キッチンで湯を沸かしても、そこから部屋に運ぶまでに熱湯は冷めてしまう。キッチンで茶葉を入れたポットに熱湯を注いでも、運ぶ為にポットを揺らしてしまっては茶に渋みが出てしまうだろう。結局小さめのバーナーをテーブルの上に置いて、やかんを火に掛ける。
 無言の空間は別段居心地が悪いという訳でもなくて、きっと気まずいと思っていたほんの30分前までの己をモリアは呪った。無駄に気を張って無駄な言葉のやりとりをしなくて良い分、非常に楽だと彼は思う。しゅんしゅんと火に掛けられたやかんの口から吹きだす水蒸気が立てる音と、モリアの向かいのソファに浅く腰かけたくまが手にした分厚い聖書のページをめくる音だけが広い部屋に響いた。
 用意した茶器はボーンチャイナ。彼は自他共に認める生来の無精者だが、昔から(それこそ彼がまだ海で暴れまわっていた頃から)紅茶に関してだけは妥協した事が無かった。
 つるりとした白い表面を指先で撫でると、かつ、と尖った爪の先が小さな音を立てた。ひんやりとした手触りの茶器は一番のお気に入りだ。手に入れるのに(彼にしては)珍しく苦心して駆けずり回ったが、その苦労に見合うだけの品だと自負している。
次第にぼこぼこと濁った音を響かせ始めたやかんを火から下ろし、まだ何も入っていないからっぽのポットの蓋を取る。ポットを温める為にやかんを傾けると、熱された金属の淵に触れた湯がぶしゅぶしゅと音を立てて弾けた。勢いよく注がれた湯がひんやりと冷たかった白いポットを満たし、瞬く間に表面の温度を上昇させる。一度やかんをバーナーの上に戻し再びしゅんしゅんと響く音を聞きながらテーブルの上にいくつか無造作に置かれている砂時計に手を伸ばした。
――ミルクは入れないから、2分でいいか。
 小さめの砂時計を手に取る。ストレートで飲むなら蒸らす時間は少なめだ。渋みは強い方が良い。あいつは紅茶にはちみつを入れるから、普通の紅茶では色が黒ずんでしまって見た目がよくない。そんな事を考えながらポットに注いだ湯をやかんに戻し、十分に温まったポットにティースプーンで量を計った茶葉を放り込む。わざわざ取り寄せた、特等の茶葉だ。そして改めて熱湯を注ぎこむ。高い位置から空気を含ませるように注がれた湯がポットに叩き付けられ、熱い飛沫が僅かに散った。
 湯気を立てるポットに蓋を乗せ、砂時計を引っくり返す。さらさらと落ちる砂を確認し、次はソーサーに伏せてあったカップを手に取った。カップが冷たいままでは、せっかくの熱い紅茶が注いだ時に冷めてしまう。残った湯を二つ並べたティーカップに注ぎ顔を上げた瞬間、不意に、目が合った。
 いつの間に本を閉じていたのか。つい先ほどまで分厚い聖書に落とされていた筈のくまの視線は、気付かないうちにこちらに向いていた。
「――…、……ッ、何見てんだ……。」
 一瞬開いた唇から言葉が出ず、失態だと分かっていながらモリアは狼狽を隠しきれなかった。がちゃん!と甲高い音を響かせてやかんをテーブルに叩きつける。バーナーの火は付けっ放しで構わないだろう。どうせまだ湯を沸かすのだ。視線を落とした砂時計はまだ半分ほどの量を残している。
「……存外に、器用だと思って見ていた。」
「……そうかよ。」
 視線に気付かない程集中していた事が気恥かしい。そもそも何かに熱中する姿など己のキャラではないだろうに、と内心ごちてモリアは深く溜息を吐いた。その様を不思議そうに眺めるくまにおそらく他意はないのだろうからそれ以上は言及しない。
 砂時計の砂が残り僅かになったところで、ティーカップに注がれた湯もやかんの中へと戻される。丁度良い頃合いだ。砂時計の砂が落ち切った瞬間を見届けて、モリアはポットを持ち上げる。ポットやカップと同じ陶器のストレーナーを通して、濃い琥珀色の液体がカップに注がれた。濃さが均等になる様に少量ずつ交互に注がれた二つのカップからふわりと漂う香りが、これは極上の茶葉なのだと主張している。
 ほら、とソーサーごと差し出されたカップを受け取ったくまの目の前に、間を置かずにはちみつの小瓶が置かれる。紅茶とともに取り寄せた非常に希少な花から取れる蜜だが、敢えてそれを口に出来る程の余裕はモリアにはなかった。使え、と短く言うだけで精一杯だなどと、口が裂けても認めたくはないが否定も出来ない。
 小瓶の蓋をあけ、小さなティースプーンできらきらとした蜜を掬い取る。とろりとしたそれは熱い紅茶に落とされ、かき混ぜるとするりと溶けてしまった。香りを楽しむように顔に近付け、唇を付ける。
「……美味いな。」
 口の広いティーカップは冷めるのも早い。思ったよりも熱くなかったその紅茶の味と香りは予想以上のものだった。思わず漏れた呟きに、そうかよ、と答えてティーカップに手を伸ばす。一口飲んだそれは、我ながら美味いと思った。
×
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -