この世には常人よりも遥かに優秀な頭脳を持ってしても理解の及ばない不可思議な出来事が多数存在する。例えばこの偉大なる航路の四季であったり海流であったり、己を含め数多の人間、もしくは動物達が口にした人ならざる能力を与える実であったりとバラエティに富んでいるが、その中でも今遭遇している不可思議は相当なものではないかとクロコダイルは思った。記憶にあるそれよりも一回り…否、二回りも三回りも小さくなった右手をマジマジと見つめても解決策どころか溜息しか出ず、いったいどうしたものかと考える。深く腰掛けたソファは普段であれば丁度良い座り心地の筈が、肘掛は位置が高すぎて座りが悪いし足を投げ出しても踵は上質な絨毯に触れることなくぶらりと宙に浮いている。つまり、全体的にソファが大き過ぎて落ち着いて座っていられるものでは無くなってしまっていて、その理由は別に小難しい理由がある訳でもなく至極簡単だった。クロコダイルは縮んでいた。否、正確には子供の姿になってしまった。顔を横断する痛々しい傷と深く刻まれた眉間の皺はそのままに、瞳は普段よりも一回り大きく頬も少し丸みを帯びている。鍛え抜かれた筋肉の面影はなく、すらりと伸びた手足は元来通り血色の悪い白さを目立たせていた。身長は常時と比べて大分低く、おそらくは150cm程度と言ったところだろうか。どこからどう見ても、立派な子供である。当然、この異常事態に全くと言っていいほど心当たりのないクロコダイルの機嫌は地獄の底まで落ち切っていた。
まさかあいつの仕業かと思いたくなる人物がいるにはいるが、ここ暫く姿を見せていない男の所為ではおそらくあるまい。もしそうだったとしたら死ぬより酷い目に合わせてから元に戻る方法を聞きだせばいい。もし違うのなら面倒くさい事になるだろうから出来れば会いたくない。否、どちらかと言えばこの姿を見せたくない。面白い事が大好きなあの男の事だからどうせ此方の気も知らずにはしゃいで大いにこの状況を楽しもうとする事だろう。考えただけで嫌気がさしてくる。
どうすればいいのか途方に暮れている内に部屋の外で響いた想像しい足音に思考を断ち切られ、嫌がらせとしか思えないそのタイミングにクロコダイルは本日何度目かもわからない溜息を吐いた。






扉を開けたらそこに天使がいました。そんなベタで馬鹿馬鹿しい、くだらない物語を信じた事は生憎見た目からは想像も出来ない程現実主義の男には一度としてなかった。現に彼は子供が好きな訳ではなかったし、まずこの部屋に目当ての人物以外の人間が存在すること自体がそもそも気に入らない。この部屋に立ち入る事を許されているのはこの部屋の主である男を筆頭に、彼の忠実な(実際のところはどうだか知らないが)部下である一人の女、そして口では拒絶を繰り返されながらも部屋に入り浸る事を許されている男――ドフラミンゴの3人だけだった。こことは別にドフラミンゴのみが立ち入りを許されているスペースもあるにはあるのだが、それでも基本的にこの部屋の主が常にいる場所がこの部屋なのだから、必然的にドフラミンゴにとって滞在する機会の多いこの部屋には思い入れも執着もある。
その部屋で、見た事もない子供が悠々とソファに腰掛けている姿を見せつけられれば自然と機嫌も降下していくというものだった。クロコダイルが不在であればなおさらだ。
「…見慣れねェガキがいるな」
だが、気に入らないからと言ってこの部屋にいる人間を安易に殺してしまっては、この部屋の主――クロコダイルが許しはしないだろう。ドフラミンゴにとってクロコダイルをからかって怒らせる事は楽しみの一つでも、誰かも分からない(己には興味すらない)人間の為に彼を怒らせるのは本意ではなかった。一先ず冷静になってドフラミンゴは部屋の中心に置かれた豪奢なソファにちょこんと腰掛ける子供の観察を始める。歳の頃は14、5歳と言ったところだろうか。無造作に後ろに流された艶やかな黒髪は、しかし猫毛気味なのか纏め切れずにはらりと額に掛かっている。晒された形の良い耳は存外可愛らしく、何よりも此方に向けられた緑がかった金の瞳は3メートルを超す大男であるドフラミンゴの姿を前にしても揺らぐことなくむしろ不機嫌だと言わんばかりに細められ、眉間には深く皺が刻まれている。おそらく美少年、と言っても差し支えない造作をしている顔を横断する痛々しい傷跡には、見覚えがあった。そこまで考えて、不意にドフラミンゴはありえない可能性に辿り着く。
「…ア?おい、まさかお前」
ありえない。ドフラミンゴは己に言い聞かせるが、それでも口に出さずにはいられないのは彼の性であったし本人の口から否定されて安心したいと思ってしまったのも事実だろう。
「…まさか、ワニ野郎の隠し子か…?」
「馬鹿かテメェは」
決死の覚悟で口にしたそれは非常に不機嫌そうな声で切り捨てられたが、ドフラミンゴはホッとした表情を浮かべて緊張した肩から力を抜いた。そうだ、そんな訳がない。やはりありえなかった。だが、ちょっと待て。
――今の言い方、まるでワニ野郎だな。
そこで生まれた新たな可能性に、ドフラミンゴは下がりかけていた口角を再び吊り上げる。此方の可能性の方が(十分に突飛ではあるが)あり得ない事もないし、何よりもドフラミンゴにとっても都合がいい。否、むしろ非常に楽しいかもしれない。相変わらず不機嫌に此方を睨みつけてくる少年に近付き、ドフラミンゴは視線の高さを合わせるようにソファの前にしゃがみ込んだ。
「いやァ、随分と可愛らしくなっちまったなァ、ワニ野郎」
にやり。いつの間に機嫌を直したのか、そんな擬音が聞こえそうな程に深く笑みを浮かべながらドフラミンゴが発した台詞にソファに腰掛けた少年はただでさえ不機嫌そうだった表情を更に剣呑なものに変えた。その表情の変化がドフラミンゴの想像を正解だと無言の内に語っている。少年――クロコダイルには悪いがここは存分に楽しませて貰おうじゃないか。ドフラミンゴが内心でそう呟いた瞬間、クロコダイルの背筋を得体のしれない悪寒が走りぬけた。




「原因不明?」
「あァ…朝起きたらこうなってた」
身体の大きさに比例してか、声変わりを迎える直前の少年のようなハスキーさを持った高過ぎないその声は耳に心地よく、もっと聞きたいとドフラミンゴは思う。それを口に出してしまうときっと喋ってくれなくなるので馬鹿な真似はしないが、その代わりにドフラミンゴはほっそりとしたクロコダイルの身体に回した腕に軽く力を込めた。
「朝起きたら、ねェ。心当たりもねェのか」
「最初はテメェの仕業かとも思ったが、そうでもない見てェだからな。残念ながらお手上げだ」
ソファに深く腰掛けたドフラミンゴの膝の上、背後から伸びた大きな腕にすっぽりと包まれた状態でクロコダイルは頭上からの質問に答える。この位置に落ち着くまでに色々と悶着があった事は確かだが、非常に悔しいがこの身体の大きさではソファに直接腰掛けるよりも存外に居心地が良い。包むように抱きしめられてしまうと丁度良い体温がまた安心感を生むものだから性質が悪いな、とクロコダイルは一人ごちる。嫌ではない。それが一番の問題だと分かってはいるのだがそれを捨ててしまうのも惜しい気がして、結局大人しくドフラミンゴの手中に収まっている現状だった。
「ひでェな」
「日頃の行いだ」
正直なところ、ドフラミンゴはクロコダイルが想像していた程はしゃいだりはしなかった。ソファからクロコダイルを抱き上げた時も手つきは驚く程優しげで壊れ物を扱うようであったし、今も力任せに抱き締めるというよりはクロコダイルが滑り落ちてしまわないように包み込む、といった感じだ。常日頃のドフラミンゴからは想像出来ないその様子に多少なりともペースを乱されているのかもしれない。結局この男を許容してしまった時点で己に勝ち目はなかったのだけれど、それを認めるのはどれだけ互いの関係が長くなっても癪なのだ。
「しっかしお前…ほんとに小せェなァ。能力はどうなってんだよ」
「…能力が使えたら、とっくにテメェなんぞ追い出してる」
不意に顎に滑らされた手に力が込められ無理矢理(と言う程強い力でもなかったが)上向かされると視界に広がる奇妙な色をしたサングラス。此方をからかうような口調とは裏腹にそのサングラスの奥に隠された瞳に(本人は否定するだろうが)心配そうな色が浮かんでいる事をクロコダイルは知っていた。だからこそ本来であればドフラミンゴのような何を考えているか分からない男に与えるには危険すぎる情報も、問われれば一瞬の躊躇いはあったものの答えを返した。ああ、絆されている。そう思って頭を抱えたっくなったクロコダイルだが、彼の返答にまさかそんな弱みを晒してくるとは思っていなかったらしいドフラミンゴがぽかんとした表情で見下ろしている事に気付くと多少の溜飲は下がったのか、ふん、と小さく鼻を鳴らす。
「なんて顔してんだ鳥頭野郎。テメェが聞いたんだろうが」
「いや…だってお前よ…」
身体が縮むと性格まで可愛らしくなるんだろうか。ドフラミンゴの脳裏をそんな考えが過るが、いやいやクロコダイルは図体がでかくても可愛かったと思い直す。己の胸元にすっぽりと収まり此方を見上げるクロコダイルは眉間にこそ皺を寄せているが口調ほど機嫌の悪さは見て取れない。なんだこの可愛い生き物。クロコダイルが耳にしたら烈火のごとく怒り狂うであろう台詞を、ドフラミンゴは心の中で呟いた。否、叫んだ。だって可愛い。頬は柔らかいし、日頃から己の方が背も体格も勝ってはいるがそれでも今は膝の上に乗せて抱きしめたら本当にすっぽり包めてしまうサイズだ。体温もいつもより高いのではないだろうか。とにかく可愛い。しかしこの砂漠の国で英雄と呼ばれる七武海のこの男を倒して名を上げようなんて不埒な荒くれ者どもはごまんといるだろう。そんな連中にこの身体で能力も無しに戦えるのだろうか。しばらくここに滞在してクロコダイルの身体が元に戻るまでボディーガードでもするべきなんじゃないだろうか。そんな事をとりとめもなく考えるドフラミンゴはもはや完全にクロコダイル(子供)に心を奪われていた。これが母性ってヤツか、と些か的外れな事を考えながら滑らかできめ細かいクロコダイルの頬を撫でる。
「…なんだ、気持ち悪ィ触り方すんな」
「お前が可愛いのが悪ィんだろ」
ざわりと全身に鳥肌が立つのを感じながら、クロコダイルは頭上のドフラミンゴを睨みつける。常日頃からこう言った言動の多い男ではあったが、こんな状況で言われても嬉しいどころかクロコダイルからしてみたら腹が立つだけだ。原因すら分からない今の状況では対策を立てる事も出来ず、時間だけは悪戯に過ぎていく。このまま元に戻らなかった時の事を考えると己の野望が危ういどころの話ではない。能力を失った能力者。それも子供の姿になってしまった所為で腕力も体力も軒並み低下したこの身体で砂漠の国を襲う荒くれた海賊たちを討伐など出来る訳もないし、おそらく七武海も除名だろう。そうなれば再び海軍から追われる身に逆戻り。そもそも明らかに弱体化した己に今でこそ物珍しさからくっついて離れないドフラミンゴが興味を持ち続ける訳もなく、もしかしたら今日がこの男と顔を合わせる最後の日かもしれない。身体が小さくなると脳味噌の許容量まで狭くなるのかぐるぐると考えこみ始めたクロコダイルの姿に思わず漏れそうになる笑みを(彼にしては珍しく空気を読んで)辛うじて抑え込み、ドフラミンゴはその黒髪をワシワシと掻き撫でた。不意に思考を中断させられたクロコダイルは当然不愉快気にドフラミンゴの手をぺしりと叩いて振り払う。
「何余計な事考えてんだお前は」
「…余計な事だと…?」
ギロリ。音が聞こえそうだ、とドフラミンゴは思う。例え能力を失い身体が縮んでも、射殺さんばかりの眼光は確かにクロコダイルのものだ。この視線に射竦められ心も命も奪われた人間はいったいどれほどいるのだろうか。
「テメェにとっちゃどうでもいいかも知れねェが、俺にはそうはいかねェんだよ」
そう言ってギリ、と奥歯を噛み締めるクロコダイルの気持ちは分からないでもないが、せっかく同じ部屋にいるのだからどうせなら己の事を考えて欲しい。ドフラミンゴは拗ねたように口をへの字にひん曲げる。そしてクロコダイルの脇に手を突っ込むとそのままひょい、と抱き上げ正面を向かかせて再び座らせる。全く抵抗する時間を与えないその動作に呆気に取られていたクロコダイルだが、ドフラミンゴのはだけられた胸元が目の前に現れた事で漸く我に返り再び眼光鋭く睨みつけた。
「きっとその内戻るだろ。んなことよりもうちょい構えよ」
「…ガキかテメェは…」
ドフラミンゴの膝を跨ぐように座らされ居心地悪そうに眉をひそめながらも小さく溜息を吐くだけに留める。確かにただ悩んでいても仕方のない事ではあるのだが、能天気に楽観視出来るような心境でもないというのにこの男は。
「まァ、もし戻らなかったら俺の養子にしてやるよ」
「…ハッ、それだけは願い避けだ」
不意にミンゴの手がクロコダイルの顎を持ち上げる。再び上向かされるその体制に若干の息苦しさは感じるものの、ドフラミンゴの手つきはやはり普段と比べて丁寧であった。そうして告げられた言葉はクロコダイルにとって決して喜ばしいものではなかったが、ぐるぐると悩んでいた下らない頭の中身を見透かされていたようで落ち着かない。こういう時ばかり無駄に勘が良いから手に負えないのだ。鼻で笑ってやりながらも先程までの焦燥感が払拭ている事に気付き、クロコダイルはふと頬の筋肉を緩める。
「全くテメェには緊張感ってモンがねェ。」
そう言って苦笑したクロコダイルの様子の変化に気付いているのかいないのか、ドフラミンゴは下がっていた口角を再び吊り上げると上向かせていたクロコダイルに顔を近付ける。目を閉じることなく降ってくる口付けを受け止めたクロコダイルは、ちゅ、と微かな音を立ててすぐに離れて行ったそれに怪訝な表情を浮かべた。常日頃から発情期を迎えている筈の男にしては随分と餓鬼臭い行動だ。
「いやァ、お前今アレだろ。その身体じゃ入らねェだろ」
だからこれ以上は出来ないのだと言外に告げてドフラミンゴは肩を竦めて見せる。それに驚いたというレベルではなく度肝を抜かれてしまったクロコダイルは今度こそ完全に開いた口が塞がらないという状態を身を持って体験した。目の前にいる男は本当にドフラミンゴかと疑いたくなるが、こんな大男が他に何人もいても心の底から嫌だ。
「…テメェに我慢するなんて選択肢があったのか…」
「あァ?お前俺がどれだけ普段我慢してると思ってんだ」
「そりゃ初耳だったな」
この男に気を使われること程背筋がうすら寒くなる事はないが、少なくともドフラミンゴには幾分救われているのも事実。もし元に戻る事が出来たらほんの少しだけでも素直になってやらない事もないかもしれないな。そんな事を考えて、クロコダイルは喉の奥で小さく笑った。





大変遅くなりました!リクエスト小説「小さくなった鰐と、それにメロメロになるドフラ」です!
…メロメロ…?ああ、リクエストに沿うにはどうしたらいいか誰か教えてください。
返品絶賛受け付けてます…!
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