肆



 「─おいっ、大変な事態が起こった…、里の禁術が、奪われたぞ…!」


 なんだと
それは まさか……




「─角都だ!」




 何てことだ、あいつ……



「屋敷は今惨事だ…!上役達が揃って殺された!!」

「奴は今何処だ…!」

「どうやら禁術を奪って大瀧門へ向かっているらしい…屋敷の警備兵に息のある者がいる…!!」

「そこへ案内しろ!」









薄暗い独房の中にあちこちから叫び声が木霊する。


少し前にも脱獄者が看守を殺害して逃亡したとの騒ぎが起こっていたが、今 その犯人が解った。



「角都よ、お前は………」

遂にこの日が訪れてしまったか。



永良は落胆の色を隠せず、その場に膝をついた。


配管から時折滴る雨水の音だけが 暗い房内に響く。



いつか いつかこの日が来ることは覚悟していた。


自分とて 同じ気持ちだからだ。


この里が憎い。この里の体質が憎い。
脈々と受け継がれる古からの仕来たりと風習─


里の命令は命よりも重鎮



苦楽を共に戦い抜いてきた二人の武士は いつしか戦友と呼べる程に互いを認めていた。

いつか里を変えたいと語る永良。

それを無駄だと悲観する角都。

だが、互いの想いは同じだった。





「お前は…その道を選ぶというのか………」



自分達は任務を遂行出来なかった。

出来なかったが故に、今ここで幽閉されている。



期限など無い。
全て 上役共のさじ加減で忍の寿命は決まるのだ。








「永良」



唯一の小穴から急に声がした。


今まさにちょうど、月が見える。





「角都か─」





姿は互いに見えないが、この岩壁の向こうには紛れもなく問題の張本人がいる。



「貴様も来い、永良…」


声は小さいが何処か懇願するように力強く言葉を発している。




「何て馬鹿な事をした…!角都、禁術を奪って逃げ切るなど不可能だ。……今ならまだ間に合う…捨てて今すぐ身を隠せ!!」

しかし角都は落ち着いた返事。



「もう後には戻れん。俺は積年の恨みを晴らし此処を出る。貴様が来なくてもそれは変わらん」




何を言っても無駄だというように角都は決心を口にする。

「頭を冷やせ…、そんなことをしたところで解決にはならんのだ…!お前の気持ちは確かに解る。だが…! 失うものが 多すぎる─」



「承知の上だ」




岩壁から角都の気配が離れた。


「待て!!行くな角都…!」




一瞬、躊躇いの間で佇む気配を感じたが、次の瞬間にはそれさえ掻き消されていた。










翌朝、嫌な感じがして目を覚ます。足音が近づく。
それは永良の独房の前で止まった。


「………、角都が里を抜けた。お前に頼みたい事がある…」


ギギギィ…と鋼鉄の扉が開く。そこに立っていたのは里の上役の一人、貊裡(はくり)だった。


こいつはいつも奔放にふらふらと屋敷を離れる事が多い。

それが吉となって今回は生き延びたか。



「……里の恥である俺に、今更何の頼みだというのだ…」


じゃらりと鎖を鳴らして永良は目を光らせる。


「話は後だ……。とにかくここを出ろ」









予想以上に屋敷の中は惨劇だった。
辺りは血生臭い死臭が漂い、陰鬱な空気が更に肺を満たして息苦しい。

「こちらに、ご遺体が……」
頭部と胸部に包帯を施した警備兵が、力無く場所を促す。


通された場所は 談の間 で、正に会議中のところを狙ったのだろうと窺える。


そこには五体の屍が無惨な姿で倒れていた。昨夜から手付かずのままのようだ。


「一人を残し全員、心臓を抉り取られておる…奴は既に禁術を使い、最早常人の体では無くなってしまったようだ」




「………」




滝隠れの里の上階級衆は八人だが、貊裡を含む三人は生きている。その少数でさえ、彼等の権力は絶対的な力を持つ。


「永良…お前にやって貰いたい事がある」


貊裡の背後から白髪の老人がゆっくり歩いて来る。

朔呂(ざくろ)が神妙な目付きで永良を捉える。


「角都を追え。そして始末しろ」


生暖かい風が二人の間を通り抜ける。



「長年共にいたお前にしかできぬことだ。奴は最早故郷を失った罪人…お前の手で かたをつけてやれ」



有無を謂わせぬ圧力で永良に酷言を突き付ける。






「……断る」



静かにそして地を這う低音が鼓膜を震わす。



「永良よ、お前に選択肢は無い。この事態が他国に知れる前に我々の手の中で治めねばならぬ。お前とて一人の士だ…事の深刻さは解っておろう」



朔呂の眼光が鋭く刺さる。永良は視線を外さない。




「貴様等の考えには賛同できない。何故角都が里を抜けたのか…解らんとは言わせんぞ。確かに奴は今犯罪者に成り下がった……だが、この里が変わらなければ惨劇は繰り返す。俺達に未来は無い。………解ったら早く牢へ戻せ」


永良はそう言い、自ら狭暗な独房への階段を降りていった。













何日も寝苦しい夜が続いた。

やっと意識を手離したと思ったら悪夢で目が覚める。それの繰り返しだ。



ふと、人の視線を感じ体を起こすと 鉄格子の向こうに影が立っていた。




「やはりお前にしか頼めん。奴を追うのだ…この儂(わし)の命には逆らえんぞ」


朔呂が静かに佇んでいる。



「……しつこいぞ。俺達は貴様等に里の汚名を着せられ屈辱を受けた。尚も保身の為に都合良く俺を利用しようと言うのか。それに角都の気持ちを一番理解しているのは俺だ─そんな命には従えんな」


怒るでもなく、罵るでもなく ただ事実を口にした。




「──そうか、 ならば仕方ない。………やれ。」



鋼鉄の格子を破壊して房内に入ってきたのは、奇妙な面を付けた暗部だった。



「内輪の恥は内輪で片付ける。それがこの里の掟ぞ…貴様は奴の情報を持ちすぎておる。里の為に動けぬのなら………、─悪く思うな」



目の前の暗部は、無言のまま攻撃体勢に入ったが永良は目を見開いた。

そいつの手に収まったモノ─あろうことか永良の愛刀を持っていた。



「………貴様……」













あまり記憶は無いが、辺りに飛び散る血飛沫で "終わった" と永良は思った。



鬼刀を抜き取り、足元に這いつくばる朔呂を跨いで独房から出た。


掠れたか細い声がした。


「何処へ…行く……」


「…………貴様等は心底腐り切っているな…暗部を使ってまで口封じとは……。俺は此処を去る」



匍匐前進しながら老人は叫ぶ。


「赦さんぞ永良…!この儂の命に背いたばかりでなく、内情を知っての里抜けなど…!赦さんぞ…!!」



何処からか数人の足音が駆け足で近づく。


「それはこちらの台詞だ…。俺は必ず復讐する。次に戻って来た時は──貴様等三人の命は無い。」


永良は静かにその場を離れた。







「無事ですか朔呂様…!!」

「いたぞ!医療班を呼べ!」


駆け付けた上忍達に囲まれ朔呂は怒りに震え叫んだ。


「儂のことはいい…!!早く永良を追え…!──見付からなければ賞金を懸けてでも捕らえよ!!」


唾を飛ばし目を血走らせ鬼の形相で上忍達を叱咤する。


「賞金首、ですと…?」


一人の側近が、訝しげにしゃがみ問いかける。


「そうだ…奴は角都以上にこの里の内情を知っておる…」











「賞金額は 一億両だ」















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2012.8.21
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