デザートキングダム


スタディに行けば必ずと言っていいほど出くわすあの男のせいで無駄な時間を過ごすことになるとはわかっていた。
わかってはいたが所用があったのだから仕方ない。
そして自分もまたその男と無駄な討論を繰り広げてしまったのだから、こんな真夜中に帰路につくことになってしまったのも仕方のないことなのだろう。
重いため息を吐きながら夜中でもそう寒くはないキングダムの街中を歩く。
昼間はあんなに賑わっている街も、今は足音が響くほどに人気がなかった。
「・・・?」
そんな静まり返った街の一角でぽつんと佇む少女の姿が目に入った。
白なのか銀なのか、少女の色素の薄い髪が月明かりに仄かに反射している。
大通りからはよく見えないような路地裏で自分の足元をきょろきょろ見回しているその少女は、まるで何か探し物でもしているかのようだ。
いくら治安が良いとはいえこんな時間に若い女の一人歩きは珍しい。
歩きながらその様子を眺めていると少女はそのまま地面に腰を下ろし、ごろんと寝転がった。
「っ!?」
決してみすぼらしい格好をしている訳でもないその少女は自分の腕を枕にして目を閉じた。
特に考えもせず私が早足で少女に歩み寄ったのも無理はない。
少女の目の前で足を止めると目を閉じたばかりの少女は眸を開いて私を見上げる。
淀みない眸は青く、いつか故郷で見た海が一瞬重なった。
「こんなところで一体君は何をしているのだね?」
私が話し掛けても彼女は表情を変えることはなく、その視線だけを私に向けていた。
明るい月に照らされたその顔はガラス細工のように美しく、これほど路地裏の似合わない少女もいないだろうとそんなことを一人ごちる。
「・・寝てる」
口を開いた彼女は私の言葉をその字面通り受け取ったようで、自分の返答に何ら疑問を抱いていないかのようにそう返した。
「家はどうしたのかね?」
そうではなく何故こんなところで寝るようなことになったのだと、会話が二度手間になったことに苛立ちながらも聞き直す。
「旦那様の会社が倒産して、使用人を雇う余裕がなくなったみたい」
言う彼女は使用人であったのだろう、大事な説明が抜けているがそれくらいは理解できた。
いつまで経っても体を起こそうとしない彼女を見下ろすのにも疲れて、その場にしゃがみ込んで頬杖を付く。
「他に知り合いは? いないのか?」
私がこんなことを聞くのが不思議であるかのように彼女は首を傾けた。
いないと、変わらず無表情のまま答えた彼女の何が気になったのかはわからない。
ただこんなところで少女を野宿させるのに心が痛んだのかもしれないし、放っておくと自分が外道かのようで嫌だったのかもしれない。
「・・ではうちの教団に来るかね?」
私の言葉に彼女は漸くその身を起こして、ぱちりと一つ瞬きをした。


* * *


教団は教会も兼ねた施設であるため、主教を初めとして幹部が生活しているにもかかわらず施設自体には鍵があるような扉はない。
だが無論個人の部屋には鍵が付いている。
あの路地裏で寝るよりもずっと安全であることだろう。
「空いてる部屋はいくらでもある。一応は宗教団体なのでね、まぁ君みたいな者を受け入れるだけの設備は整っているということだよ」
好きなとこで寝たまえと最後にそれだけ告げて、私は彼女を振り返りもせずに自分の部屋のドアを開けた。
元々が書庫なだけあって部屋の半分以上を本が占めている。
数少ない家具の一つである椅子に腰掛けた私の視界の端で銀色の髪が揺れた。
「・・・・何をしている」
ごく自然な動作で私のベッドに乗りあがった彼女は、その言葉に悠長に振り返った。
「寝ようとしてる」
私が閉め忘れた部屋の扉を律儀に閉めるだけの頭はあるのに何故彼女には言葉が通じないのか。
「そこは私のベッドなのだが」
シーツに潜り込んで壁際に寝転がった彼女は、その整った顔を覗かせて空いているスペースをぽんぽんと叩いた。
「ここに寝れるから、大丈夫」
言葉が詰まったのはもちろん私に非があるからなどではなく彼女が自分の非を全く認識していないからに他ならない。
一時間ほど前に出会ったばかりではあるが、その一時間良好な人間関係を気付く為に愛想などの表情作りを一度もしなかった彼女がすべて本心のままに動いていることは理解し得た。
だからこそ、だ。
だからこそ彼女の行動が全く理解できない。
「確かに私は好きなとこで寝ろと言ったがね、そこは私のベッドなのだよわかるかい?
あんな路地で一人で寝ようとしてんだ今更寂しいということもないだろうに、君は一体どうしたいんだ?
そして君は自分が年頃の女であることを理解したまえ、見ず知らずの男のベッドに入るなど
何をされても文句は言えんのだぞ!?」
不可解さに溜まりに溜まった苛立ちを吐き出すように一息に告げると、彼女は初めて表情らしい表情を見せた。
大きな目を丸くしてきょとんとした彼女が驚いているのは単に私が大きな声を出したからだろう。
彼女は少し眉を下げて、のそのそとベッドから這い出た。
「・・ごめんなさい」
床にぺたりと座り込んだ彼女は腕を伸ばして本の山の上に置いてあったブランケットを取る。
そして躊躇いがちに私を見上げ、罰が悪いのか顔を隠すようにブランケットを広げて私を盗み見た。
「これ、使ってもいい?」
昔どっかの誰かが顔がいい奴はそれだけで人生得だなんて馬鹿馬鹿しいことを言っていたのを思い出す。
大衆が心を動かされやすいのはそれは不細工な者より端整な者であろうが、あくまでもそれは一般論だと思っていた。
「あー・・もしかして、君はそのまま床で寝ようとしているのか?」
未だにブランケット使用の許可を待っている彼女にため息混じりに尋ねると、彼女はまたしても平然と頷いてみせた。
「他の部屋のベッドに寝るという選択肢はどうした」
私の問いに彼女は不貞腐れたように頬を膨らませる。
「ひとりじゃないのに、ひとりで寝るのは淋しいよ」
世間一般ではこれを可愛いだとか言うのだろう。
ここで折れてしまっては私もその世間一般だ。
「もういい、ベッドで寝たまえ。目の前で女を床で寝かせるなど男が廃るというものだよ。まぁそんな使い古された性差論など持ち合わせてはいないがね」
天井を仰ぎたい気持ちで告げて、傍にある本の山の一番上の一冊を手に取る。
私は彼女のように床で寝るなど器用な真似は出来ないというよりもしたくない。
徹夜など日常茶飯事であると足を組んで本を開くと、まだ床に座り込んだままの彼女が私のズボンの裾を引っ張った。
「寝ないの?」
「え? あぁ、私がかい? 私はこれを読んでから寝ることにするよ」
くて、と彼女が首を傾げる。
「ベッドで?」
問う彼女は私にベッドで寝て欲しいとでも思っているのだろうか。
横暴な態度を取っておきながらそんなことを気にするとはそれほど先程の私の言動が堪えたに違いない。
だとすると何処か彼女が可哀想に思え、私はもちろんだと答えた。
だから早く寝なさいとまるで子供に諭すような気持ちで続けようとすると、彼女は驚くほどはっきりとした口調でだめだと告げた。
「嘘、吐いてるもん」
射抜くような真っ直ぐな眸から目が逸らせなくなる。
薄暗い部屋でも、いやむしろ薄暗い部屋だからこそ映えるその青い眸が一片の揺らぎもなく私を見上げていた。
「私が寝たいと思ったら寝るさ」
「一度読んだ本を開いてまで今寝るのを拒む君が後で寝るとは思えない」
目も表情も声も何一つ彼女は変わっていない。
ただその雰囲気がまるで別人のように鋭く、私はそれに気圧されていた。
「何故一度読んだ本だと思うのかね」
眉を寄せる私に彼女が怯む様子はなく、顔を背けて床に積み上げられた本の山の一つに目を遣る。
「こっちの山は表紙が上になってるからまだ読んでないやつ。
でも君が取ったのは表紙が下になってる山の本だから読み終わったやつ。
本当に本を読むつもりなら、こっちの山から取るでしょう?」
その観察力と頭がありながら何故もっと簡単なことがわからないのか。
「・・ここで寝る。だから、君はベッドで寝て?」
自分よりも小さく若い少女を床に寝かせておきながら自分がベッドでのうのうと寝るわけにいかないことも、当初の彼女の考え通りに一つのベッドに二人で寝るわけにいかないことも、頭を捻らずとも容易に導き出せる結論だろうに。
「つまり君は私がベッドで寝ないと納得しないと言うんだな?」
彼女が頷くのとほぼ同時に言葉を続ける。
「私は君を招いた以上、君がベッドで寝ないと納得しないのだよ」
さぁどう出るかと結果を予想しながらも目を真ん丸にした彼女を見下ろす。
そして私は恐らく訪れるであろうその結果に対する反論を既に考えていた。
「ね、ね。二人で寝ればいいの」
何か画期的な考えを思い付いたかのように彼女はぱっと表情を明るくする。
真っ白な頬を薄赤く上気させてキラキラした眸で私を見上げる彼女は、花の咲きそうな笑顔をその顔に浮かべた。
「っ・・」
その表情を目にしてついさっきまで頭に浮かべていた反論が吹き飛んでしまった私の敗北は、この時点で見えていたのだろう。
いそいそと再びベッドに乗り上がり私の腕を引っ張る彼女に逆らえないままベッドの上に腰を降ろす。
寝転がった彼女は嬉々として私を見上げ、さっきと同じように空いたスペースを軽く掌で叩いた。
「まったく・・」
何故私が一度読んだ本を開いてまで寝ようとしなかったのかは考えなかったのか、と今更思い出した反論を口にする気にはなれず。
負け惜しみのようにそれだけ呟いて、私はこの不可解な少女に大人しく敗北したのだった。


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