※悲恋 R18
『群青』
もしもこの感情に名前をつけろと言われたら 一体どんな言葉になるんだろうか。
ギリギリの呼吸で、そんなことをふと思った。
口にするにはあまりに残酷で、眼に映る有り様などは殊更滑稽だ。
馬鹿げた遊戯。それで充分だとも思う。
それゆえ甘ったるい言葉を求めているつもりもなければ浅ましい欲に駆られている訳でも無い。
暇をつぶしている。 ただそれだけだ。
「…──っあ、」
ふいに口を突いた声を飲み下す。漏れないように喉の奥をきゅっと絞める。言葉では形容し難い何かが込み上がってきても、それを突き止める事はしない。それが、暗黙のルールだからだ。
無関心を装う姿勢は互いに崩さない、決して腹の内は見せない。そもそも相手の腹を探るなどもおかしな話だ。もとよりそんなもの 在りはしないのだから。
ふいに何が頬を伝った。
「どうしたデイダラ、苦しいか?」
打ち付ける律動に息も切らさず無機質な声が背後から投げられた。これは心配からくる言葉ではなく単なる観察の意であるからたちが悪い。目に見えない何かが、ジクジクと体を蝕んでいく感覚がした。
「まだへばってくれるなよ。効果が出るのはこれからだからな」
パシンッと臀部を叩く音が独房に響き渡る。痛覚が研ぎ澄まされた身体は跳ねあがり激痛に意識が飛びそうになるが、この頃はそれも慣れてきてただひたすらに行為に没頭しようと自らを洗脳していた。
壊れたら代わりはいくらでもいるに違いない。
そう、相手にとってもこれは単なる日課なのだ。
いつからこんなことになったんだっけ。
霞む意識の中ぼんやりとそんなことを考えた。馬鹿らしいとさえ思えた。これに何の意味がある。任務で疲れた身体には相当な負担だ。いや違う、意味なんて在りはしないんだ。
「なかなかいい反応だな。これなら使えるか」
飽きたオモチャから興味をなくした
ように、旦那はオイラから離れ衣服を整え始めた。
「明日の任務で女郎どもに試す。ガキは足手まといになるからついてくるな」
旦那はオイラの方を見ることなく鍵をかけ終えるとそのまま牢を出ていった。足音が遠ざかり 重い扉が閉まる音がした。
ただでさえ薄気味悪い場所が一層の静寂につつまれる。
「っ…、」
身体のあちこちが痛い。落ちていた衣服を拾い胸の中に抱き込んだ。壁にあるひび割れた鏡を見ると酷い有り様の自分がいた。髪は乱れに乱れ汚ならしく本来の色を失い、光の消えた虚ろな眼は暗く何も映していない。本当に滑稽だ。笑えてくる。
「うっ、…く、」
途端、大粒の涙が一気に頬を伝った。自嘲しているのに何故かそれらは次から次へと留まる事を知らない。
オイラはただ、ただ対等なコンビの関係で在りたいだけなのに。
相方として旦那の隣にいられるだけで満足だった。それなのに手が届きそうなところまできてそれは空を掴み、追い付いた先には何もなかった。この10年は旦那に何を刻み込めたのだろうか。
鉄格子の窓から微かな月光が入り込み室内をにわかに照らす。
旦那は明日 女どもを罠に掛ける。この出来なら一瞬で落とせるに違いない。そして女どもは歓喜の奇声を上げながらヨガリもがいて情報を抜き取られるのだろう。この男に抱かれながら。だが、旦那にとってこれも日常の任務。
途方もない想いを巡らしてみても、それはやはり答えのない問いかけを繰り返すだけだった。
監禁されてそろそろ1週間経つ。
兵糧丸も水も底をついた。そろそろ体力の限界だ。忍でなければ恐らく耐えられないであろうこの日課。旦那の為ならと受け入れてきたのに。
どうしてコンビとして行動しないのか。どうしていつまでもガキ扱いするのか。自慢じゃないが危険な任務も数多こなしてきた。実績もある。オイラがいればきっと役に立てる筈だった。
「足手まとい、か…」
暗い独房に掠れた声が転がった。
今はこんな行為を享受する事でしか自分の存在価値を感じられない。実に哀れだ。
かき抱いた衣服にまた雫が落ちる。じんわりと染みが広がった上からまたぽたりぽたりと新たな染みができていく。酷く喉が渇いているのに不思議と涙は止まらなかった。
◇◇◇
「だんなぁ、オイラの新作見たか!?敵も木っ端微塵だぜ、うん!」
爆炎を背後に鳥から飛び降りたオイラは真っ先に旦那に誇示した。瓦礫の山と化した敵地からはあちこちに敵の残骸が散らばっている。
「デイダラ」
厳ついヒルコから伸びた尾がこちら目掛けて突進する。瞠目するのも束の間、背後の敵を絶命させた。
「ぁ…ありがとよ、うん」
そう言った時には旦那はもう背を向けていた。
「…お前の出来映えなんかにゃ興味はねえし期待もしちゃいねえ」
ヒルコの尾で残党にとどめをさしながら冷徹に言い放った。
「オレの足を引っ張るな。それだけだ」
「なっ、オイラが足手まといってか!?」
「聞こえたなら同じことを言わせるんじゃねえ」
1つに纏めた髪が虚しく爆風に靡く。
「お前も傀儡と同じにすぎん。オレの指示通りにやれねぇってんなら殺す」
「じゃあどうしろってんだ!オイラはアンタの役に立つと思って…!」
言い終わる前にヒルコの尾が眼前に突き付けられた。
「思い上がるなよガキ… オレの役に立とうなんざ10年早ぇんだよ」
先端から毒が滴り落ちるのを見て一瞬怯む。しかしその言葉の中身をオイラは聞き逃さなかった。
「じゃあ10年後にはオイラを認めるんだな、うん!?」
10年。 途方もない歳月なのはわかったが、それだけあれば旦那を認めさせる自信はあった。コンビとして対等に。背中を預けられる存在になれる気がした。
「クク… そうだな、10年経ったらお前にしかできねえ役割を用意してやるよ」
反して旦那は何かを想像するようにオイラを見る。どこか愉快そうに嘲弄する旦那を尻目にオイラは大いに決心した。
(見てろよ…)
◇◇◇
こんな時に限って昔の夢を見るもんだ。
まだ何も知らなかったあの頃 それでもオイラの気概は変わっちゃいなかった。
(10年経ったぞバカ旦那…)
なんとも言えない寝覚めと身体の痛みのせいで瞼を開ける。空腹で力が入らない。布団なんてものはない硬い床の上で天井の染みをぼうっと眺めてみた。
ふと足元で人の気配がしゆっくりと体勢を起こした。
「だんな…?」
自分でもびっくりするほど掠れた声だった。
薄暗い独房の中で それでも映える赤い髪を見てほんの少しだけ安堵する。
「忍の癖にオレが入ってきたのに気付かないとはな」
開口一番に皮肉を言う奴は旦那に違いないなかった。
「アンタのせいだろ…」
珍しく旦那がその整った顔を向けてオイラをじっと見ている。なんなんだ。
「お前、少し痩せたな」
「…それもアンタのせいだろうが、うん」
何を言い出すのかと思えばオイラの身体的変化に気付いたようだった。
「フン、このまま放置して餓死させてもいいところだが…生憎まだ新薬の開発途中だからな。お前にはまだ働いてもらうぜ」
そう言うとオイラの目の前に木製の椀がつき出された。唐突に何だ…
中を見ると粥らしきものが湯気をあげ 小鼻をふわふわとくすぐってくる。
急に情けない音を立てながら腹の虫が鳴いた。
もしかして毒でも盛られたかという危惧はなきにしもあらずだが、その不安も掻き消すほどにオイラは飢えていた。
旦那から椀を受けとるとれんげで一口掬って口へ運んだ。
「ゆっくり食えよ。消化機能が落ちてるからな」
ほどよい塩加減で優しい味が口の中に拡がる。
これはきっと旦那が作ったものだろうが、味覚のない身体でどうやって味付けをしているのだろうと思った。うまかった。
「てめえ、泣いてんのか」
「…泣いてねえよ、」
滲む視界を振り払い、蒸気で出た鼻水をすするとそのせいにする。
そうやって旦那はただの気まぐれで優しくする。オイラの事を気遣うふりをしてどうせまた奈落の底に突き落とすくせに。
身体の変化には気付いても 心模様には気付いてくれないんだな。
食事を終えてよくよく見れば、旦那は返り血を浴びたままだった。
「……今回の標的はかなり厄介な組織だった」
オイラの視線で意を察したのか、旦那は先の任務の事を口にした。実のところそれが1番気になっていた。
「お前に試した新薬でもなかなか殺れなくてな…正直手こずった」
どうやら女郎は表の顔で本性は手練れた殺し屋だったとの事。情事の最中にも核心はつけず結局拷問して吐かせる羽目になったのだとか。
「良い出来だと思ったんだがな。改良が必要だ」
そうじゃない。アンタが1人で行ったせいだ。
ツーマンセルで行動していればきっと良い成果が出せた筈だ。やはりリーダーの命令は聞くべきだ。次はオイラも連れていってくれ──
そう伝えたかったが その言葉が音になることはなかった。
それにしても、旦那はどんな作為で女どもを誘ったのだろうか。吐く筈もない甘い言葉で誘惑したのだろうか。抱く時はどんな顔をして何を見ていたのだろう。
昨夜から柄にもなくそんなことばかりが脳裏に浮かんでいた。
いつもの無表情じゃなく、人間としての感情を少なからず出した筈だ。それが羨ましくもあった。
「なんだ、その顔は」
熱のこもった眼で旦那を見ていると何かを察知したようにこの男はオイラの顎を持ち上げた。
「一丁前に妬いてんのか。昨日あんだけ壊されたってのに」
人形のような綺麗な顔が近付いて眼と眼が合った。吸い込まれるように意識が集中する。その瞳の奥の謎を解き明かしたいとさえ思えた。
「壊され足りねえってんなら応えてやる」
唇が重なりあう。
旦那とのキスはいつも不思議だ。無機質な人形としている感じがない。何故か唇だけは柔らかで温かみがあるのだ。角度を変えて何度も互いの舌を絡ませ合った。
「……はっ、」
「クク…イイ顔だな。投薬してねえのにその反応、この淫乱野郎が」
乱暴な言葉遣いとは裏腹にオイラへの扱いは優しかった。今度はまるで恋人同士のような行為だった。ああ、だから困るんだ。これ以上、優しくされてたまるか。
この男の真髄はなんだ。それが突き止めたくて、でも知るのが怖かった。もし叶ってしまったらこの奇妙な関係さえ壊れてしまう気がした。
ならばこのままでもいい。そう、これでいいのかもしれない。
臆病なオイラはその名前のない感情を飲み干す。
旦那は ただ暇をつぶしている。 それだけだ。
馬鹿げた遊戯。 それで十分だとも思う。
それでもオイラは漏れる声をこらえて旦那に手を伸ばす。届かないその距離が虚しくそれが偽りの恋心だとしても。
オイラが旦那のパートナーであり続ける限り。
fin.