これはLove Garage のシノさんが書かれているしねくま(しねばいいゲスくま)のプロポーズ後、渡米してからのアナザーストーリーです。



ふわりと漂う慣れた薫りに、ゆっくりと意識が浮上し始めた。開け放たれた窓から差し込む朝日が眩しくて、軽く眉間に皺を寄せたまま幾度か瞬きを繰り返す。目覚ましの音に起こされなかった事を一瞬不思議に思うが、そう言えば今日は日曜だったと自己完結させるとドフラミンゴは再び瞳を閉じ小さく息を吐いた。スプリングの効いたベッドとふかふかのクッションが酷く心地よく、ドフラミンゴとしてはこのまま身体に残る僅かな倦怠感ごとシーツに埋もれて惰眠を貪っていたい。薫りと共にリビングに続くドアから流れ込んでくる生活音はいったいいつから耳に馴染んだのだっただろうか。母国を離れる以前も共に暮らしていた筈なのに、当時はこんなにも穏やかに目覚めた事はなかったように思う。ふと苦笑を浮かべ、ドフラミンゴは改めて目を開けた。起き抜けは眩しくて仕方がなかった朝日も、目が慣れてしまえば大したことはない。そんな事よりも、そろそろドアの向こうで朝食の準備をしていた男が起こしに来るだろう。早く声を聞きたい、とドフラミンゴが思った直後に、かちゃりと小さな音を響かせてリビングのドアが開き、室内を覗き込むようにくまが姿を見せる。
「ドフラミンゴ、朝だ」
「おー…今起きた…」
控えめに掛けられた声に返した声が思ったよりも掠れていて、ドフラミンゴはなんとも言えない気恥かしさに襲われた。思わず頭からシーツを被ってしまいたくなったドフラミンゴの様子を知ってか知らずか、ベッドサイドに近付いて来たくまはギシリとスプリングを軋ませながらドフラミンゴの傍らに腰掛ける。くしゃりとまるで子供にする様に頭を撫でたくまの手がそのまま頬へと滑り、ドフラミンゴは擽ったそうに瞳を細めた。不意に身を屈めたくまの唇がドフラミンゴの額に落とされる。ついで瞼、頬、唇へと続く触れるだけの口付けを甘んじて受けとめながら、ドフラミンゴは改めてこれが夢ではないのだと実感した。
「…無理をさせたか?」
「ん?ああ、いや…そうじゃねェよ」
この家で暮らし始めて何カ月経ったと思っているのだ。未だにこれは夢なんじゃないかと疑ってしまう己に呆れに近い想いを抱くドフラミンゴは、微かに表情を曇らせたくまの問いに苦笑して首を振った。昨夜、体力的な限界を超えてまるで気絶するようにして意識を手放してしまったのは確かだったが、今は僅かな疲れが残るばかりでむしろそれが心地よいくらいだ。こうしてくまが気遣いを見せてくれる事さえも、全てひっくるめて。
「ただなんつーか…幸せってこんな感じか、って思ってよ」
「……」
以前は己の未来にこんな幸せが待っているとは思っていなかった。夢から覚めて、また一人で現実に放り出されて生きていくのだと勝手に思っていた。だからこそ、ドフラミンゴはこれが夢じゃないと再確認するたびに涙が出そうになるほど幸せを感じるのだ。手を伸ばせば届く位置に何よりも大切なものが存在している事実が何よりもドフラミンゴを安心させた。幸せだ。そう口に出来る日が来た事が、何よりも幸せだと、そう実感させられる。
「…そうだな、おれも幸せだ。だから」
―――泣くな。そう言って頬に触れていたくまの指先が、いつの間にかじわりと赤みを帯びたドフラミンゴの眦をなぞる。すこしかさついた、しかし温かい指先を零れた涙が濡らしたが、ドフラミンゴはへらりとどこか気の抜けた笑みを浮かべてくまを見上げた。
「フフッ、嬉し泣きなら別にいだろ」
「…お前が泣くと、どうしていいかわからなくなる」
心底困ったように眉端を下げるくまに、ドフラミンゴは今度こそ声を上げて笑った。かつてあれ程遠いと思っていた存在がこんなにも近くで手を広げていてくれる。恋情と畏怖の対象だったはずの男を可愛いと思う日が来るとは思っていなかった。ケラケラと笑いだしたドフラミンゴになんとも言えない表情を浮かべながらもそれを見やるくまの視線はどこか優しい色を湛えていて、それがまたドフラミンゴの機嫌を良くさせた。
不意に立ち上がるくまを視線で追うと、朝食を持ってくる、と短く返される。普段基本的にはマナーにうるさいくまが珍しいものだとは思うが、ドフラミンゴはベッドで朝食を取るのが嫌いではなかった。正確に言えばくまと二人でいられるならなんだっていいのだが、その中でもベッドでのんびりとたわいのない会話を交わしながらの朝食は特に好きだと言えた。くまの背がリビングに消えるとそそくさと身体を起こし、己の分とくまの分のクッションを重ねてそれに背を預ける。オレンジ色のトレイを手にくまが戻って来た時には既に準備万端の体勢でドフラミンゴが待ち構えていた。



「子供か、お前は」
くまはベッドサイドテーブルにトレイを置きながら呆れたように溜息を吐き、再びベッドへと腰掛けると未だ湯気の立つマグカップをドフラミンゴに手渡す。濃いめに入れたアールグレイに、砂糖が3つと温めたミルクをたっぷり。いつのまにかドフラミンゴの好みを把握していたくまが起き抜けのドフラミンゴに飲ませるのはいつもこれだ。当然文句のつけようなどあるはずもなく、ドフラミンゴはそれを素直に受け取る。大きめのマグカップを両手で包むように持つその様はいっそ本当の子供のようだとくまは思った。
「零すなよ」
「そこまでガキじゃねェよ」
「…どうだかな」
ふうふうと息を吹きかけながら熱いミルクティーを冷ますドフラミンゴの姿は180cmをゆうに超える長身の男であるはずだが、くまにはとってはどうにも可愛らしくてたまらない。小さく喉を鳴らして一口二口とミルクティーを飲むドフラミンゴがマグカップから唇を離したのを見計らいその口元にたっぷりのホイップとブルーベリージャムを乗せたスコーンを差し出してやると、嬉しそうな顔でかぶりついた。わざわざ好物を用意したのだから当然だ。
「うまいか?」
「…おう、うまい」
唇の端に付いたホイップを指先で拭ってやるとバツが悪そうに視線を逸らされる。
指先に付いたそれをぺろりと舐めとりながら問いかけるともごもごとそれを咀嚼し飲み込んだドフラミンゴが頷いた。そうか、良かった。そう言いながらもう一度口元に運んでやるとやはり素直にかぶりつく。まるで大きな雛鳥に餌を与えている気分だと、くまは内心で笑みを漏らした。付き合いだけなら既に5年以上になるが、こんな子供のような一面を知ったのは4年と半年を過ぎてからだった。それまでにどれ程の傷を与えてしまったのかもはや皆目見当もつかないが、今こうしてドフラミンゴが目の前で笑っている事実に酷く安堵している己にくまは気付いていた。大事だ、と心の底から思う。失うことにならなくて本当に良かった、と。
ふと、ドフラミンゴとくまの視線がかち合った。いつのまにかスコーンはすっかり小さくなり、残りはあと一欠片。差し出されたままのそれに躊躇いを見せることなくパクリと食んだドフラミンゴの唇がくまの指先ごと挟む。もったいない、というようにくまの指についたクリームまでしっかりと舐めとり、ドフラミンゴは満足げに頬を緩めた。スコーンに奪われた口内の水分を取り戻そうと僅かに中身の冷めてしまったマグカップに口を付けるドフラミンゴを眺めながら、くまは思う。
―――ああ、本当に幸せだ。






多分今まで書いた中で最高糖度。
『Love Garage』のシノさんと、『見てろよ愚民ども』のまつさんとのくまドフ会議で生まれたしねくま(しねばいいゲスくま)のアフターストーリー。
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