長州の藩士が何やらよからぬ計画を立てているようだ、 そんなことを朝の会議で険しい顔をした近藤さんが告げた。 どうやらもうその藩士たちが会合をしている場所まで掴めているらしく、 しかし確信はないからこちらの正体がバレて身を隠されてしまわないように 総司と<名字>君に行って貰いたいなんて、 重要な任務を任されたことに僕はいつも通りの心境だった。 浅黄色の羽織は留守番で、<名前>君が普段着で夜の京の街道を歩く様子はとても任務とは思えない。 だがいつだって僕らは腰に帯びた刀を抜き打つ気でいた。 「人の気配がまるでないね」 その入っていたのか曖昧な気合でもこう退屈では姿を消してしまう。 料亭の一室を向かいの旅館から眺め続けて半刻、飽きた僕はため息混じりに呟く。 「んー」 隣で寝転がりながら窓の外を眺めていた<名前>君は特に気にもしていない様子だ。 ふと襖の向こうから女将の声が聞こえる。 立ち上がった<名前>君は襖を開けて女将から書状を受け取り、中身を見るとすぐに懐にしまう。 燃やす様子がないことから大したことは書かれていなかったのだろう。 「帰っていいって」 苦笑して告げた<名前>君の言葉に僕が顔を顰めると、宥めるように<名前>君の笑みは深くなる。 無駄足だったと並んで屯所へ戻る帰り道、ほとんど同時に僕らは会話途中の口を閉ざした。 「僕右」 「じゃあ僕後ろ」 囁くほどの小さな声を出した<名前>君に続いて答えると<名前>君は僕と目を合わせずに地を蹴る。 一瞬遅れて僕も振り返り、曲がり角まで駆けて刀を抜く。 「うわああぁああぁ!」 耳を劈く掛け声が終わる前に白刃は滑らかにその体を真っ二つにした。 血飛沫と共に男は地面に崩れる。 その隣に立っていた男は仲間の死に恐れでもしたのだろうか、 手にした刀をカチカチと震わせて死体を目を見開いて凝視していた。 「ひいッ!」 ため息さえ吐きそうな思いでその男の刀を弾いて逃がさないように腕を掴む。 「抵抗したらそこの奴みたいになるって、わかってるよね?」 微笑みを浮かべながら睨むと男は小刻みに頷く。 こんな明らかに下っ端みたいな男が大した情報を握っているとも思えないけど、 今はこいつしか生きていないんだから仕方ない。 ちょっと軽率だったかなーなんて思った直後に一つの気配を見付けた。 月光に白く反射する刃。 振り返って見えたそれに僕は舌打ちをしながら一度納めた刀を左手で抜こうとする。 「総司!」 知った声が聞こえた途端、刃はぴたりと止まる。 男の胸を貫いた新しい刃はその背後から突き刺さっていた。 「ごめん、油断し――」 自分が斬られようとしていた事実を知っても、僕の浪士を掴まえていた手は緩まなかった。 しかし斬られた浪士が倒れる先に見えたものに僕の時間は止まる。 音の無くなった世界で真っ赤な鮮血が噴き上がる。 いつの間にか僕に背を向けていた<名前>君の向こうに見えたそれ。 それが今<名前>君の正面に立っている男のものでないと分かったのは、 その男の顔に返り血が飛んでいたからだ。 ここからでは<名前>君の背中しか見えない。 未だ動かない彼の様子は何一つわからなかった。 傷の深さも<名前>君の表情も――まだ、彼が生きているのかも。 背筋を震わした吐き気に現実に戻った僕はただ声を上げていた。 「<名前>君!」 次いで<名前>君の正面にいる男の首が刎ね飛ぶ。 止まっていた<名前>君が動いたことで胸に広がっていた氷のような絶望は焦燥に変わる。 僕の手の中に既に浪士の腕はなかった。 「<名前>君!斬られたの!? どこを!?」 駆け寄ると<名前>君の右腕はぱっくりと裂け、溢れんばかりに血が流れ出している。 しかし致命傷で無いと判断した僕は安堵しながらも手ぬぐいで<名前>君の腕の上部をきつく縛った。 「屯所に戻ってすぐに医者に看てもらおう!」 怪我に慌てる僕とは反対に、苦痛に顔を歪めつつも<名前>君はぐいと僕の肩を押し返す。 「早く追って!今ならまだ間に合うから」 痛みを押し潰したような声色の<名前>君が何を言っているのかはすぐに理解できた。 しかし僕は首を振ってそれを拒絶する。 「僕なら平気だから、早く!」 <名前>君が口を動かす度に腕の傷からはこぷりと塊のような血が噴き出る。 「平気な訳ないだろ!? 下手に動いたら失血死するかもしれないのに・・っ それに残党がいたらどうするのさ! 利き手が使えないのに無茶だ!」 見慣れた血である筈なのに、 それが<名前>君の体から流れているというだけでこんなにも嫌悪感を抱く。 驚きと焦りと、そして僕を庇った為に負った傷であることの後悔と罪悪感で とても今の僕は冷静ではいられなかった。 取り乱す僕に感化されてか<名前>君の口調も荒くなる。 「何だよ!? 斉藤や新八でも同じこと言うのかよ、違うだろッ? 見くびんな!」 「言うよ!言わなかったとしても<名前>君を一人には出来ない!」 「ふざけん――」 「当たり前だろ!一君や永倉さんとは違うッ! 僕にとって君は特別なんだよ!」 互いの怒声が一瞬で治まる。 激昂の表情を浮かべていた<名前>君の眸が大きく見開かれたのを目にして、 僕はやっと自分が何を口走ったのか知った。 「・・な、何それ・・特別って何だよ・・?」 ひたすらに驚いた顔をする<名前>君は僕の目を見つめるばかりだ。 後悔の渦に飲まれそうになった僕は真っ赤に染まる<名前>君の右腕を目にして正気に戻り、 <名前>君から一歩離れる。 「とりあえず屯所に戻ろう・・ 今から追っても間に合わないし、逃げた奴が仲間を連れてきても厄介だ」 地面に落ちている<名前>君の刀を拾いその背中を押す。 別人のように大人しくなった<名前>君は半ば放心したように屯所まで歩き、 その間僕らは一言も喋らなかった。 |