いい紅茶が手に入った。たったそれだけを告げて電伝虫を切ってしまったのは昨日のことだった。いったい何を伝えたかったのか自分自身でも全く理解できていなかったのだから、いきなり通信を切られてしまった相手はきっとそれに輪を掛けて理解不能だっただろう。もしかしたら呆れて肩を竦め、既に記憶から抹消してしまっているかもしれない。考えれば考える程思考がネガティブな方向へと進んでいってしまう事に耐えきれず、モリアは盛大に溜息を吐いて肩を落とした。
 いい紅茶が手に入った。珍しく、その紅茶の味を誰かと共有したいと思った。考える前に身体が勝手に動いて、しまったと思った時には既に手にした電伝虫が相手――くまへの通信を始めてしまっていた。目の前の電伝虫が目を開いた瞬間咄嗟に口にした台詞は、本来であれば、こう続く筈だったのだ。
――いい紅茶が手に入った。だから、飲みに来ないか。
 しかし続ける筈だった言葉はべったりと喉に張り付いて口にする事が出来なかった。おかしな沈黙が落ちる前に通信は切ってしまったから返事すらも聞いていない。否、誘い文句すら口に出来なかったし、そもそも名乗っていない事にも今更になって気付いた。ここ2日で何度目かも分からない溜息を吐いて、モリアは今度こそ机に突っ伏し頭を抱えてしまう。
 馬鹿だ、馬鹿すぎる。言葉の意味を汲んでくまが来てくれるんじゃないかと抱いていた僅かな希望が打ち砕かれた。名乗っていないのに言葉の意味も何もあったものじゃないだろう。
 ああもう、本当に。恋をおぼえたばかりの若造じゃあるまい、いったいおれは何をしているんだと泣きたくなった。大の男が、それもそれなりに歳を重ねてきた海賊が、これはあまりにも情けなさ過ぎるのではないだろうか。僅かに顔を上げ机の上に鎮座する紅茶の缶にチラリと視線を向けると、モリアは再び深い深い溜息を吐いて項垂れた。





 ぶつり、と通信が切れた電伝虫から伸びるマイクを手にしたまま、くまは首を傾げた。いい紅茶が手に入った、から、来い、ということだろうか。声の主は生来の引きこもり癖をここ十数年遺憾なく発揮しているようだし、これから持って行く、などという用件でない事は確かだろう。
 茶会の誘いならまだ理解も出来るが、しかしそれも彼にしては珍しい。己のテリトリーに他人を踏み込ませる事が好きではなさそうな男だと思っていたが、実はそうでもないのだろうか。これと言って大事な用事がある訳でもないし、誘いを断る理由も無かった。手土産にケーキでも焼いて行くか。確か材料はそろっていた筈だ、と手にしていたマイクを放り投げながら立ち上がる。頬が緩んでいる事には気付かない事にした。






「……なんで、テメェがここにいるんだ。」
「……お前が呼んだんだろう。この部屋にいるからと通された。」
 顔を上げたらくまさんがいました、なんて森の中じゃあるまいありえないこれは夢だと己に言い聞かせた。いったいいつの間に寝ていたんだろうかとあまりよく回っていない頭で考え、ようやく疲れ切った声で呟いた。その呟きに憮然とした顔で返され、そこで初めておや、と思う。会いたいあまりに夢か幻覚でも見ているんだろうと思ったが、それにしてははっきりし過ぎている。まさか、いやしかし。
「……本物か?」
「ゾンビに囲まれて脳味噌も腐ったか。」
 ああ、本物だ。この辛辣さは間違いない。間違いなくくまだ。しかし本物だと言うなら何故この場にいるのかの説明がつかない。だって、昨日は名乗る事も出来なかったのだ。
「だってお前、あれだろ。昨日はほら、すぐ切っちまったし……。」
 まるで言い訳じみている。全く以て普段のペースは行方不明だし何が言いたいのかもわからなくなってきた。影になって消えてしまおうかとも考えたがせっかく会えたのにそれも情けない。
「ああ……昨日は驚いた。名乗りもせずに切るから何事かと思ったが……。」
 がばり。音がしそうな程勢いよく顔を上げたモリアに思わず口を噤む。呆気に取られているのか驚いているのかなんとも言えない表情はモリアにしては随分と珍しいもので、思わずくまの笑いを誘った。
「声でお前だと分かったからな。」
 ああちくしょう。顔面の筋肉の制御を失ったまま、心の中で悪態を吐く。この歳になってまた恋をするとは、思わなかった。
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