月光の夜に



鬱蒼と生い茂る森を包むのは、真っ黒い空とそれを照らす星と月だった。夜空に散りばめられた銀の星はチラチラと輝き、月は淡くほんのりとした白を纏っている。風は森を優しく過ぎ去り、梟は小さく鳴く。
静寂が支配する月光の夜に、地を踏み鳴らす足音が2つだけ存在した。冷たく温もりの無い手と、血の通った温かい手を重ねて握り、2人は森を駆け抜けた。
「旦那、」
デイダラは立ち止まり、先を走るサソリに小さく声を掛ける。その声は僅かに不安を含ませ、額には汗を滲ませている。辺りをキョロキョロと見渡してみてもただ木が生い茂けるだけで、此処が何処なのか、そして今、どの国に居るのかデイダラには検討がつかなかった。
「やっぱり嫌だったか、もし嫌なら…──」
「──違う!」握りしめた手をそっと離そうと開かれたサソリの手をぎゅっ、と握りしめ、デイダラは強く否定する。僅かに声を沈ませたサソリにデイダラは睫毛を伏せ、目元に長い影を作る。地面に生える草に視線を落とし、デイダラはぱちり、と瞬きを1つした。そしてゆっくりと睫毛を持ち上げ、聢とサソリを見つめる。アイスブルーの瞳は真摯な眼差しで目の前のサソリを捉えた。「オイラ旦那に着いて行くって決めたんだ、嫌にはならない。けどここ数日間旦那走りっぱなしだろ?ここらで身体を休めよう」
「そうだな…お前のことを考えて行動すべきだったな」
サソリは申し訳なさそうに返事をし、周囲を見渡し人の有無を確認する。この場所に居るのはサソリとデイダラだけと認識すると、サソリはデイダラの手を引いてその場に腰を下ろした。「寒くないか?」
身体をピタリとくっつけてくるデイダラにサソリは優しく訊ねた。夜は空気が冷え、風通しの良い外套と薄い生地の忍衣装だけでは生身の人間は直ぐに体温を奪われてしまう。サソリは自身の外套を脱ぐと、隣のデイダラにそれを着せてやる。外套を二枚重ねて羽織るデイダラは「ありがとう」と、にっこりと微笑むと、空を見上げた。アイスブルーの瞳に映る景色は、濁りの無い空と、暗闇を彩る白い月と、それを囲うように散りばめられた星々だった。
──まるで、この世界に旦那とオイラだけが存在しているみたいだ。
数多の星は空に川を作り、月は柔らかく輝く。
穏やかで優しい夜空を眺めながら、デイダラはサソリの肩に頭を乗せた。

数週間前の任務の最中、デイダラは大怪我をしてしまった。敵に毒を盛られ、意識が朦朧としている中で、酷く焦燥したサソリの顔を見た。そのまま意識は微睡みの中へと吸い込まれてしまったが、次に目を覚ました時、屍が散らばるその場所で心配そうに自分を見下ろすサソリが居た。アイスブルーの瞳をゆっくりと開くと、サソリは目を見開き、ふぅっと息を吐き出して安堵した。そしてこう言ったのだ。『この血濡れた忍の世界から抜け出さないか』、と。
その言葉を聞いた時、デイダラは目を見開いた。暁にしか居場所のない自分達犯罪者は『普通』に生きている人間達とは相容れない。暁を抜けてしまったら居場所も、帰る場所も無くなってしまうのだ。そうしたらきっとサソリも生き抜いていくのに大変な思いをしてしまう。自分はどんな過酷で残酷な運命でも乗り越えられる。それはきっとサソリも同じだ。けれどその所為で本当は優しい心を持っているサソリが何れ傷付くことが怖かった。流せない涙を堪え、悲しみや辛さに核を痛めてほしくなかった。だから「でも、」と言葉を紡ぎかけたその時、表情に憂色を滲ませたサソリを見た。普段は滅多に変わることのない表情を悲しみに染めて、心配げにデイダラを見つめていたのだ。そんなサソリの表情を見てしまったら、紡ぎかけた言葉は口から出てこれなくなってしまった。その代わりデイダラは痛む身体を堪え、ぎゅううっと強くサソリに抱きついて返事をしたのだった。


「旦那、明日は何処へ何を探しに行こうか?うん」
瞳は夜空を捉え、デイダラはサソリに訊ねる。
「そうだな…景色の綺麗な所へ行ってみるか」
肩に頭を預けるデイダラの髪を梳きながら、柔らかい声色で応える。絡ませた指をゆったりと下へ滑らせ、滑らかな質感を楽しむように蜂蜜色の髪に指を流す。髪を撫でられているデイダラは、サソリの指が髪を滑るのが心地いいようで、瞼を綴じてアイスブルーの瞳に闇を閉じ込めた。
「オレがお前を護るから」
力強く告げ、サソリは見下ろしたデイダラの唇にそっと自分の唇を重ねて誓った。「うん。オイラは旦那の傍を離れないからな」
ぱちりと瞼を開き、デイダラは目を細めて幸せそうに微笑んだ。
きっと長年属していた暁を抜けた自分達を、メンバーは赦しはしないだろう。暁を裏切ると言うことは、今まで一緒に泣いて、笑って、喧嘩して、悲しみや辛さを分かち合った大切な仲間だったメンバーと殺し合わなければならないのだ。そんな現実に胸が痛んだが、デイダラは他の誰よりもサソリと共に生きていきたいと思った。尊敬して大好きなサソリとなら、血に染まった世界でさえも美しく見えてしまう。
「もう寝ろ。明日も早朝に此処を出る」
「うん…おやすみ、旦那」
「おやすみ」
緩やかに髪を撫でるサソリの指を感じながら、デイダラは襲ってくる眠気に意識を委ねた。



「旦那はさ、″探している何か″はもう見つかったのか」
遠くの空はまだ薄暗く、人間も動物もまだ眠っている時間帯。サソリとデイダラは周囲を警戒しながらも、緩慢な足取りで森を抜ける。一時はデイダラの鳥を使って何処か遠くへ逃げることも考えたのだが、あの白く大きな鳥では目立ちすぎてしまう。何処へ逃げたって暁は自分達を始末しに追ってくるのだから。それならば、暁に居た頃は見つけられなかった『本当に求めるもの』を探しにデイダラと旅をするのも悪くないと思った。あの頃は毎日ただ人を殺し、その中に自分の謳う芸術を刻み続けていた。色を無くした瞳で恐怖に染まる人間の顔を見て、断末魔を耳にし、流れる血をぼんやりと見つめる。そんな残酷で命の終わりを告げる光景を長い間見続けている中で、もうとうの昔に棄ててしまった心が泣いた。──″本当に見たいのはこんな景色じゃない、本当に求めるものはこんな冷たい現実ではない″と。


「いや…まだだ。お前は見つかったのか」
視界の隅で隣を歩くデイダラを捉え、サソリは行く宛もなく歩き続ける。
「オイラもまだ。自分の芸術はやっぱり美しいけど、オイラは一瞬をもう手にしているしな」
「あんな一瞬なんかで全てを散らしてしまうモノの何処に美を見い出せるのか理解出来ねえが、オレも同じく永遠をもう持っているもんな」


どの位歩いたのかサソリとデイダラには定かではないが、空もうっすらと薄い青が覆い、鳥はちゅんちゅんと鳴いて朝を運ぶ。もう暫しすれば、太陽も顔を出すのだろう。サソリは空を見上げ、ぱちりと瞬きを繰り返す。暁に居た頃はこんな風に空を見上げたことは無かった。こうして見上げてみて、初めて空の透き通るような青さを知った。時間帯によって空の濃さは色味を変えていく。今サソリが瞳に映している青は今この時しか見れないが、明日の今も見ることが出来る。四季を廻るように、空も毎日季節を廻って移ろう。一瞬一瞬の中で違う色を見せても、それは永遠に変わることがない。そんな景色と摂理はまるで相反するサソリとデイダラの芸術を合わせたようにも思え、サソリはふっと口元を緩めた。
「──ッ!おいデイダラ!」
立ち止まって空を眺めていれば、急に腕を引っ張られた。驚いたサソリは先を行くデイダラに声を掛けるがデイダラは返事をせず、走る速度を速めるだけ。
デイダラに腕を引っ張られ、暫く走り続けてやがて森を抜けると、其処には辺り一面青が広がっていた。

「海…か」


「さっき風に乗って潮の匂いがしたんだ。それを辿ったら此処に行き着いた、うん」

「海なんて久方振りに見た」

ゆったりと緑が覆う丘を進み、縁を見下ろしてみれば、太陽の陽を受け止めた真っ青な海はキラキラと陽を反射していた。足元に視線を移せば、色とりどりの小さな花がぽつん、と咲いている。小さくて、踏まれてしまえばその命はすぐに消えてしまう。それでも力強く咲いている花は、一瞬を嫌うサソリでさえも美しいと思ってしまえた。
「…綺麗だし、穏やかだな。うん」
サソリの隣に佇み、デイダラはサソリの視線の先にある花を一瞥すると真っ直ぐ前を見つめ、アイスブルーの瞳に煌めく海を映した。「オイラ永遠なんて好きじゃねえけど、この花も海も空も永遠に残ったらいいなっ、て思うんだ」「………」「そしてまた、旦那の隣で同じ景色を見ていたい…うん」
目を細め小さく口元に弧を描くと、デイダラは隣に佇むサソリを見遣った。海風に紅い髪はふわっと揺れ、瞬きをしない瞳はただ海を映している。閉じられた口は赤く色付き、顔は幼さを残している。返事をせず、此方を見向きもしないサソリにデイダラの心には何故か不安が募った。
──もし、核の動きが停止してしまったら、こんな風に自分を瞳に映してくれなくなる。もう低く柔らかい声でデイダラ、と呼んでくれない日が来てしまうんじゃないか?
そんな在りもしない未来を想見するだけで、呼吸をするのが苦しくなってしまった。きっと自分はサソリなしでは生きていけない。大好きで憧れて愛おしくて。10年もの間傍にいたことも要因だが、デイダラは少なからずサソリに依存してしまっている。この静黙な人の隣は酷く落ち着き、心地がいいのだ。
デイダラはサソリから視線を外し、ぎゅっと目を瞑った。握りしめた拳は震えだし、不安は身体を駈け巡る。
「デイ、オレは死んだりしないし核も止まらない。お前を独り遺したりはしない。だから大丈夫だ」
デイダラの纏う雰囲気が変わったのを察知したサソリはちらりと目だけ動かし、デイダラを見遣る。その姿は何処か弱々しく、気付けばぎゅうっとデイダラを腕の中に収めていた。
「聞こえるだろ、オレが生きている音が」
唯一の生身の部分である核は、トクン、トクン、と生きる証を刻む。其処にデイダラの耳を押し当て、サソリはそっと背中に腕を回した。血が通い温かいであろうデイダラの身体を強く抱きしめても、サソリにはその温もりを感じることは出来ない。自分の身体を傀儡へと作り変え、永遠を手にしたことは後悔していない。けれどデイダラの温もりを感じられないことだけが、チクッとサソリの核を痛めた。
「うん、解ってる。ただ少し怖かっただけだ…うん」
ぎゅっとサソリの背に腕を回し、顔を肩口に埋める。息を吸い込めばサソリの匂いがデイダラを包み、耳を立てればサソリが生きている音が聢と聞こえた。
「オイラの前から居なくなるなよ、旦那」
「お前こそ勝手にうろちょろするんじゃねえぞ」
冷たい身体と温かい身体を重ね合わせ、2人はハハッと声を出して笑った。




「今日は何処へ行くんだい?うん」ゆったりと地を踏みしめ、デイダラは首を小さく傾げる。サソリと旅をしてもう随分と日が経った。まだ四季を1つも廻ってはいなかったけれど、それなりに各地を転々としていた。

「何処へ生きたい」

隣で歩くデイダラに視線を移し、柔らかな表情を浮かべる。
「…旦那の生まれた里へ行きたい」
暫く考える素振りを見せた後、デイダラはサソリを窺うように答えた。
デイダラは一度で良いからサソリと砂隠れの里へ行ってみたかった。何を見て育ち、何を見てサソリは感動したのか。サソリが美しいと感じたものを、デイダラもこの目に焼き付けたかった。サソリが幼き頃に両親を亡くしていることをデイダラは知っている。けれど両親が生きていた頃の暖かな景色も、愛を失ったサソリの心を冷たく包んだ風景も、デイダラはサソリと2人で見たいと前々から思っていた。
「砂隠れか…里抜けして以来だな」
ぽんぽんとデイダラの頭を撫で、僅かに口元を歪めて笑顔を作る。デイダラの手を握り、サソリは風の国へと足を進めた。


「あれ?此処何処だ?うん」
「……」
数日歩き続け、漸く風の国へ着く頃。サソリとデイダラは辺りを見渡し、怪訝な表情を浮かべた。
後もう少しで風の国の入り口に差し掛かろうとした時、突如2人を包む世界が変わってしまったのだ。今まで捉えていた森も、草も、空も消え去りピンクや白、紫を混ぜてマーブルにした景色が辺り一面に広がる。頭上からは白い粉がはらはらと落ち、蝶や鳥は羽を広げた。
「…何だよ此処」
辺りを見渡しつつデイダラはサソリの手をぎゅっと握った。突然異世界に足を踏み入れてしまい、何が何だか分からない。
「幻術かもしれねえな」
訝しげな表情で辺りをぐるっと見回し、サソリは緩慢に歩き進める。デイダラの手を引きながら歩いても、出口は一向に見つからない。
足元には見たことのない草花が咲き誇り、蝶は羽根を休める。鳥はちゅんちゅんと歌い、マーブルな空間は何処までも続いている。
「旦那こっち行ってみようよ」
ふと顔を横に向けてみれば空間が枝分かれしているのか、辺りを包む景色が違った。デイダラが指差す方向は辺り一面星空が広がっていた。サソリの手をしっかりと握り、デイダラはゆったりと歩き進める。
「──あ、旦那ッ!」
「デイ…!」
突然空間は歪み、サソリとデイダラを隔てる壁が出来た。握った手がゆっくりと離れ、指先が相手の指先を掠める。瞠目してサソリの名を呼んでも、サソリはマーブルな空間へと吸い込まれていってしまう。
──オイラが本当に求めるものは。お互いの顔を見つめ、違う空間へと吸い込まれていく最中、デイダラは本当に求めるものを見つけた。

それは常に隣に存在し、互いにとってかけがえのない者だった──。
「旦那ッ!サソリの旦那…!」
必死に腕を伸ばし、遠退くサソリを呼び掛ける。暗闇に閉ざされた世界ではその声も、腕も、引き離されてしまったサソリには届かない。
「旦那!」
暗闇が続く世界で腕を伸ばし、デイダラは大声で叫ぶ。このままサソリともう二度と逢えないんじゃないか。そんな不安が頭を過ぎり、独りが酷く寂しく感じられる。



「んだようっせえな…それよりデイダラ、テメェオレを待たせたんだから覚悟は出来てるんだろうな?あ?」
急に光が射したかと思えば、目の前には大好きなサソリがデイダラの顔を覗き込んでいた。伸ばした腕を力強く掴み、雰囲気は苛立ちを含ませている。
「だん、な…?」
ぱちぱちと瞬きを繰り返し、デイダラは怪訝な表情を浮かべる。頭はぼんやりとし、背中はふかふかの何かに受け止められている。自分達は異世界に呑み込まれ、引き離されてしまったのにどうして目の前にサソリが居るのだろうか。
「おはようデイダラ。オレを待たせて寝坊なんて、さぞかし気分が良いんだろう」
「はい?」

殺気を纏い、にっこりと微笑むサソリにデイダラは身の危険を感じた。けれどまだ脳は覚醒しておらず、状況が呑み込めない。自分達は『本当に求めるもの』を探す旅に出ていた筈だ。砂隠れの里へ赴いている最中に異世界へと足を踏み入れてしまい、それから…──。
「何時までも寝惚けてねえでさっさと任務行くぞ!」
ソォラァ!と、掴んでいたデイダラの腕を引っ張り、勢い良くデイダラを壁に投げつける。ゴツンと鈍い音と共に顔面を壁に打ち付け、ぶつけた箇所はヒリヒリと痛みを帯びると同時に頭もすっきりとした。
「え?もしかしてあれは夢だったの!?うん」
「まだ訳分かんねえことぬかすのか」
「じゃあオイラを護るって言ったのも、キスしてくれたのも全部夢?!」
大声で叫んだかと思えば項垂れたデイダラにサソリははぁっと溜め息を吐く。待たされた挙げ句、1人大声で叫んで現実に落胆するデイダラについていけない。
「さっさと行くぞ馬鹿ダラ」
けれどそんな相方を愛おしく想うのは事実で。
サソリはデイダラの手を握って立たせてやると、早足に歩き出した。








Fin.


狂った運命/飛鳥翡翠様より戴きました


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