どう見てもサディスト然としている目の前の男を眺めながら、クロコダイルは思う。この男、もしかしたら本当はマゾヒストなんじゃないだろうか、と。それ程にこの男――ドフラミンゴの行動はクロコダイルに取って不可解で仕方がなかった。今日とてそうだ。突然姿を見せたと思ったら、腰が痛ェ、と呟いたきり執務室の中心に置かれた上等な革張りのソファにどっかりと腰を下ろして天井を仰いでいる。別に何があったと聞かれたい訳ではないのだろう。邪魔な事この上ないが、今ドフラミンゴが感じているであろう疼痛と倦怠感はクロコダイル自身にも覚えがある為にあまり無碍にするのも忍びなかった。己とそう体格の変わらない相手との行為ですらあれほどの負担を強いられるのだ。倍以上の体格を持つ男との行為など、クロコダイルには想像すら及ばなかった。だからと言って別に目の前でぐったりとしている男に優しくしてやるつもりはさらさらないのだが。
「…本当に鬱陶しい野郎だな、テメェは」
「あァ…?そう言うなって。おれとお前の仲じゃねェか」
声も若干掠れているようだ。まったくもって気付かされたくない事実に気付かされ、クロコダイルは不機嫌に寄せられた眉間の皺を更に深くする。知人(友人ではない。決して)の夜の事情など知りたくもなんともない。そんなクロコダイルの内心を知ってか知らずか、への字に口角を下げソファに深く背を預けていたドフラミンゴが漸く身体を起こした。膝に片肘を乗せ、その上で頬杖を突く。クロコダイルはデスクに腰掛けたまま一度歯で挟んでいた葉巻を唇で銜えなおし、ちり、と干した草の焦げる音を響かせた。苦味の強い煙の味を舌先で感じてから、ようやくそれを肺へと落とす。肺を満たした煙に満足してそれを溜息のように吐き出すと、クリスタルの灰皿に葉巻を乗せクロコダイルはドフラミンゴに視線を戻した。
「何の用だ」
「今用事考えてたとこだ」
「帰れ」
ほんの僅かとはいえ仏心を出して聞いてやった己が馬鹿だった。クロコダイルはひくりと口端を引き攣らせながら今度こそ溜息を吐いた。落ち込んでいる訳ではないようだ、とそれを分析してやる己にも嫌気がさす。おそらく今日は本当になんの用事も無く暇潰しに姿を見せただけだろう。何故そんな馬鹿げた暇潰しに付き合ってやらなければならないんだ、と未だデスクに山積みになった書類の山に囲まれるクロコダイルは叫び出したい思いに駆られた。無論、そんな無様な真似はしないが。
「くまみたいな事言うなよ」
「……」
面倒臭い事この上ない。だがクロコダイルは、不意にドフラミンゴが漏らした呟きに僅かに眉間の皺を緩めた。この男が実はマゾヒストなんじゃないだろうかと邪推したくなる理由はこれだ。この破天荒を地で行くような男が、たった一人の人間(かどうか怪しいサイズだが)の一言一言に一喜一憂してる様は、クロコダイルの眼にはもはや滑稽に映った。邪険に扱われては落ち込み、素っ気なくされては落ち込み、ほんの少し優しくされては馬鹿みたいに喜ぶ姿は決して短くない付き合いの中で非常に珍しい光景だった。ドフラミンゴという男は見た目に似合わず酷く現実的な一面を持っていた筈だが、まさかこんな姿を見ることになろうとはさすがのクロコダイルも思わなかった。非常に面倒臭いが、どこか放っておけない気にもなる。それを認めるのは癪だから直接口に出した事は一度もないが、クロコダイルはドフラミンゴを口で言うほど嫌ってはいなかった。
「…解せねェな。それだけ雑に扱われて、何故まだ付き纏う」
「ん?あー…」
率直に思った事を口にしたクロコダイルの問いに、しかしドフラミンゴは困ったように眉端を下げた。(実際のところドフラミンゴに眉は存在しないので、眉間に寄った皺からおそらくそうだろうと予測したにすぎないが)基本的にその場のノリで生きているような男にしては意外な反応だ。興味深げに、クロコダイルはその金の瞳を細める。
「あいつなァ…おれが寝てる時は優しいんだよなァ…」
聞かなければ良かった。元来己のしたことに後悔を覚える事は少ない性質であったクロコダイルだったが、今回ばかりは心からそう思った。なんだそれは、のろけか。クロコダイルがそう吐き捨てたくなるのも無理はない。ガシガシと頭を掻きながら唸る目の前の怪鳥をどうやって叩き出そうか。そんな事を考え始めた(現実逃避とも言うかもしれないが)クロコダイルの耳に、聞きなれたコール音が響く。デスクに置かれた電伝虫が唇を尖らせて鳴いていた。二つある内の片方であるその電伝虫の繋がる先は表のカジノではない。不意に表情を硬いものに変えると、クロコダイルは改めてドフラミンゴに一瞥をくれた。
「タイムリミットだドフラミンゴ。おれァ仕事に戻る。さっさと帰れ」
「オーオー、砂漠の英雄様は冷てェなァ」
肩を竦めながらもドフラミンゴは素直にソファから腰を上げる。お互いのビジネスの邪魔をしないのが暗黙のルールだ。未だ鈍く痛む腰をさすりながらクロコダイルの執務室の扉をくぐるのと、おれだ、と別れの言葉も口にしないクロコダイルの声が聞こえたのは同時だった。










そんな事があったのが約一週間前。腰の痛みは次の日には無くなったが、ドフラミンゴは相変わらず上等なソファに深く腰掛け背凭れに身体を預けて天井を仰いでいた。一週間前と違うのはそこがクロコダイルの執務室ではなく、件の男――バーソロミュー・くまの屋敷だということくらいか。巨大なソファは巨体の持ち主であるはずのドフラミンゴですら悠々と座ってなお余りあるサイズだ。ソファに染みついた覚えのある香りが眠気を誘う。次第に溶け始める意識の中で、ドフラミンゴはクロコダイルと交わした会話を思い出していた。
――あいつなァ…おれが寝てる時は優しいんだよなァ…
その事実に最初に気付いたのはいったいいつだっただろうか。確かあの日も、無理だやめろと散々騒いだ挙句に意識が飛ぶ程苛まれて泥のように眠っていたのだ。









額から始まって、瞼、こめかみ、頬へと降りてくるくすぐったさにドフラミンゴは意識が浮上するのを感じた。くすぐってェ、と声を出そうとして、ふと固まる。柔らかな感触が鼻の頭に触れたと思ったら、次は唇へと滑らされる。酷く頼りない感触だったが、まるで大切なものに触れるように落とされたそれは間違いなく口付けだった。今にも開きそうになっていた瞼を微かに震えさせるだけに留め、ドフラミンゴはそのまま寝たフリを続ける。己の今の状況を再確認する為に、だ。しかしほんの少し記憶を探っただけで状況確認は終わってしまった。寝る前に(正確には意識を失う前に)していた行動を思い返せば、考える程のものでもない。ここはくまの屋敷で、今ドフラミンゴがいるのはくまと共寝をしているベッドで間違いはないはずだった。身体に纏わりつくシーツの感触にも、覚えがあった。
問題は、くまのベッドで、共に寝ているのはくまの筈なのに、今こうして壊れ物のように触れてくるのはいったい誰だ、という事だ。当然、ベッドの主であるくま以外ではありえない筈なのだが、ドフラミンゴにとってはくまである方がありえない。だって、あのくまだ。そうして考えている間にも、くしゃりと頭を撫でた手が頬へ滑る。輪郭をなぞる様に触れる指先は温かく、くまの手が革の手袋に覆われていない事に気付いた。まるで温めた蜂蜜のようにどろどろとした濃厚なその甘さに、不意に鼻の奥が熱くなる。ここでもし目を開けてしまったら、この甘さは一瞬にして霧散してしまうのだろう。そんな確信がドフラミンゴにはあった。試す意味も無い。
「ドフラミンゴ」
呼ばれた名に咄嗟に返事を返しそうになっても、ドフラミンゴは僅かに唇を震わせただけでなんの反応もしなかった。幾度も幾度も呼ばれた事のある己の名。かつてこれ程優しい声で呼ばれた事があっただろうか。まさか、今まで己が寝こけていた間に何度も繰り返されていた行為なのか。そう思い至ると、ドフラミンゴはなんとも居た堪れない心地を感じた。どうせなら起きている時にしてくれ。心からそう思うのだが、おそらくこれは口には出来ないだろう。
「ドフラミンゴ、愛してる」
このまま、朝が来なければいい。そんな馬鹿げた事を考えた己に、ドフラミンゴは微かに唇を歪ませた。








扉の開く音で目が覚めた。しかし、ドフラミンゴは瞼を押し上げ瞳を覗かせることはしない。どうせ目を開けてもサングラスで隠れているのだけれど。
「…ドフラミンゴ」
耳に慣れた低い声が己の名を呼び、気配が近付く。しかしドフラミンゴがそれに返事をせずにソファに背を預けたまま瞳を閉じていると、不意に張りつめていた空気が溶けた。ぎしり、と上等な筈のソファのスプリングが悲鳴を上げ、沈んだ。くしゃり。短い金の髪をかき混ぜるようにして触れた手は、相変わらず手袋には覆われていなかった。
「寝ているのか、ドフラミンゴ」
確かめるように落とされる呟きはおそらく答は求めていないのだろう。もしここで起きているなどと返したらきっとこの時間は一瞬にして霧散してしまうのだろう。それならまだ寝ているふりで、この束の間の甘さを楽しみたいと、ドフラミンゴは思った。





綺麗なくまってどうやって書くの?って思って綺麗なくまを目指した結果、なんだかかわいそうなドフラになった件。
どうしたら砂吐くほど甘い話が書けますか。
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