その本質はどうあれ、海軍の、それも現在では中将の肩書を得たヴェルゴがこの土地を訪れたのは、随分と久しぶりのことだった。以前はそれでも定期的に足を運んだものだが、この地を訪れる理由――ドフラミンゴが七武海の地位を手に入れてからは、彼がヴェルゴの元へ足を運ぶ機会の方が多くなった。海軍の上層部に名を連ねる歴戦の海兵共に、長い長い時を掛けた彼の計画を悟らせない為には当然のことであったし、ドフラミンゴ自身、敵の本陣のど真ん中で自らが送り込んだスパイと密会する、というようなスリルを楽しんでいる節もあった。
 万が一にでも他の海兵に悟られてしまえば命の危険にしかならない逢瀬ではあったが、ドフラミンゴがそれを望むのなら、ヴェルゴにそれを拒む理由などない。彼が望んだからこそ、政府の犬になることさえ受け入れているのだ。15年、という決して短くはない月日を彼の為に費やしているというのに、今更命の危険などなんの障害になるというのか。
 そもそも、最後にドフラミンゴに会ったのはいつだったろうか、と考える。確かあの例の戦争があった後、ドフラミンゴを含めた残りの七武海が招集された際であったはずだ。政府への反逆が明るみに出た為に七武海を除名されたクロコダイル、の、代わりに七武海に加盟したはずの黒ひげ、火拳の処刑を阻止しようとしていた麦わらに加担したジンベエ、ドフラミンゴ自身が自ら手を下した(ということになっている)モリア、と、随分と欠員を出してしまった七武海を補填を目的としたその招集は実際のところドフラミンゴと、今となっては政府の操り人形でしかない、かつては暴君と呼ばれた男しか応じなかったのだけれど。
 だから、そうだ。もう2年、ドフラミンゴに会っていない。かつん、かつん、と大理石が敷き詰められた床を踏み鳴らしながら、ヴェルゴは重く息を吐き出した。2年の月日というのは、存外に長いものだった。
目的の扉の前で足を止める。扉に鍵はかかっていないだろう。人払いは済んでいるのか、常であればひどく騒がしい屋敷は静まり返っている。ノックの必要もない。扉に手を掛け、開いた。途端にむせ返るような甘い香りが纏わりつき、ああ、帰って来たのだと実感した。
 開いた先は相も変わらず絢爛豪華な装飾品に囲まれた無駄に派手な部屋であり、ここもまったく変わっていないことに妙な感慨を覚える。常に変化を求めるドフラミンゴの、普遍的な部分というのはとても珍しいものだった。
「すまないドフィ。少し遅くなったようだ」
 毛足の長い上等な絨毯を踏み締め、扉を閉める。入口に背を向けるようにして置かれた豪奢なソファーで寛いでいると思われる部屋の主に声をかけてみたものの返事はなく、ヴェルゴは首を傾げた。お互いにしか解読出来ない暗号に記された日付は間違いなく今日のものだったはずだが、いったいどうしたことだろうか。
ソファーの正面へ回り込むことで、その疑問はすぐに解消された。大きくふかふかとしたクッションに埋もれ規則正しく胸を上下させているドフラミンゴの姿に、小さく肩を落とす。人を呼び出しておいてソファーでうたた寝など、子供でもあるまいに。
 けれど、彼が日頃からこうでないことはよく分かっているからこそ、ヴェルゴの胸を占めるのは怒りでも落胆でもなく、まぎれもない歓喜であった。
 ドフラミンゴはこう見えて、警戒心の塊のような男だ。自らが他人を利用し搾取し翻弄し、用済みとなればそれまでどれほどの執着を見せていたとしてもあっさりと切り捨てる、彼の部下の言葉を借りるならばいわゆるクズであるものだから、彼にとっても他人とは信用するものではないのだろう。己の振る舞いはいつか返ってくるのだと、そう笑っていたのはもう随分と昔のことだ。
 そんな男が、今、目の前で無防備に寝姿を晒しているというのは、なかなかに気分の良いものだった。音を立てないよう、静かに柔らかな絨毯に膝をつく。見下ろした先、色硝子に隠された素顔が存外に幼く見えることを、ヴェルゴは知っていた。色硝子に覆われた瞳が南国の海のように薄い灰翠色をしていることも、それを囲う、髪と同色の睫毛が日に当たるととても美しいのだということも、知っていた。
 そう歳の変わらない男に対して抱く感想ではないと分かってはいるし、おそらくは同じそれを見たところで他人が同じ感想を抱くとは思えないが、ヴェルゴにとって、ドフラミンゴはそういった存在だった。別に誰かに理解を求めるつもりはないし、理解されても正直困る。彼がこんな寝姿を晒すのは己だけでいい。
 不意に、今は閉ざされているはずの灰翠色が恋しくなった。目を覚まし、真っ先に視界に入れるものがこんな味気のない色硝子だなんて、そんなものよりもおれを見ろ、と。起こしてしまうおそれもあったが、思い立ったからには行動に移さずにはいられなかった。手を伸ばし、彼の体温をうつしたそれに触れる。そっと力を込めればそれはあっさりと彼の眼もとから離れ、求めた色を覆う瞼があらわれた。
 ほんの僅かに、ドフラミンゴの眉間(あいにく彼に眉毛はないのだけれど)に皺が寄る。ああ、やはり起こしてしまったか。若干の申し訳なさがない訳でもないが、震えた瞼が開かれる様を期待してしまうのは仕方のないことだった。
ゆっくりと開かれた瞼から、記憶のままの色が覗いた。うすぼんやりと焦点を結ばない瞳が再び細められる。色硝子を通さない光が眩しいのだろうか。
「…ンン…?あァ、フッフッフ、お前か。随分と遅かったじゃねェか…」
「出掛けに野暮用を押し付けられてな」
 薄く開かれていただけの唇が弧を描いた。ヴェルゴは手元で色硝子を折り畳みながら立ち上がる。
「そりゃァ、おれよりも優先すべきことか、ヴェルゴ」
「…お前の目的を成す為ならば、お前本人よりも優先させるべきことだな」
「フッフッフッフッフ…!違いない。悪ィな、ただの我儘だ!」
 身を起こし背凭れに深く身を預けたまま独特の笑い声を響かせるドフラミンゴを見下ろして、ヴェルゴは肩を竦ませる。彼のこういった我儘は今に始まったものではないし、その都度本気にしていては身がもたないというものだ。
「久し振りだな、ドフィ。直接顔を見るのは2年ぶりだ」
「…あァ?半年前に会っただろうが」
「そうだったな。半年前に会った」
 確かにそうだ。半年前にドフラミンゴがわざわざG−5まで出向いてきたことがあったように思う。返せ、と差し出されたてのひらに色硝子を乗せてやりながら、ヴェルゴは再び首を傾げた。
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