この男――ドフラミンゴを殺してやりたいと思う瞬間は幾らでもあるが、心の底から死んでくれと思う瞬間は意外にも少ない。その理由は別に何か甘い意味合いを含んでいる訳でもなく至極単純で、そもそもクロコダイルは人の死を誰かに任せるよりも自ら手を下してしまった方が早いからだ。死んでくれと言ったところで自ら命を絶つような駄犬はクロコダイルの傍にはいなかったし、死ねと思うほどにクロコダイルの機嫌を損ねる無能な人間ならば簡単に命を奪ってしまえる程度の実力は持ち合わせていた。だからこそ、この状況はクロコダイルにとって非常に不本意と言えるだろう。ドフラミンゴの能力によって身体の自由は奪われ、深く腰掛けていたチェアから腰を浮かせる事も出来ずに目の前に立ち塞がるドフラミンゴをクロコダイルは睨め上げる。
「…もう一度言ってみろ…」
「だから、なんでお前俺の舐めてくれねェの?」
聞くんじゃなかった。クロコダイルは頭を抱えたくなった。馬鹿だ馬鹿だとは思っていたがまさかここまで途方もない大馬鹿者だとは、知ってはいたがさすがに溜息を禁じ得ずクロコダイルは此方を見下ろすドフラミンゴから視線を逸らした。どうしてこうなった。クロコダイルの優秀な頭脳は不本意どころか今すぐに目の前の大馬鹿を干からびさせてやりたい状況に追い込まれるまでの経緯を思い出そうと記憶を探り出す。現実逃避とも言うかもしれない。


ここ一月程鬱陶しいピンクの毛玉の来訪も無く表向きの仕事であるカジノの経営も秘密裏に行わせている裏稼業の進行も満足な結果を叩き出し、クロコダイルにとっては非常に平穏で心休まる日々だった。わざわざ特注で作らせたお気に入りのデスクに腰掛け大量の書類に目を通し、必要であればサインを記す。その作業に飽きれば部屋の周りを囲む巨大な水槽の中で悠々と泳ぐペットのバナナワニ達に餌を与えその様子を眺めたり、時にはこの国にクロコダイルがいると知っていながら尚略奪行為を働こうと侵入してきた馬鹿な海賊どもを追い払いデスクワークばかりで鈍りそうになる身体を動かしたりとそれなりに楽しんでいた日々の終わりは、廊下に響く騒々しい足音と部下達の慌てたような声によって訪れた。そういえば今日支配人である女がカジノとは別件の用事で外に出ているのだと言う事を思い出し、クロコダイルは銜えた葉巻を指先で取り上げ灰皿へと置き直す。せっかくの平穏な日々が終わりを告げたことを苦々しく思いながらもその表情はどこか機嫌の良いものであったが、それに気付ける人物は今この場にはいない。もしいたところで本人は全力で否定するだろうからあまり意味はないのだが。
騒々しい音が近付いて来たかと思えば突如破壊されるのではないかと思う程の勢いで開かれた観音開きの扉に別段驚いた様子を見せることなく、クロコダイルはちらりと視線をやった。視界に入るけたたましいピンクに出来れば外れて欲しかった予想が当たったことを知る。
「よォワニ野郎!今日も相変わらず愛想のねェ面だなァ!」
「帰れ」
「ツレないねェ、時代はスマイルだぜクロコちゃん」
ほんの一瞬前まで静寂に包まれていた部屋に響き渡る聞き慣れた声に、クロコダイルの眉間に皺が寄る。本来であれば耳障りな筈の大声が嫌いではないなどと口が裂けても言える訳が無く、声の主に向けてクロコダイルは不機嫌(さを装った)な声で短く返してやる。この程度の事で凹むような男ではないし、むしろクロコダイルとドフラミンゴの間では軽口の応酬を楽しんでいる節もある。しかしドフラミンゴの背後で彼の侵入を止め切れずあたふたとしている部下にはそんな関係など知る由もなく、機嫌の悪いオーナーとそれを煽るような言動を繰り返すピンクの毛玉――それもオーナーと同じ王下七武海の称号を持つ海賊を易々と通してしまった事にクロコダイルからの処分をただ恐れから表情を強張らせていた。そんな部下を一瞥し、クロコダイルは視線だけで退室を促す。幾ら短気なクロコダイルとは言え、まさか海賊でもない一般人がドフラミンゴの侵入を食い止められる訳がないと分かっている。退室を許された哀れな部下はホッとした表情を浮かべながらもしっかりとクロコダイルに一礼をしてから一目散に部屋を出て行った。その間にドフラミンゴは既に定位置となりつつあるローテーブルの前に置かれた革張りの豪華なソファにどっかりと腰を下ろし、行儀悪く両足をテーブルの上に乗せている。
「…で?」
「あ?」
「何しに来たんだ、テメェは」
「あー…」
部屋の周囲から完全に気配が無くなった事を確認してから、ドフラミンゴの姿勢には特に文句を付けることなくクロコダイルは口を開いた。今更ドフラミンゴの行儀の悪さに言及したところでこの男が改めるとは思えないし、そんな面倒くさいことに労力を使う気にもなれない。しかしクロコダイルの問い掛けにドフラミンゴはこの男にしては珍しく歯切れの悪い反応を返してよこした。しかもクロコダイルの方へ視線を向けることなく、ただ真っ直ぐと先を見詰めている。クロコダイルの予想に反したその様子に僅かに嫌な予感が脳裏を過る。ドフラミンゴの様子がいつもと違う時、それは確実にクロコダイルにとって良い意味でも悪い意味でも予想外の事態を招くことになり、度々それに巻き込まれて学んだことはこうなったドフラミンゴには触れるな近付くなという教訓だけだ。学んだからと言って、こうも己のテリトリーの中に入り込まれてしまっている今となってはもう遅い。クロコダイルはドフラミンゴが部屋に入り込む前に枯らして置くべきだったかと嘆息した。
「いや…聞きたい事があってよ」
「…なんだ」
出来れば聞きたくない。どうせ碌でもない事に決まっているし、ドフラミンゴが言い難そうにするなんて一体どれだけ馬鹿馬鹿しいことを聞かれるのかと思うと心底嫌になる。それでも聞いてやらないとヘソを曲げるのも分かり切っている事なので、クロコダイルは嫌々ながらも先を促した。暫しの沈黙。やあやって、ドフラミンゴは漸くクロコダイルの方へと顔を向けた。サングラス越しの為にその瞳は見えず、真意を探る事も出来ない。不意に立ち上がったドフラミンゴがクロコダイルが腰掛けるデスクへと近付いて来た時点で、クロコダイルは己の身を襲う異変に気が付いた。身体が動かない。目の前の男の能力を考えれば原因は簡単に予想出来るが、今ここでドフラミンゴがその力を使った理由にまでは思い至らずクロコダイルは己の機嫌が僅かに降下するのを感じた。
「なァ、ワニ野郎」
「何のつもりだフラミンゴ野郎」
クロコダイルの口から吐き出された声の低さに当然怯む事も無く、ドフラミンゴはデスクを通り過ぎクロコダイルの隣に立った。可動式のチェアはドフラミンゴが僅かに力を込めるだけでくるりと回り、クロコダイルとドフラミンゴを対面させる。元々の身長の差に加え今はクロコダイルが座っているために更に差が開き、クロコダイルは唯一動かせる首を上向かせドフラミンゴを見上げた。鋭い眼光に睨まれているにも関わらずどこか困ったような表情を浮かべたドフラミンゴはガシガシと頭を掻き乱し一瞬躊躇うように開きかけた口を閉じると、意を決したように口を開く。
「お前、なんで俺の舐めてくれねェの?」
思わず不機嫌な表情を取り繕うことすら忘れて、クロコダイルは呆気にとられたようにぽかんと口を開いたままドフラミンゴを見上げた。そして、冒頭に続く。




「……噛み千切られてェのか、テメェは…」
ドフラミンゴの真意をどれだけ探っても想像すら出来ず、だからと言って同じ台詞を3度聞くことも耐えられず、クロコダイルは沈黙の末に漸く絞り出すようにして一言を呟いた。一方ドフラミンゴは彼なりに真剣な様で、いつもの口角を三日月のように吊り上げる特徴的な笑みはクロコダイルを見下ろす顔には浮かんでいない。クロコダイルはますますもってドフラミンゴの真意が分からなかった。
確かに。クロコダイルは思い出す。ドフラミンゴの言う行為…所謂フェラチオを、クロコダイルはほとんどしてやった事がない。それは勿論意識して避けてきた行為ではあるのだが、この男はその理由が分からないとでも言うのだろうか。やはり馬鹿だ。
「だってお前、男のロマンだろ?!恋人が自分の銜えてイイ顔してんの見るのは男のロマンだろ?!」
海賊がんな馬鹿げたロマンを語るんじゃねェ。若干イラッとした内心を押し殺し、クロコダイルは無表情にドフラミンゴを見上げる。
「…あァ、頭の悪いクソ餓鬼にも分かるように教えてやるから、よく聞け」
静かな声で言い聞かせるようにゆっくりと言葉を吐くクロコダイルの台詞に素直に耳を傾けるドフラミンゴは、まるで主人の待てを忠実に守る犬のようだったとのちにクロコダイルは語る。
「銜えて欲しけりゃ、テメェはまずその規格外のサイズをなんとかしやがれ」
理由は至極単純だった。そして尤もらしい。ドフラミンゴの身長が規格外であることを考えれば、簡単に想像がつく。つまり、でかいのだ。例のブツが。正直なところ受け入れる場所ではない筈の後孔に入るのだから決して口に入らないサイズでもないのだが、いかんせん顎が疲れる。しかもこの毛玉は無駄に有り余る精力故かとにかく出すのが遅い。そんなモノを長時間銜えて口と舌で愛撫するなどとてもではないが正気の沙汰ではないとクロコダイルは考えていた。
「…おお」
「おお、じゃねェよ。納得したか、クソミンゴ」
「いや…でもなァ…」
まだ納得しないのか。クロコダイルは心の中で舌打ちを響かせた。実際本当の理由としてはもう一つあるのだが、これは出来れば口が裂けても言いたくない。己のプライドの沽券に関わるのだ。
「だってお前、最初の頃はしてくれてたじゃねェか」
「…とうとうイカレたか?ただの気のせいだ」
「んな訳ねェだろ。お前の口ン中に出した後キスしたらクソ不味かったの覚えてるから間違いねェよ」
ジーザス。無神論者のクロコダイルは別に信じてもいない神を口汚く罵りたい気分だった。確かに初めて身体を重ねた頃、要求されれば何度か応じた事があるのは事実だ。忘れている訳が無いだろうとは思ってはいたが、何故今更になってドフラミンゴが言い出したのかは分からない。この大馬鹿が考えていることに理解など及ぶ筈がないが、クロコダイルはこの大馬鹿を納得させる言い訳が見つかるなら今だけはドフラミンゴの頭の中を覗いてみたいと思った。一体どういえば納得する。真実を口にすればこの鳥頭は確実に調子に乗るだろう。いや、別にドフラミンゴが調子に乗ることは構わないのだ。喜ぶならしてやっても良いと思う程度にはクロコダイルはドフラミンゴを好いていたし、クロコダイルが本気で嫌がるならなんだかんだでドフラミンゴは無理強いをしてこない事も知っている。問題はクロコダイルのプライドだ。確かに本音を言ってしまえば簡単に解決する程度の問題ではあるのだが、クロコダイルにとってその本音を口にすることは何よりも難しい。
「……そのクソ不味い思いをしたくなけりゃ、する必要もねェだろう…」
黙り込んだままでは拙いだろうととりあえずドフラミンゴへの返答を口にはしたものの、我ながら意味のない台詞だとクロコダイルは思う。こんな切り返し簡単に論破されてしまう。ああ、このままでは本心を暴かれてしまうかもしれない。危機感はひしひしと募っていくが、解決策をクロコダイルは見つけられないでいた。
「だってよ、その後キスしなけりゃ別に問題ない訳だろ?」
ドフラミンゴの勝手な言い分に、クロコダイルは表情を変えないように奥歯を喰い締めた。それだ。それが理由だ大馬鹿野郎。初めてクロコダイルがドフラミンゴのそれを銜えて舐めてやった際、ドフラミンゴはよりにもよって唇を重ね舌を絡めた瞬間に顔を離し、あろうことか嫌そうに顔を顰めた挙句その後一度も口付けを交わすことなく行為を終えたのだ。そしてそれ以降、クロコダイルがドフラミンゴに要求され銜えてやった日はドフラミンゴから口付けてくることはなかった。詰まる所、クロコダイルはそれが不満だったのだ。認めるのは癪で堪らないが、本来クロコダイルはドフラミンゴとの口付が嫌いではなかった。否、むしろどちらかと言えば好きな部類に入る方である。だがそれを口にするのは聖書に記されるバベルの塔の如き高さを誇るクロコダイルのプライドが許さない。しかしここで押し切られてしまっては、またあの悶々とした状態で行為を終える日々が待っているかもしれない。それだけは、避けたかった。
「………したくねェのか…」
「は?」
ぎり、と音がする程に噛み締めた奥歯を緩め、殆ど閉じた唇から酷く聞き取り難い声でクロコダイルは呟いた。それを辛うじて聞き取ったドフラミンゴは、その言葉が指す意味を存外に優秀である脳味噌で考える。そうして思い至った答はあまりにも己にとって都合の良すぎるもので、いやまさかそれはねェ、と自ら打ち消しクロコダイルの真意を探ろうと身を屈めて互いの顔を近付けた。
「したくねェって、キスをか?」
探るつもりにしては些か直球過ぎたが、ドフラミンゴの問いに苦々しげに無表情だったクロコダイルの顔が歪むのを視界に収め、ドフラミンゴは確信する。マジか。マジでそう言ってんのかこいつ。先刻のクロコダイルとはまた逆に、ドフラミンゴは信じてもいない神に感謝したくなった。
「ワニ野郎、お前もしかして俺がキスしなくなるから舐めてくれなかったのか」
「…うるせェ、黙らねェと追い出すぞ」
ドフラミンゴの察しの良さには嫌気がさす。こうしてヒントを出してやればすぐに察する癖に、それを黙っていて欲しい此方の願いには全くと言っていいほど気付きはしないのだから、察しが良いとは言い難いのかもしれないが。
「フフフ…フッフッフ…フッフッフッフッフ…!可愛いところあんじゃねェかワニ野郎…!」
「テメェ本当に黙らねェなら今すぐ黙らせるぞ…!」
特徴的な笑い声を上げ始めたドフラミンゴにとうとう怒りの沸点を振り切ったらしいクロコダイルが声を荒げる。視線を逸らすようにそっぽを向かれた横顔は怒り以外の感情の所為で耳まで赤くなった様子を丸見えにしてしまい、ドフラミンゴは尚笑みを引っ込めることはせず屈めていた身を更に屈めてクロコダイルの顎に手をかけた。そのままぐいと持ち上げるようにして己の方を向かせるとにやりと浮かべた笑みはそのままに咬み付く様に口づける。意地になっているのか一向に開こうとしない唇をぺろりとひと舐めし、そのまま唇の端を舌先で擽るようにしていれば気が削がれたのか真一文字に引き結ばれた唇が僅かに緩んだ瞬間を見逃さず舌先を滑り込ませる。ぞろり、と歯列をなぞる舌先に感じるどこか甘さとスパイシーさを感じさせる香の元は今はデスクの上で先端を焦がしているクロコダイル愛用の葉巻か。その香りを味わうように歯列を割り逃げようとする舌を捕らえると己のそれを絡めるようにして逃げることを許さず、じゅっ、とわざと音を立てて舌先を強く吸ってやれば、ふ、とクロコダイルの鼻を抜けた吐息に気を良くする。ザラリとした上顎を舐めあげ、えづくのではないかと思う程に喉の奥まで舌でねぶりつくして、漸くドフラミンゴは唇を離した。互いの唾液が繋いだ糸は簡単にふつりと途切れ、僅かに乱れた呼吸を整えようとするクロコダイルの息遣いだけが響く中ドフラミンゴは再び満足げに笑みを浮かべた。






ぷかりと吐き出された煙がゆっくりと天井へ登っていく様を眺めてから、煙を吐き出した本人――クロコダイルへと視線を戻しドフラミンゴは口を開く。
「で、今日はしてくれんだろ?」
「テメェで出したモン飲まされてェならな」
葉巻を銜えなおした恋人の機嫌は存外悪くはなく、鼻で笑われるかと思った質問は意外にも口元に湛えられた笑みとともに返された。
×
「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -