使



  










 放課後のチャイムと同時に オイラは教室を飛び出した。

校舎を背に、はぁはぁと息を弾ませ通い慣れた細い路地裏を通り抜ける。
空気に溶けた水蒸気が 白い吐息となり鼻のてっぺんを湿らせた。


 (今日も 寒いな、)

そんなことより、急がねぇと

待たせたらまたどやされるからな。


オイラは落ちかけたマフラーを肩にかけ直しながら ラーメン屋の裏を走り抜け、目的の場所目掛けて息を切らして駆け出した。







『…遅ぇ』

やっとの思いで辿り着いた一室に入るなり浴びた言葉。
夕陽が差し込むその部屋は、あの美大の美術サークルの創作準備室。
オレンジ色の光を受けた奴は、不機嫌な声でオイラを迎えた。 顔は翳って見えないが。


「これでもっ、全力疾走してきたんだ、うん……」

未だ肩で息をするオイラを見て、その男はふん、と鼻で笑った。

『まぁいい、そこ座れ。今日は…その彫刻に鑢をかける。お前はそっち側』

言われて視線をさ迷わせると、彼が向き合っている画架の傍に シーティングが被せられた彫刻像が目に止まった。
その簡素な布を引き取ると、なかなか芸術的なフォルムをした人物像が顕れた。

「へぇ…なかなかだな、流石サソリの旦那だ、うん」
『こっちの仕上げが終わったら俺もそっちへ行く。…鑢は、そこにある。200番の方を使え…』
「うん」

オイラはそのへんの机に鞄を置き、サソリの斜め前に腰掛け 言われた通りに鑢をかけはじめた。


『……外、寒かったか?』
「え、あぁ…まぁな。何でだ?」
『…鼻、赤ぇ…クク…』
「… うっせぇな、ほっとけ、うん……」

こっぱずかしくなり、オイラは口をへの字に曲げた。
奴がまた意地悪く笑う。それから暫く、互いに黙々と作業に打ち込んだ。







彼と出逢って2ヶ月──


オイラは、通いつめていたあの頃とは また違う『今』を過ごしている。

あの出来事がきっかけとなり、漸く彼と近付けたオイラは、週に一度 こうして同じ刻を過ごしている。

彼の創作活動の補佐を請け負う代わりに、オイラに学力を付ける、という約束だ。
この美大を志望しているオイラにとっては、勉強を教えて貰いながら近くで芸術品に触れられるなんて、願ってもない幸運だ。 しかも、その相手が大好きなあいつなんて。




『どんな感じだ?』
不意に聞こえた声と同時に、ズイ と身を乗り出してオイラの目の前に彼の顔が近付いた。

「ッ、──!」

 ドキン と心臓が跳ねる

『………、ここ、もう少しだな』

作品に向ける真剣な眼差しが綺麗すぎて、オイラの胸は緊急事態に陥る。

何も答えないオイラを不思議に思ったのか、彼の視線がオイラの方へ移動する。

夕陽を透き通した彼の髪は 赤いオーロラのように燃え揺れ、本来茶色い瞳は オレンジと混ざり合い、神秘的な深い愁いを湛えオイラを映した。

その瞳に オイラの全てが吸い込まれる───


『おい…どうした』

ハッと我に返り視線を彫刻に戻す。
「、ぁ……ぃゃ、…別に」


握っている鑢を更に念入りに像へ擦り付けた。
 奴の視線が、痛い─

「な、何だよ……」
誤魔化しきれなかったか、穴が空くほどの視線を右頬に感じる。

『……、いや、別に』

そういう癖にまだ見てくる。

─頼むから こっち見ないでくれ

『…クク…、やっぱ お前の髪、綺麗だな…』

動かしていた手が止まる
同時に 呼吸も止まる

『─その眼も…。不思議な奴だな、お前』

そう言って オイラの斜め前で口元を綻ばせた。

本日、最大級の動悸だ──


「し、知らねぇよ!つーか近ぇし…!うん!」

未だ前屈みで犯罪レベルの顔を向けてくる奴の胸板を押し返す。

もう、顔が赤いのは 夕陽のせいだからな──!











『はぁ…、本当にお前の馬鹿さ加減には参るぜ……』

午後6時半。
勉強を終えたオイラは、彼と共に街路樹を歩く。

あの頃の広葉樹達は、一様に葉を落とし すっかり冬の並木と化している。

「…んだよ、ちゃんと覚えただろ?色彩の三原色は──シアン!イエロー!それからっ、えーっと…えー…」

『マゼンタだ』
サソリがため息をつく。

『全く、そんなんじゃ合格どころか、カラー検定すら受からねぇな、クク…』

「うっ、……そんな、そんなことねぇぞッ、今から頑張るんだ、うん!」


軽くショックを受けてからオイラは否定するように叫んだ。
─絶対、受かってやる

トビのコネなんかにすがってたまるか。オイラはオイラの実力で合格してみせる!

ふと 空を見上げた。
冬の寒空に散る星達が 何億光年も向こうからオイラ達を見下ろしている。

時折吹く木枯らしが、どことなく物悲しさを連れてきた。

マフラーに埋めた口元に力を入れ、オイラは決心して彼を見た──


「あ、あのさ旦那!……次の月曜日、オイラに付き合ってくれねぇか?…うん」

『…月曜? ……何かあんのか』

「いや、まぁちょっとな。旦那に、見せたいもんがあるんだ」

暫くの間

『…別に構わねぇが』

「─!! ほんとか!?ぃよっしゃぁぁぁ!!」
オイラは派手にガッツポーズを決め、また夜空を見上げた。

─星達に感謝だ

「じゃあ旦那!その日、駅前の時計台に4時な、うん!」

そう言ってオイラは綻ぶ顔を隠す為に、分かれ道を全力疾走した。
振り返り大きく手を振ると、彼はヒラヒラと小さく反応した後、大通りへ向かって歩き出した──









────────────





「デーイダラ先輩!…って何さっきからニヤニヤしてんスかぁ?キモチワルッ!」

「んだとトビゴルァッ!」

冬の昼下がり。
窓から外の景色を眺めながら、日向ぼっこしてるオイラの目の前に 例の後輩が。
せっかくの気分をまたもコイツに茶々入れられるのか。

「ったく、何なんだよお前はいちいち…オイラに構うな、うん」

「そーんな事言って!本当は明日のデートで頭いっぱいの癖に☆先輩カ〜ワイイ〜」
「─!なッ、何で知ってんだてめぇ…!」
毎度の事ながらコイツの情報網は超人的だ。
「ヤだなぁ〜もう!先輩のファンだからに決まってるでしょ!いい加減、ボクともデートして下さいよぉ〜」

いつにも増してお得意のクネらせに磨きがかかっている。

「ウゼェェェ!誰がお前なんかとデートするかよ、おととい来やがれ、うん!」
「い゛でででで!面ッ、面を無理矢理外そうとしないで下さいッ─!これはボクと一心同体なんスから…!」

仕方なく手を離すと、ワザとらしく顔と面の境目をさすって何かブツブツ言っている。ざまぁみろ。

「でもま、この季節の屋外デートは気をつけて下さいね!ほら、特に彼は」

言われてオイラははっとした。
確か 明日の降水確率は80%だったか

またも変人な後輩から助言を受け、オイラはその晩 しっかり厚着をしてくるように、彼にメールを入れた。











────────────





冬休みに入ったと言っても、課題は山ほど配られた。とにかく溜めずにやらなければ。

サソリとの約束の時刻までは、受験生らしく机に向かう。学校からの課題とは別に、直近の検定の為の勉強も同時進行しなければならない。
志望校を受けるにあたり、まずベースとしていくつかの資格を持っていることが絶対条件だった。流石名門校。


「あ、これ 旦那に教えてもらった問題だ」

今では、サソリのお陰で問題集ともまともに向き合えるようになった。これなら 大学合格も夢じゃない─

「………」

気が早いが、サソリとの大学生活をふと想像してしまった。
無意識に顔面が崩れ─そうになった。
そんなことよりまず現実を見なければ。

そうこうしている内に、時計の針が15時を回った。そろそろオイラも準備しよう。

制服以外で会うのは初めてだ、高鳴る胸を何とか宥め、オイラはいつも通りのパーカーを被って家を出た。









(遅いな……)

現在16時15分。

時間にうるさいサソリが遅刻するなんて違和感があるが、とにかくオイラはその場で赤髪を待つ。


だんだんと雲行きが怪しくなってきた。
行き交う人々も、何だか忙しない。
次々と待ち合わせの相手とこの場を離れていく人達を見送り、オイラは両手に はぁ と白い息をかけた。

(旦那、喜んでくれるかな…)

頭に浮かぶのは 期待と少しの不安ばかりだ。だがもう、心に決めたこと
オイラは気持ちを奮い立たせ、再び人混みに赤を探した。








現在16時30分。

流石に遅い。待ち合わせの時間を間違えてるのか?とも思ったが、サソリに限ってそれは無い。
それに、連絡がないのも不自然だ…

オイラは仕方なく電話を取り出す。

サソリの番号をスライドしてから、耳元で呼び出し音を鳴らした。

 出ない



何だか 妙に胸の奥がざわつき始めた──








時刻はまもなく16時45分になろうとしていた。

半ば諦めかけていたオイラは、遠くで響く救急車の音に全身が大きく脈うった


─ まさか、


いや そんな筈は無い。

彼は元気だったし、きちんと治療も続けていると言っていた。
そんな、今日に限って有り得ない──



そう思えば思う程に、オイラの不安は暗雲のように膨らみ始めた。

最悪の情景が頭を過る

呼吸は浅く不規則に乱れ、背中は悪寒がする程寒いのに冷や汗が流れ落ちる。
オイラの心は最早、不安を通り越し "恐怖" で埋め尽くされていた。

いつも儚げに微笑む彼の姿が脳裏に浮かぶ
そんな彼に惹かれ 本気で恋に落ちてしまった自分─
もう、彼のいない人生など 考えられなくなっていた

朝陽が昇るのも 夕陽が輝くのも そして夜空に星が瞬く事実でさえ、今や彼が存在してこその価値となっていた。


オイラはいつの間にか 生きる意味を、サソリに捧げてしまっていたのだ


一本の筆から始まったオイラ達の出逢い─


絶対に失いたくないものが今、ハッキリとわかった

 何処だ、何処にいる──


オイラは使えないケータイをポケットに押し込み、長いこと凭れていた壁から離れると 人混みの中に向かって駆け出した──その時。

『デイダラッ─…!!』



 やっと現れた
   オイラの探し人──





「旦…那………」

『悪い、遅れたッ─!ほんとに、すまないッ─』

「何やってんだよッ、旦那ッ─!」
オイラは震える声で叫んだ。

『あぁ…、ホントに、悪かっ──「なんで走ってきたんだって言ってんだ…!!」

『、は…?』

未だ荒い呼吸で胸を上下させるサソリに向かって、オイラはたまらず声を荒げる。

「心臓ッ─!止まったらどうすんだっ!うん…!」

目の前の赤は 額に汗を滲ませ、苦し気な瞳を見開いて立ち尽くしている。
何なんだ、もう──



『デイダラ…お前──』



奴がオイラの頭を引き寄せる







『泣くなよ……』


「ぅっ…、くっ…」


安心感と怒りが入り乱れ、もう人の目を気にする余裕なんて残っていなかった。


オイラの気持ちがわかるかよ……
アンタが消えた後の世界を想像した オイラの絶望がわかるか………
『……心配させちまったな…、俺が悪かった。もう大丈夫だ』

引き寄せられたサソリの胸で オイラは不安に押し潰された心を吐き出し、その溢れる想いを涙と一緒に流し続けた。








────────────







(チィ…!こんな時に限って─!)


ババアが階段から転げ落ち、直ぐ様病院へ連れて行ったはいいが、慌てていたせいでケータイを忘れてきた。

既に待ち合わせの時間は過ぎている。

最近は真面目に治療にも通っていたから、少しなら大丈夫だろう─
一番待たせたくない相手を待たせている事実に俺はもう一度舌打ちして、駅に向かって久しぶりに駆け出した──








─見つけた!



人混みの中、見慣れた金髪が見えた。
よくもまぁこんな寒い中まだ待ってたなと感心する反面、暗い奴の表情に胸が痛む。


奴が動き出した 帰るな!

『デイダラッ─…!』

蒼い眼がこっちを向いた

それがみるみる険しい色になる

 あぁ、こりゃ当分許してもらえなさそうだ。

だが、奴の口から出た言葉は 予想だにしていないものだった。
"心臓ッ─!止まったらどうすんだっ!うん…!"

怒りに満ちていると思っていたその眼が、泪で覆われていく─


 あぁ… 泣かせちまった──
俺は何て ダメな男だ

初めこそ驚いたが、奴の瞳を見て全てがわかった。

コイツはほんとに……

償いの意も込め、俺は奴の気が済むまで涙を見届けた。


 早死にできねぇな…


そう思った。











泣き止んだアイツに連れて来られた場所は、街灯も殆ど無い小高い丘の上だった。


「はぁっ、何とか間に合ったな─うん…!」
アイツがそう言った瞬間、


眼下の街が 一斉に輝いた


赤や黄色、グリーンなどの色とりどりの光が 俺の可視範囲いっぱいに広がっている。


『!──…』


「…どうだい旦那、綺麗だろ?」


 そういうことか…

小生意気な餓鬼の癖に、シャレたことしやがって。

そういえば、今日は12月24日だったな。
最近、作品作りに追われすぎて、世の中の動きを忘れていた。

ちらと見た奴の髪が、煌めく街明かりをキラキラと反射している。
俺達は暫く、発光や点滅を繰り返すイルミネーションを眺めていた。


静寂の中 時だけが流れていく




『……昔、俺の入院していた病室に 小さなクリスマスツリーがあった…』

「…うん?」

封印していた筈の懐かしい記憶が蘇る。


『欲しい物は何でもくれると言われた。だから俺はサンタに願ったんだ… "病気が治らなくてもいいから、両親に会いたい"、と。…クク、後から気付いたんだが、あのサンタは主治医だった。だから、いくら待っても両親は帰って来なかったんだ。…サンタなんて、初めからいやしなかったんだ 』

今思い返しても、可愛げのない子供だったと思う


「旦那…」

忌まわしいクリスマスの古い記憶を掘り起こし、俺は苦笑いをこぼす。

『だがな…何でだろうな。お前がいると、それが別の光に見えてくる…あの頃の光と 今のこの光は全く違って見える。……つくづく不思議な奴だな、お前は─』


俺の隣で哀しげな表情を浮かべるデイダラの瞳に映る光は、言葉を失う程に綺麗だった。


俺にとって
その眩しい髪が 瞳が 新たな道を照らす道標だ──


いつまでも 笑っていて欲しい
それが俺の 望む物だ



へんてこな髷をわしゃわしゃと撫でてやった。
「ちょ、あんまグシャグシャにすんなよ旦那!オイラの芸術的なヘアスタイルが崩れるだろうが、うん」
『あ?何が芸術的だと?よく聞こえなかったな』

「んだと…あッ─!流れ星…!」
その声と同時に、夜空を流れる星屑が 地上の光へと吸い込まれていく瞬間を見た。

「あーぁ、願い事する前に消えちまった、うん」

『クク…どうせ今日はクリスマスイブなんだろ? サンタにでも願っとけ』

「旦那は今、サンタを信じてるかい?うん」

『さぁな…』




すっかり夜も深まり 動き出した街が一層 幻想的な光に包まれる


「わぁ─…、見ろよ旦那! この時季にしか見れない "一瞬の美"だ、うん…」

『いや、違うな…これは〈年に一度〉を永遠に繰り返す"永久の美"だ─』

人が人を愛するという歴史は 決して朽ちることは無い。 人がこの世に生きている限り この日は必ず訪れるのだ。

『お前といる限り、俺はこの景色を見続けたい』





凛とした蒼い瞳が 俺を捉えた

何かを伝えようと それが強く燃えている




「……あの、な…オイラ、旦那にずっと 言いたかった事があるんだ…うん……」


 あ…漸く降ってきた






 遠くの空から

鈴の音が聴こえる




「あのっ…オイラ、実は旦那のこ──んぐふッ─!!」
奴のマフラーを思いっきり引き寄せた


ついでに 何か言いかけたその生意気な口ごと塞いでやった






冷えた鼻先と唇が 接した面積からほんのりと熱を帯びる




「んっ…、」



柔らかな唇が 吐息を漏らす





溶けそうなのは 俺の方だ─



『ふん、…んな事はいちいち言われなくても知ってんだよ…』

 あの頃からな


「ふぇ? ぁぁぁのっ…うん!?」

目の前には 吹き出しそうなくらい真っ赤になっているコイツの顔。
何だその百面相は。
全く、お前は言わなきゃわかんねぇのな




光の海に チラチラと優しい雪が溶けていく






愛する者と過ごす 一人一人のもとへ 











『お前が好きだ デイダラ』












雪に吸い込まれないように はっきりと言った



どうやら漸く
俺の願いを叶えてくれる順番がきたようだ

やっぱり
サンタは いるらしい




俺はもう一度マフラーを引っ張った









音の無い聖夜



しんしんと降る雪が今


 一つの恋を 愛へと変えた






 それはまるで



  天使の悪戯のように



 キラキラと



   キラキラと









 二人の始まりに

  微笑みかけるように─








 





END



2012.12.24
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