漸く眠れると思っていた己の冀願が浅はかだった。やはり一度悪に身を落とした人間には安息の場所など在りはしないのだ。
フワフワと微睡んでいた俺の魂は、強制的に麻酔から覚醒させられるように突如として縛られ、急激に現世へと引き戻された。
―拒絶する器が魂を徐々に喰らい始める
―白無の視界が色付き始める
漸く 俺 という個体の認識を実感すると、重力を感じ起立している状態であることが判明した。
「やぁ。久しぶりだね、サソリ。」
そこにはいつぞやの俺の部下らしき男が立っており、口元にはうすら笑みが浮かんでいた。
風貌も雰囲気も当時とはまるで別人のように感じるが、あの嫌味なインテリ眼鏡は健在のようだ。
『…カブト、か…。』
俺はこいつに蘇生させられたようだ。かつて こき使われた主を呼び起こすなど余程の理由があるらしい。
それに今こいつは俺の名前を呼んだ。立場逆転ということか。
「上手くいったようだ…。実は今予行練習中でね、傀儡だった君をちゃんと転生できるか試していたんだ。」
予行練習―
つまりこれから何らかの事が始まり、それに俺が使われるということか。
『……今の俺には仕込みも無い。傀儡も無い。そんな奴に何を求める。』
カブトは眉を下げ笑った。
「今はそんな君すら手を借りたい時なんだ。とにかく頭数が欲しい。そして欲を言えば優秀なね…。僕が言うのもなんだけど、君は結構強かったと思うよ、サソリ様。―あぁ…、君以外にも転生に成功した忍はいるよ、、、彼とかね。」
そう視線を向けた先から、何やら近づいてくる人影が目についた。
『――!!』
「今は大人しくしてもらってるよ。転生直後は大変だったからね。でも久々のコンビ再会という感動的な場面だから、明日の朝までは自由にしてあげるよ。」
そう言ってカブトはデイダラの背後から札の付いたクナイを抜き取った。
「―――…、」
人形のような表情のデイダラに少しずつ生気の灯が灯る。
そう その目だ。俺の良く知る 生意気な目。 その目で睨み、その口で喚き、その拳で何度も俺を威嚇したデイダラのそれだ。
「……?サソリの、旦那…?」
視界が機能したようでデイダラが俺を認識した。
「何で旦那がここに…っておいカブトォ!!さっきの途中だったろ、うん!?つか何でサソリの旦那まで蘇らせてんだよ!」
何かを思い出したかのように急にカブトに食ってかかる。
「大人しくできないようならまたこれを使うよ。せっかくの再会も感情が無ければ意味が無いんじゃないのかい?」
カブトは手にしたクナイを目の前でチラチラと振る。
途端にデイダラは静かになった。
「ったく…君のその攻撃的な性格にはウンザリだよ。僕は煩い奴と体育会系は苦手なんだ。」
そう言うとカブトはスタスタと部屋の出口へと歩いていく。
「まもなく世界は戦争になる。それまではまた眠っておいてもらうけど、今はアジト内なら自由にしていい。もちろん結界を貼ってあるから逃げ出す事は不可能だけどね。明日の朝また来るよ。」
振り向き際に不敵な笑みを残しカブトは去って行った。
「…」
『…』
「ざまぁねぇな、旦那…」
『…あ?』
「オイラ達、死んでからも戦いに駆り出されんだぜ…うん。」
デイダラはクツクツと笑っている。
そう言えば戦争がどうとか言ってやがったな。要は俺達は戦の駒か。
『あぁ、そうみてぇだな…』
正直 そんなことに興味はない。元部下に利用されるのも癪ではあるがどうでもいい。
しかし目の前の相方はどうやらそれが不服のようだ。
「カブトの野郎…自分の都合で勝手に人をこき使いやがって!!オイラ達だけじゃねえ、他にも何百といるんだぜ。旦那は何も思わねえのか!?うん?」
露にしたい怒りを何とかこらえているデイダラが俺のいる方向へ顔を向ける。
「おまけに変な札埋め込まれて自由に動けやしねぇしな。」
俺の肩越しの壁を睨みつけている。
「次に目が覚めた時ゃ確実に感情消されてるんだろうな。」
未だ視線が交わらない。
「そん時は『おい―』
暫しの沈黙が空間に満ちた。
『お前は今何を考えている。』
合いそうで合っていない目が 一瞬揺れた。
『何にそんなに怯えてる…』
「別に、怯えてなんかねぇ…」
デイダラは更に視線を斜め下に下げた。
『嘘をつけ。なら俺を見ろ。』
その言葉にデイダラは鋭い視線を寄越した。
やはり揺れている。
いや、これはきっと俺にしか解らないだろう。
ゆっくりとデイダラの元へと歩を進める。
強く光る眼光の奥がまた更に揺れた。
『デイダラ』
そっと頬に触れる―
「――!!」
零れんばかりの目を開き、それをきっかけに奴の虚勢は崩壊した。眉間に深い皺を作り辛そうな表情になる。
『……俺に、会いたかったか?』
奥歯を噛みしめ伏せ気味な瞼が震えている。
『…先に逝って悪かった』
はっとデイダラは瞼を上げた。
そしてまた辛そうな顔をして唇を噛む。
それでも俺は真っ直ぐに奴の瞳を見つめた。奴に触れる手に こいつはそっと手を添える。
『お前の最期を見てやれなくて、すまなかった…』
「旦那、―」
そして俺は静かに目の前の存在を抱き締めた。
実に久方ぶりの感覚だった。
「…旦那っ――!」
ぐっと背後の衣服に力が入った。
奴の腕が頼り無く俺の背中を掴む。
『お前を置いていったことが、俺の唯一の心残りだった。』
それは腕の中で小さく震えている。
更に力を込めた。
『デイダラ、俺はお前に 会いたかった…』
ひゅっと息を飲む音と同時に、デイダラは別人のような力で俺にしがみついた。
「――だ、んなぁっ………!!!」
デイダラの大きな目から、大粒の涙が落ちた。
「オイラだって会いたかった…すげぇ嬉しいのに でもおんなじくらい怖ぇんだ…またオイラは旦那を失っちまうんだと思ったら…!!」
『デイダラ、今はそんな先の事なんて考えるな…。ここにいる、俺を見ろ。』
久しぶりに見たデイダラの涙は、宝石の如くキラキラと流れ本当に綺麗で狂おしい程愛しく感じられた。
その涙が止まるまで 俺は静かにそれを目に焼き付けていた―。
部屋に窓が無いせいで今の時間が解らない。最も、転生させられた時間すら知らされていないので計りようもないのだが。 明朝まで後どのくらいあるのだろうか。
知ったところで意味など無いに等しいが、心の準備をしておかねばならない。
本当に怯えているのは 俺のほうだった。
「…旦那、あったけぇな、うん。」
何処と無く嬉しさを含んだ声が懐から響いた。
『俺だって血が通ってりゃ体温くらいある。』
漸く互いを互いの瞳に映し見つめ合う。
「オイラにとっては一大事だけどな、うん。」
確かに、改めて己の身体の感覚に意識を向けると かなり違和感がある。
こんなにも五感に振り回され、僅かな空気で気持ちが動く不安定なものだったろうか。
随分と昔に失われた感覚に少なからず俺は当惑していた。
だが、変わらないものが一つ…
こいつへの想いは寧ろ繊細さを増して膨れ上がっている。
今まで気付けなかった、こいつの匂いや吐息の湿温が俺の細胞を振動させる。
生きた身体で人を愛するというのは、こんなにも苦しく 喜びに支配されるものだったのか。
『外、出るか』
何だか急にむず痒くなり、デイダラの視線から逃れ部屋の出口を見る。
俺達はアジト内を歩くことにした。 部屋の外に出て通路を進むが、思いの外広く しかも暁にいた頃のものとは違い本格的に設備が整っている。きっとカブトの性格なのだろう。
ふと、中庭らしき場所が目に止まる。庭という程の手入れがされているものではないが、そこには簡素な木製の長椅子が置かれていた。
乾いた土地のアジトのようで土埃がたまに舞っているが、射し込む夕日がそこを綺麗な橙色に染めていた。
「どうした、旦那…うん?」
立ち止まる俺に気付いてデイダラも足を止める。
『外の空気が吸いてぇ。』
目を見開いているデイダラの横を通り過ぎ、俺は外の長椅子へと向かった。
そりゃそうだ、今までそんなこと言った事なかったからな。
肺すら無かった。
その空間はアジト内とは思わせぬ程和やかな風が吹き、夕日を浴びた顔はじんわりと熱を帯び始めた。 眩しい日射しに瞳孔は収縮し目を細める。
『デイダラ、お前はこの世界をどう思う。』
隣に腰掛けるデイダラへ問いかける。
「この世界か?そうだな…うん。」
俺は向けていた視線を再び橙空へと戻した。
『今日の次に訪れるものは 明日だと思うか』
途中でデイダラははて、と此方を見る。
『この世界は何が起ころうと 変わらず日は沈みまた昇る。……だが、俺達には確実な"明日"は無い―』
俺は目に映る空よりも もっともっと奥の世界を見た。
「そう、だな…」
俺の視線に合わせデイダラも夕闇空を見上げる。
こんな争いばかりの世の中で、俺達は何の為に存在し何処へ向かっているんだろう。
それでも俺は
再びこの鼓動が消えるまでの命を こいつの為にと願う。
だが今は他人に操られるだけの本当の"朽ちぬ身体"になってしまった…皮肉なものだ。
「でも、それでもオイラにとってはこの世は芸術的だ…!どんな世界にだって刺激は必要だろ?うん。」
相変わらず生意気な持論を語るその笑顔が懐かしい。
「それに、この世界だからサソリの旦那に出逢えたんだ…うん。」
そう言って照れくさそうにはにかんだデイダラが酷く眩しく見え、俺はその言葉に 心の中の怯えが和らいだ。
―あぁ、こいつは俺なんかよりずっと "生きる意味"を理解していたのかもしれない―
気がつくと、空はいつの間にか満天の星で埋めつくされていた。
この位置からは月は見えないが、宝石箱を散らしたような星屑の明るさに心が浄化されるようだった。
互いにぐるりと夜空を仰いでいたせいで知らぬ間に俺達は長椅子で背中合わせになっていた。
こつん、と後頭部同士が当たる。
「なぁ旦那、星が綺麗だ…うん。」
『あぁ…。』
「やっぱこの世界も捨てたもんじゃねぇだろ、うん?」
『……そうだな。お前に出逢えたからな。』
ぽつり、ぽつりと交互に会話を続ける。
こんな他愛もないやり取りを過去にできなかった事が残念でならない。
あれほど望んだ父と母の温もりすら凌ぐ程の想いが今、胸の中に溢れている。
もう一度この身体で
お前と共に生きたい
それが叶うのなら俺は
世界が破滅しても構わなかった
どれくらい経ったのだろうか。
眠っていたのか起きていたのかわからぬ程に、静かな時を過ごした。
互いに背中合わせのまま、目を閉じ存在を感じていた。
辺りの空気が徐々に軽くなる―夜明けだ。
『デイダラ。』
長い静寂を破ったのは俺だった。
「なんだい、うん?」
それを待っていたかのような、心地よい返事が返ってきた。
俺はゆっくりと身体ごと後ろを向いた。
デイダラの蒼い瞳をじっと見つめる。
『…次に目覚めた時は戦争だ。感情があっても無くても、この気持ちは忘れろ…いいな。』
しっかりと俺を見据えた瞳は今度は揺れなかった。
『最期に、一つだけ頼みがある…』
俺はデイダラの後頭部に手を添えた。
『お前が俺を忘れても 俺がお前を置いていっても……この感触だけは、忘れないでくれ――』
二人の唇が、重なった。
朝陽が昇る―
新たな運命の始まりを告げるかのように、二人は光に包まれた。
重なる互いのそこは柔らかく、初めて確かな熱を感じた。
※相互記念 夏氷様への捧げ物