼうものならすぐにでもこいつは捕らえられるのに、
こいつには捕まる気も首を斬られる気もねぇ。
ましてや、逃げ切れるとも思ってねぇんだろう。
「で?何しに来たんだ」
こんなガキの相手をしてやるほど俺もヒマじゃねぇんだが。
そんなことを思いながらも問うとそいつは初めて目を伏せる。
「・・だから、その・・会いに来たんだって」
薄っすらと頬を染めるその様子は愚直な処女そのものだ。
ため息を吐く俺に怯む様子もなく、またそいつは熱っぽい視線で俺を見つめる。
「俺ぁお前と同じくらいの孫もいんだ、変な期待しねぇでとっとと帰れ」
実際この台詞を言うのも初めてではない。
あれからというもの、気付けばこいつはいつの間にか
五階であるこの部屋の手摺りに腰掛けている。
その度にこんな下らないことを言い、
俺が一時間も相手をしてやると飛び降りるように帰っていくのだ。
「期待するのは自由でしょ?」
「迷惑だ」
言い放つとそいつは傷付いたように視線を俯かせる。
面倒でたまらねぇ。
いっそ臣下に引き渡してやりたいが、
一方的であるとはいえ好意を寄せられている相手を斬首にするというのは些か気が引けた。
「じゃあ、今日は帰る」
顔を上げて拗ねたようにそいつは告げる。
見た目よりも更に幼い印象を受けるそいつの言動は
嫁まで娶った俺の孫とは似ても似つかない。
「また来ていい?」
「二度と来るな」
前回と同じやり取りをすると何が可笑しかったのかそいつは嬉しそうに微笑んだ。
手摺りから飛び降りてそのまま空の向こうへ消えたそいつに、俺はもう一度ため息を吐く。
「・・訳わかんねぇ奴だ」
手にした煙管を咥え直しながらあいつのいた場所をぼんやりと眺める。
最後のあの笑顔だけは確かに綺麗だったと、決して口にはしないことを思った。



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