いびつなわたしの世界


「なーなーアイネが食べてる実ってあれだすやん?巨万の富を得る≠チてやつ!」
「…さあ、よく知らないけど」
「お金も何でも創りたい放題ってジョーラから聞いただすやん!」
「え!?そうなの!すごーい!」

あれから正式にドンキホーテファミリーの一員としてドフラミンゴ…若様に認められた私。自ら希望して入団してもその過酷さに皆すぐに逃げていくと事前に聞いたここは、それでも自分と同世代の子供がいた。バッファローとベビー5…しかもベビー5に至っては私と同性同年齢だから驚いたものだ。彼女が一体どのような経緯でこのファミリーに入ったかは知らないけれど、きっとそれ相応の理由があるんだろう。
ほとんどが大人に囲まれた環境だと、自然と子供は子供同士で固まる。私も例に漏れることなく普段はこの二人と行動を共にすることが多くなった。
だがやはり大人も子供も関係なく、この能力を持っていると知っている人間は皆同じような話題を私に振ってくる。

「アイネ、お金出してみて欲しいだすやん!」

キラキラと好奇心が大半を占める瞳でバッファローが言う。その台詞に無意識に片眉が引くついた。分かっている、彼に悪気はこれっぽっちも無い。きっと。それでも湧き上がる嫌悪感を無視することはできなくて。
この能力を手に入れて、それが露呈した瞬間から悉く…それこそ心底うんざりする程に聞かれ続けた。「何でも複製できる?」「じゃあ金も宝石も金塊も、何でも創れるのか」「本当にできるのか」「試しにやってみろ」ここまでは欲望半分、好奇心半分の色を滲ませて。だがその言葉通り実際に能力を使えば──誰もが目を撓めて卑しい笑みを浮かべるのだ。
その有様のなんと汚いこと。唾を吐きかけてやりたいと思ったのは一度や二度なんかじゃない。
全ては私が醜い人間に馬鹿みたいな情けをかけたところから始まった。あの日あの時、飢えた男にお金を創り出したから。だから、

「…やだ」
「え?」
「お金とか宝石とか…そういうのに能力は使わないって決めた。だからやだ」

私の返答に「えーっ!」と二人の声が重なった。

「どうしてもどうしてもダメなの?」
「ごめん…ここにくるまでにいろいろあったの。だからやりたくない」
「そっか…」

それなら仕方ないね、とベビー5が眉を下げる。「諦めようよ」と彼女が代わりにバッファローを宥めてくれたが、どうにも彼は納得いっていないようで不機嫌に口をへの字にしてむすくれていた。「ちょっとくらい!」と食い下がろうとしてきたので「いやだ!」と即座に切り返す。それを何度か繰り返したのち、耐えかねたように唸り声をあげ始めた。

「アイネはケチだすやん!」
「ケチでも何でもいいですー」
「もー二人とも喧嘩しないでよお」

大きな身体で地団駄を踏むバッファローにベーッと舌を出す。ベビー5を間にしばらくいがみ合っていれば、漸く無駄だと悟ったのか急にしおらしくなったバッファローが手に持っていたお菓子を差し出した。

「じゃあ…これ出してほしいだすやん」
「……別にいいけど」

まあこれだけお願いされたのに何もできないのが心苦しいとか…そんなこと思ってなくも、ない。あくまで渋々といった雰囲気を醸し出しながら、差し出されたお菓子に右手で触れる。そして反対の手からスッと全く同じものを出現させた。もちろんそのまま複製するので食べかけの跡まで精巧に。

「すごいすごーい!本当に出てきた!魔法みたい!」

わあっ!と感嘆の声があがって興奮したようにベビー5が飛び跳ねる。
それから隣で「アイネ天才だすやん!」とバッファローが私を持ち上げるだけ持ち上げたと思えば、

「これからおれの後輩として毎日創ってほしいだすやん!」
「はァ!?馬鹿じゃないの!」

このやり取りで再度大喧嘩が勃発してしまい、また間に挟まれたベビー5が大変な思いをすることになるのだった。

「こんなところにいたのか」
「!」

先程よりも苛烈した言い合いに騒いでいれば間に入るように聞こえてきた声。それにぎくりと肩を跳ねさせて瞬時に声を潜めた。慌てて目配せする私たちの頭に過ったのはきついお仕置き。確かにうるさすぎた自覚はある。恐る恐る三人揃って顔を声の方向へ向ければそこにはグラティウスが立っていた。

「探したぞ、アイネ」

ついてこい。
マスクとゴーグルに覆われた表情の読めない顔で、簡潔に彼は言った。


*****


「アイネだけお仕置きですやん!」
「違うし!お仕置きじゃないし!…多分!」
「無事に帰って来てねアイネ…!」

なんで私だけ!騒いでたのは三人ともなのに!笑うバッファローと涙ぐむベビー5に見送られることにとても腑に落ちないと思いながら大人しくグラティウスの後をついて行く。本当に拷問を受けたりするのだろうか…幾分緊張しながら連れられたのはとある部屋。中に入ればそこにはトレーボル様とディアマンテ様…そして若様が待ち構えていた。

「フッフッフ、何とかここで生き残っている様だな、アイネ」

何も分からず椅子にかけた三人の前に立たされる。状況が飲み込めないままグラティウスは部屋を出ていき、若様ら三人と対峙する構図になった。
わざわざ呼び出してきてまで一体、何の話か。ゴクリと喉を鳴らして目の前の若様を見据える。「話がある」そう若様は笑みを携えて言った。

「これからお前を裏社会における一流の取引人≠ノ育て上げる」
「え…?」

一流の、取引人…裏社会の。ひとつひとつ言われた言葉を噛み砕いて理解するがとても消化しきれなかった。そもそも取引人とは何なのか。どういうことをする人間なのか。生まれてこの方まともな教育を受けていない私は一般的な知識すらも危うい。表情から私が戸惑っているのを察知した、もしくは予測がついていたのか、特に焦った様子もなく若様は話を続けた。
ドンキホーテファミリーは闇取引を専門に扱っていること、取り扱う商品は多岐にわたり武器や私の能力の原因となった悪魔の実≠烽サのうちに入ること。今後その取引もファミリーの勢力と共に拡大させていくこと。私でも理解しやすい様、掻い摘んで聞かされた話は大まかに言うとそういったものだった。

「そこでお前の能力を発揮してもらいたい。触れた物を複製することのできる能力…それがあればウチの商品は潤い続ける。取引が格段にやり易くなる」
「……」
「いずれは取引次第で人の心も動きも思いのままになる。戦争も何もかもな。…それじゃァ不服か?」

悪どい笑みを浮かべて若様は足を組み替えた。
人の心も動きも思いのまま。ずっと、人に虐げ続けられてきた私が。卑しい心に振り回され続けてきた私が。今度はそれを利用できる日が来る。若様が私に話していたことはそういうことだった。
───だったらそんなもの決まっている。

「もちろん、やります」

身体の底から何かがこみ上げてくるような。武者震いというやつなのかもしれない。今まで生きてきてこんなに興奮することは初めてだった。口端が自然と吊り上がる私にまた目の前の若様も満足そうに肩を揺らした。

「フッフッフ!いい顔だ」


*****


それからというもの、その一流の取引人≠ニやらに育て上げるための一環として私は別室に連れてこられた。そこには沢山の分厚い本や書類が所狭しと置かれており、見るだけで頭が痛くなりそうな程の量のそれらは今後私が知識として身につけるべきものの一部らしい。
裏社会、闇取引とはいえ取引は取引。国や政府だって相手にするし、寧ろ闇に蔓延る分何でもアリな世界になる。ならばより狡猾に相手を出し抜くために腕っ節だけでは事足りない。故に必要だと判断する知識は全て蓄えてもらうと言われた。

そうして、私の取引人としての教育の日々が始まったのだが───

「そういえばファミリーはこれで全員なの?」

『よいこのまなび』…そう表紙に書かれたファンシーなイラストが目につく本から顔を上げる。私の台詞に一緒に本を覗き込んでいたディアマンテ様も顔を上げた。
取引人としての知識を身につける。そう意気込んだのはいいものの、それ以前にこれまでの出生から私は基本的な読み書きさえ怪しかった。それを若様も分かっていたのか当分の間はファミリーの大人たちが入れ替わり立ち替わりで私に読み書きを叩き込むように根回しをしていたらしく、簡単な子供向けの本を理解するところから始まっていた。何とも教育熱心なことだと思ったけれど、それだけ私の能力に価値を感じているらしい。そうセニョールからは教えてもらった。
毎日一人、もしくは途中入れ替わる形で二人、誰かがいつも先生代わりとしてやって来る。そんな日々がある程度経過すれば自然とメンバーの顔も覚えていって、そこで浮かんだ疑問がさっきのそれだ。
問いへのディアマンテ様の返答は「いいや」だった。

「あと一人いる」
「そうなの?」
「あァ。そいつはドフィの実の弟でおれと同じ──」

弟?微かに抱いた疑問に気を取られる間もなく、ディアマンテ様の台詞の途中から鼓膜を震わせたのはカツカツカツと廊下を歩く足音。速く、段々と近づいてくるそれに言葉を止めたディアマンテ様は「噂をすれば」と零した。

バンッ!

「!」

大きな音を立てて勢いよく開いた扉。そしてその直後、扉を潜ってすぐの所で人が床に転がった。ズデン!というような効果音がぴったりな程に見事に素っ転んだ姿に目を丸くする。

「帰ってきたか、コラソン」

コラソン。ディアマンテ様が口にした名前と思わしき呼称を頭の中で復唱した。
何も起こっていなかったかのように起き上がったコラソンという大男はズカズカと室内に入ってきてはソファに腰掛ける。目を覆う色の濃いサングラスと大きく笑うように塗られた口紅のメイク。ポップなハート柄のシャツも相まってその出で立ちはどことなく道化師のよう。
この人が若様の実の、弟。無言で彼を見つめていれば、近くで私の教材のひとつとして使うつもりだったらしい『はらぺこいもむし』という幼児用の絵本(元々はデリンジャーのためにジョーラが用意していたやつを拝借したそうだ)を読んでいたトレーボル様が立ち上がる。隣にいたディアマンテ様も席を立って、コラソンの元へ向かった。

「んねーんねーコラソン、仕事は上手くいったのかー?」
「戻ったらまずは売上をちゃんとよこせ」

二人が声をかけるがコラソンという男は何も反応を示さない。無愛想な人だな、と視線を送っていればふいに彼がこちらを認識したような気がした。腰を下ろしていたはずのソファから立ち上がればその長い足でどんどんとこちらへ近づいてくる。

「ああ、お前は会っていなかったな。その小娘は新入りだ名前はアイネという」
「べべべっ!ドフィの命令でベンキョー中なのさ!」

後ろで二人か喋るのにも構わず妙な圧力とともにコラソンは私の目の前にやってきた。正確には机を挟んで向かい側。確かにこう対峙してみると若様と背格好がよく似ている…そう思った、瞬間。

「!」

ドサドサドサッ!と落ちる本の数々。机の上から薙ぎ払う様に叩き落とされると轢かれた絨毯の上に乱雑に散らばった。それらは全て私が勉学の上で使用するために皆が用意してくれたもの。

「…! 何を…──ッ!?」

するんだ。そう言おうとした。
だが立て続けに受けるのは顔への衝撃。気づいた時には私の身体は椅子から転げ落ちていて、強く床に叩きつけられた。遅れてやってきたのは頬がジンジンと痛む感覚。視界はグラグラして頭の中に砂嵐が吹き荒れるかのよう。ぶたれた、そう頭が認識するまでにあまりにも長い時間を要した。
何だこいつ…何だこいつ何だこいつ!怒りに震える拳をきつく握りしめて鋭く男を睨み上げる。相手はさも気にしていないかのようにソファに座り直すとどこからともなく取り出したタバコを優雅に咥えた。

「アイネ、そいつがお前が会っていなかった最後の幹部コラソン=B訳あって口が利けないそうだ。ドジな野郎だが腕っ節は強い。──そして、」

子供が嫌いだから気をつけろよ。
おどけるような口調、そして心配するどころか怪しく笑った表情をしたディアマンテ様の姿が視界の端に映った。

───狂ってる。
初対面でいきなり殴られるのも、それを笑われるのも。この場全てが狂ってる。ふらつく脳内でぼんやりと浮かんだのはその一言だった。

(ああ、そうか)

そもそも私は何を勘違いしていたんだろう。生まれて初めて同い年くらいの子たちと会話をした。生まれて初めて勉強なんてした。生まれて初めて誰かに教えを乞うような環境に置かれた。私は、いつの間にか忘れていたらしい。
ここはドンキホーテファミリー。悪事に手を染め人を殺めることすら躊躇しない組織。きっと今まで身を置いてきた場所の中で一番危険じゃないか。

(そしてここを望んだのは、自分だ)

呆然とへたりこんでいるうちにタバコを吸っていたはずのコラソンが火だるまになって床を転がる。何で燃えているんだろう。疑問には思えど口に出す気力はなかった。


この最悪とも言える出会いが、私の心も生きる意味も何もかもを全て変えていくことは────

まだ、誰も知らない。


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