※Raphael
秋風の狂詩曲《ラプソディ》をお聴き頂くと世界観が一層深まります(曲のみ)






  


   


 秋の訪れはいつも足早にやって来る。
まだ大丈夫だと油断して風邪をひき、治った頃にはいつの間にか空は高々と秋色で。
街行く人の装いも落ち着いた色に替わる頃、オイラの学校の生徒達も厚手のカーディガンを身に纏い下校する。


 「─寒っ……」


オイラは空を見上げて呟いた。
ゆっくりと青空を泳ぐ飛行機が くっきりと白い尾を残す。
それがしばらくすると、ふんわりと列を崩し うろこ状へと姿を変え始めた。


「今日もいるかな…うん」

秋の夕暮れ 家路とは少し離れた帰り道、遠回りと知っていながら オイラは今日も寄り道をすることにした。




────────────






時折吹き抜ける風がはらり、とキャンバスの端を揺らす。
同時に 足元の落ち葉が乾いた擦り音を立てながら一斉に空へと舞い上がる。

 ザザァ……




何とも落ち着く光景だ


俺はもう一度筆を握り直し 視線を目の前の長方形の枠に移した。

今日もデッサン用の椅子を忘れた。
目線的に座高位置で捉えたこの風景を描きたい


俺は噴水を囲む石段に浅く腰掛け、今度は赤と黄色の絵の具を搾り出した。
それらを適度に溶かし合わせて出来る橙色は、今 この場所一面に広がっている。

『いいな、この感覚──…』

季節の移ろいは好きだ。
その一つ一つの変化が積み重なり、春夏秋冬は永遠に繰り返される。

もし俺が、寿命に縛られることから解放されたのなら 未来永劫、この景色を描き続けたいと思う。そこで燃え上がる生命力を 永遠にこの枠の中で生かし続けておきたい


だが…

俺はまた意識を現実へと戻し、筆に油絵の具を乗せる。

 それが叶わないから
  人は生き急ぎ幸福を掴もうとするんだ




また 落ち葉が風に舞った。


俺の前髪もふわりと揺れた


さっきよりも風が冷たい


気がつくと もう既に陽は傾き、街路樹の影が長く伸び連なっていた。

そこを歩く人々にも すっかり秋の息がかかっている。

『…もう、こんな時間か………』

犬の散歩をしながら寄り添う老夫婦
手を繋ぎながら歩く制服のカップル


どうやら、皆 家路に着く時間帯のようだ。
そろそろ視界も翳り出す。俺も後少ししたら教室へ戻るか



風の音と 背に受ける噴水の音を耳に、鮮やかな橙色をキャンバスに乗せていく。
今日はいつもより筆の運びが軽い。



『………?』


ふと、視界の端に眩しい金色が入る。



 あぁ、アイツか…
最近よく見る 多分、男。
の割には長い髪や顔立ちが女っぽいが…

そいつはいつものように 向かいのベンチに腰掛け、またも似合わない読書を始めるのだ。





────────────





目的地までの近道で 細い路地裏を縫うように進む。

ラーメン屋の裏からはいい匂いが漂い始め、そろそろ開店の準備をしているようだ。
街が 夕刻の賑わいを見せ始める。


そこを足早に通り過ぎ、一際細い裏道を抜けると───


視界いっぱいに飛び込むのは色鮮やかな色彩の街路樹たち。

道脇にしっかりと聳える広葉樹の並木が、遥か先まで堂々と連立している。
濃淡様々に彩られたその自然の芸術に、オイラはまたも感嘆の声を漏らす。

飽きもせず毎日通うこの風景も、一日だって同じ景色はないのだ。

一瞬一瞬移ろう時間の中で、目に映す度に色が 姿が 匂いが違う。肌に刺す感覚がまた新たな刺激を生み出す。



そんな愛しい刹那の空気を肺いっぱいに吸い込んで、オイラは街路樹の通りをゆっくりと歩く。

足元は落ち葉の絨毯で敷き詰められ、踏みしめる一歩がまた柔らかい。


カサ カサ と心地よい擦り音が鼓膜を刺激する。

そうしてるうちに目的の人物が見えてきた




オイラの心臓が急に畏縮する。

胸の奧に仄かに灯る燈(ともしび)を紡ぐように 一歩、また一歩と奮える足を進ませる。


今日もまた、噴水の側席に腰掛けキャンバスに向かって写生に勤しんでいる。
燃えるように赤い彼の髪は、いつ見ても恐ろしい程にこの情景に当てはまっていた。

お決まりの横顔があまりに儚く、今にも消えてしまうんじゃないかとさえ思う。
背後の噴水から流れる水滴が夕陽でキラキラと反射し、彼の後ろ髪と背中を柔らかに照らす。

「綺麗……、うん」


思わず口をついて出た。


きっと彼はここの学生だ。

こんな大きな公園も実は全部この美大の敷地内にある。
南北に通る並木通りも、一般人は通行自由なのだ。


オイラの目指す場所 ─

どうしてもここに入りたくて よく足を運んでいた。二年後に通う自分を想像しては現状の成績に落胆する。今のままでは、到底無理だ。
だが…


オイラは道の向かい側にあるベンチにさりげなく座る。



出逢ってしまった─彼と。


初めは一瞬でその美しい容姿に魅了された。
透き通る程白い肌に静かな情熱を思わせるワインレッドの髪。線の細い華奢な風貌の割に、危険な大人の色気を纏う横顔。
そして、どこか愁いを帯びた儚げな茶色の瞳



その時の衝撃を、オイラは今でも鮮明に憶えている。


あの日、オイラは彼に出逢い 一瞬で恋に落ちた─







神聖な校舎から17時を報せる鐘が鳴る。
それを合図に、噴水のまわりで戯れていた鳩が大空へと羽ばたく。

落ち葉の絨毯の上に白い羽根がふわり と舞い落ちた。



オイラは鞄の中から買ったばかりの文庫本を取り出す。
ショーペンハウアーの"人生の幸福論"

読めもしないのに何でこんな小難しいものを選んでしまったのか…
まぁ、表紙絵だな。

とにかく、このベンチに長く腰掛ける口実が欲しいだけだった。
オイラは、読んでもいない栞のページを開いて今日もまた読書のふりを極め、想い人を視界に入れる。


日を重ね瞳に映す度に、今度は彼の内側を酷く求めるようになっていた。


名前は  歳は  好きなものは───

何を見て喜び、何に心を痛めるのか──
沸き上がる恋しさが、止まらぬ探究心が己を突き動かす。

話す事さえ叶わぬ互いの距離が今はもどかしいままだが。ふと顔を上げると、いつの間にか彼は姿を消していた。

「あ…れ……、」



どれくらいの間 夢想に浸っていたのか、辺りはすっかりと夕闇に包まれ、読書なんてできる状態ではなくなっていた。
ふぅ、と息を吐く


「オイラも、そろそろ帰るか…うん」

元来た道を戻ろうとベンチから立ち上がった瞬間─

「……、うん?」
先刻まで彼がいた場所に何か光るものが見えた。
近寄って落ち葉の上を凝視する……と。

「………筆?」

キラと光を反射する細い枝のようなものを拾い上げた。

そこには、恐らく彼の名前であろう "S"の文字が柄尻の部分に刻まれていた。

直ぐ様辺りを見回したが、街路樹の果てまでの明度が足りず 彼の姿を捉えることは出来なかった──






────────────






「はぁ、"S"かぁ………」


今日、何度目かも解らないため息をつきオイラは机に突っ伏した。

結局、次の日に渡そうと足を運ぶも 一週間経っても彼は現れなかった。

(何だってんだ……、)
いろんな感情が押し寄せ、期待と不安で頭の中が埋め尽くされる。

何かあったのだろうか。それとも、ただ忙しいだけとか…単に、写生が終わってしまったのかもしれない。
いや、まだ塗り始めたばかりの筈だ。だとしたらやはり、事故か病気にでもなって休学しているのか…

そもそもオイラが知らない理由などいくらでもあるのだ。
オイラの知る彼は、多面体のほんの一面なのだから。

またため息が漏れる。


「なーにさっきからため息ばっかついてんスか、先輩!恋患いっスかぁ?」


………、KYの癖に変に鋭い後輩が目の前に。

「トビ…帰れ、うん」

「あらら、こりゃ重症っスね。一体、どこ行っちゃったんでしょうね彼は」

「─!!」

オイラは一気に顔を上げた。

「てめぇ…、つけてたのか…うん?」

「やだなぁ、先輩ってば!ボクがそんな非常識なことする筈ないでしょ!あはは」

「うるさい、お前の存在が非常識だ、うん」

オイラは口を尖らせ窓の外を見る。

「毎日毎日何処に通ってるのかと思ったら……たまたま通りかかったんです、本当に!そしたら先輩ったら苦手な読書なんかしちゃって……ププ」

「─バッカ!、てめぇ…!!」

ド赤面なオイラの渾身の一撃を見事にすり抜けて奴が喋る。

「でもま!安心して下さいよ。ボクの情報によると、彼昨日まで入院してたみたいっスよ。何でも、昔からの持病があるらしくて…」

「え─ 入、院……?─って、ちょっと待て!何でお前がそんな事知ってんだ、うん!?デタラメ言ったら爆破すんぞ!」

「ちょちょちょ…!爆竹なんか持ち歩かないで下さいよ先輩!!デタラメじゃないです、あそこの美大の理事長、ボクの知り合いなんで」
「はぁ!?」

マジか……、ならコイツに頼めば入学も夢じゃないのか。

「とにかく、今日行けば逢える確率も高いっスよ!また本持ってかなきゃ、ププ」

「テメーくどいぞっ!うん!!」
オイラは思いっきりソレを放り投げた。

「ギャーーーーー!!!だからっ、危ないですってーーー!!」

バチバチと音を立てながら、生意気な後輩はやっと姿を消した。

…ん?もしやアイツ、それを伝えに来たのか?

馬鹿なんだか賢いんだか。
とりあえず、背中を押された気はしたのでオイラは今日も寄り道をすることにした。







────────────






毎日見ている景色なのに、何だか今日は全てが霞んで見える。

逢える期待よりも、これまでの彼の事を想うと胸がいっぱいになる。
何の病気なんだ…

あんなに儚げに見えた理由も、リアルに病弱だったのだ。
だとしたら、オイラの血液を分け与えてやりたい。
少しでも 長く生きて欲しい

"短命儚く散る浮世"がモットーのオイラも、何故か彼だけはそれが似合わないと思えた。




霞んだ世界の中に、一際鮮やかな赤が目に飛び込んだ

心臓が急激にきゅうぅ、と苦しくなる。

 あぁ、オイラも充分重症だったな─

いつもと変わらず噴水の側席に腰掛けるその消えそうな横顔に、オイラの視界はゆらゆらと滲んだ。

どうして、こんなにも こんなにも 彼を愛してしまったんだろう──


この想いは、一体どうすればいいのだろう──


はらはらと流れ落ちる涙もそのままに、オイラは手の中の筆を強く握りしめた。



─恋い焦がれるという事─



その愛しさと その苦しさを オイラは今、全細胞で感じている。
震えるのだ、彼がそこにいるという喜びに。彼がそこで生きているという奇跡に。




オイラは、まだ新しいカーディガンの袖口で涙を拭った。

命ある刻の中で、己だけの幸福論を見つけよう

決して流されない岩のように

何にも縛られない 風のように


オイラはゆっくりと彼の元へと足を進めた


目の前の横顔が 初めてオイラの方を向いた──









────────────






今回の入院は不覚だった。

元々心臓の弱い俺だが、季節の変わり目は特に注意が必要だった。

長時間 体を冷やすことは厳禁なのだが…あの日は、どうしてももう少しあの場所にいたかった。


アイツが来るのを 待っていたのだ─



小生意気に読書なんかしやがって似合わねぇ…なんて初めは思ってたんだが。


キラキラと夕陽を浴びる髪がイチョウの黄金色と同じで、俺は息が止まった。


良く見ると、鳥が舞う大空のような瞳が怖いくらいに綺麗な青だ。


それからほぼ毎日、アイツは同じ時間同じ場所に現れた。


そしてあの日、俺はアイツの髪色をイメージした絵の具で着色していた。


だが、突然の動悸が──

久々に出た発作は思いの外強かった。
薬は大学の教室にしかない─

視界の端で暢気に読書をしているアイツを最後に見てから、俺は片付けも雑に その場を後にした。



そこからは永遠、白い天井と壁の繰り返しだった。

つまらない。


きちんと治療さえすれば、特に命に関わる事は無い。明日には退院だ、いい加減戻らないとあの絵の修正が出来なくなる。せっかく作ったアイツの色が。



そして今日、ようやく続きの作業ができる。

アイツは、この一週間 何をしていただろうか。

俺がいない間に、あの本は読み終わってしまっただろうか。
そうしたら、もう 此処には来ないのだろうか……



柄にもなく、最近の俺はあのちょん髷頭のことばかり考えている。


『はぁ…今度は別の病か、クク……』


そろそろか、 俺はベンチの方へと意識を向けた時──

真横から聞こえた足音に振り向くと……


 「よぉ…。これ、アンタの忘れもんだろ…"S"の旦那、うん?」


おい、心臓に悪いだろうが…


小生意気に笑うその顔は眩しく、真っ赤な夕陽に染まった髪は、見事に俺の作った橙色へと色付いていた。


『"S"じゃねぇ、サソリだ……』


俺は差し出された二人の"絆"を受け取り微笑む。


聴こえるのは

確かな風の音と、空に響く 晴れやかな鐘の音だけ。

だが、

 今日の風はどこか暖かい



『お前も手伝えよ、餓鬼……』

「ガキじゃねぇ、デイダラだ、うん」




 この恋はまだ

  始まったばかりだ──


















END
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