山崎君がいつもの報告を終えて不意にそういえばと躊躇いがちに口を開いた。
「どうした?」
自室で机に向かいながら書状をしたためていた俺は普段の明瞭とした山崎君には似つかないそれに顔を上げる。
「最近新選組の郵便受に毎日同じ筆跡で葉書が届いておりまして・・
 名前も宛名も書かれていなかったので一、二行中身を拝見したのですが」
困ったように俯く山崎君に俺も眉根を寄せる。
不逞浪士の脅迫状か何かだろうかと予想していた所に山崎君は正反対の事実を述べた。
「<名字>組長への熱烈な恋文でして・・あ、貴方との夜が忘れられないと冒頭に・・。ご覧になりますか?」
ぽかんと阿呆みたいに目を丸くして固まる俺を見て、山崎君は気まずそうに俺の名を呼んだ。
「あ、すまない・・!」
ハッとして表情を引き締めてからため息を吐く。
「悪いが山崎君、その葉書を全てここに持って来てくれないか?
あと<名字>も呼んでくれ」
承知しましたと足早にいなくなる山崎君を見送り、俺は額に指先を添えてまた長いため息を漏らした。
最近の<名字>の行動は目に余る。
巡察中に街娘に声を掛けたり、島原に通い詰め門限を破って朝帰りしたり。
しかもその全てが俺が不在の時に起こるため、問い詰めても本人は否定するわ最初告げ口した奴は途中で証言を変えやがるわで今まで注意出来ずにいた。
今日こそは言ってやろうと思ったところで山崎君の声がして襖が開く。
箱一杯の葉書を持ってきた山崎君の後ろには何故呼ばれたのか分からないといったように不思議そうな顔をする<名字>がいた。
「失礼します」
「そこに座れ」
俺の一言で雰囲気を察したのか<名字>は大人しく畳の上に正座をして俺を見上げる。
山崎君は傍らに箱を置いて失礼しましたと部屋を退出した。
俺は<名字>の目の前に腰を下ろし、箱を引き寄せてから中身を<名字>の前にぶちまける。
「読んでみろ」
怪訝そうな顔をしつつも俺の言葉に従った<名字>は一枚の葉書に目を通した。
暫くして<名字>が顔を上げる。
「えーと、副長からですか?」
真顔で聞いてくるもんだから性質が悪い。
今まで散々この口八丁に流されて来たが今日はそういう訳にいかないと<名字>を睨みつける。
「んなわけねぇだろ!」
怒鳴ると<名字>はびくりと肩を竦ませて、しかし何処か余裕そうに答える。
「そーですよね、冗談です。でもこれが誰なのか皆目わかりませんよ」
こんな男に惚れた女も馬鹿だと思うがここまで淡白だと同情の念すら湧いてくる。
「見当もつかねぇってのか?」
低い声色で詰め寄ると<名字>は首を傾げて眉根を寄せる。
「団子屋の唯ちゃんか呉服屋の千里さんか、島原の燕花ちゃんか白梅さんか風涼さんか、あと――」
「っ〜もういい・・!」
頭を抱えたくなる俺に<名字>ははぁ、と気のない返事をした。
「屯所に迷惑掛けてるなら探し出して止めさせますよ」
俺がこんなに真剣になって怒ってることが虚しくなるほど<名字>は飄々としている。
自分には関係のないことのような態度に怒りを通り越して呆れてきた。
「<名字>、お前は自重ってもんを知らねぇのか」
吐き出した俺の言葉に<名字>は視線を上に遣る。
罰が悪いとはまた違った表情だ。
「今回迷惑掛けたのは悪いと思ってます。次から名前も知らない子と関係持つのは止めます」
ちゃんと名前を聞いてから――と続ける<名字>に俺はもうほとほと呆れ果て、<名字>との距離を詰めてその両肩に手を置いた。
「あのなぁ・・お前が大した気もねぇのに女に手を出す度、傷付く女が増えるんだよ。
 そんな年の盛りだってのは分かるが少しは後先考えてだな――」
「年の盛りって、土方さんと僕なんて五つも違わないでしょ。
そう言う土方さんはどうしてるんです?
島原に出掛けるとしたら仕事の時で女を買うわけでもないし、恋人の噂だってからっきしですよ」
俺の目を覗き込みながら<名字>は首を傾げる。
俺の話など左から右へだ。
もう何を言ったってこいつには通じねぇんじゃねぇかなんて思い始めた矢先、不意に<名字>は笑みを浮かべた。
思わず心臓が鳴ったのは単に<名字>の顔が無駄に整ってる所為か、はたまた不敵なそれに言い知れぬ凶兆を覚えたからか。
「出すもん出さないと体に良くないですよ。それに苛々してるのもきっとその所為ですって。たまには女や酒で気晴らししないと――ねぇ?」
急に艶を帯びた声と表情に俺は何故だか焦りを抱く。
その雰囲気に昔島原で芸者を口説いていた時の<名字>が見えた気がした。
「僕で良ければ手伝いますよ?」
訳の分からないことを言った<名字>の手が俺の襟元に伸びる。
制止する間もなく襟元を引っ張られた俺の唇には<名字>のそれが触れていた。
状況を理解するより早く<名字>の舌が侵入してくる。
漸く動いた右手がその胸を押し返そうとしたが、この華奢な男の何処にそんな力があるのか<名字>はびくりとも動かなかった。
「ッ・・離、ん・・!」
言葉を発しようとしても<名字>の舌が邪魔をする。
その襟を握り締めて引き倒そうとした俺の視界の先で部屋の襖が勢いよく開いた。
「なぁトシ、この間の――」
目を真ん丸にして固まる近藤さんに弁解しなくてはならない、だがそれにはまずこの馬鹿野郎を引き剥がさなければと混乱を極めた頭で考えるが一向に行動には移らなかった。
「す、すすすまん!」
目に見えて慌てた様子で近藤さんが襖を閉めたと同時に<名字>が俺から体を離した。
呆然と近藤さんがいなくなった後の襖を見つめる俺とは対照的に、<名字>は至って冷静な顔をして口を開く。
「すみません土方さん、弁解して来ますね」
立ち上がった<名字>のその真意が説教から逃れるためだと何処かでわかっていても、俺は曖昧に頷くことしか出来なかった。
「・・<名字>」
依然驚きの抜けないまま、立ち去ろうとした<名字>に声を掛ける。
襖に手を掛けたまま<名字>はゆっくりと振り返った。
「お前は衆道の気があるのか・・?」
俺の質問に<名字>は驚くことも怪訝な顔をすることもなく、その顔はこの部屋に入って来た時とまったく同じものだ。
「まさか。だったら島原通いなんてしてませんよ」
その表情にもさっきまでの艶めいた笑みはない。
「・・それもそうだな」
つくづく<名字>という人間が分からなくなる。
説教を逃れる為だからといって誰が好き好んで男に口付けなどするだろうか。
「失礼しました」
何事も無かったかのように<名字>は部屋から出て行く。
しかし襖を閉める手を止めて、あぁ、と<名字>が思い出したように声を漏らした。
「何だ?」
俺を見据えた<名字>は笑っていた。
口の端をつり上げた物の怪のような笑みはそれでもぞっとするほど美しい。
「もし気晴らしが必要になった時はいつでも呼んでください。喜んでお手伝いさせて頂きますから」
驚きに口も利けない俺の返事は待たず、<名字>は部屋を出て行く。
同じ女とは二度寝ないとか抱かれたら最後死ぬまで虜だとか、以前耳にした<名字>に関しての下らない噂がふと頭に浮かぶ。
最悪の方法で流された自分に遣る瀬無さを抱きながらその噂もあながち嘘ではないのかもしれないと、馬鹿げたことを思った。


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