「包帯、取るぞ」

平坦なそれに「はい」と一言だけ返す。シュルシュルと取られた包帯の下を少しの間見遣った後、すぐにまた手際良く元通りにつけられた。

「気分はどうだ」
「えっと…」
「眩暈はするか」
「あ、します」
「どんな?」
「……」

どんな、って…眩暈に種類なんかあるのか…。なんと答えるのが正解なのかいまいち分からずに言い淀む。その間も目の下に隈を携えた顔はじっと無表情でこちらを見ていた。なんかすごく緊張するんですけど。

「こう…ぐるぐるする?っていうか、目が回る…感じ?ですかね」
「そうか」

…え、それだけ?
呆気のない返答に拍子抜けする。パチパチと瞬きを繰り返す私には目もくれず「また明日来る」と一言だけ残して彼は立ち去ってしまった。

「……はあ〜」

上手く話せないものだなあ。
入院して三日目、毎日ロー先生は決まった時間に来てくれる。けど事務的な会話を交わして即終了。寂しい。めちゃくちゃ寂しい。せっかくこの交通事故という不運に見合う形で現れたイケメンなのに。

「なんとか仲よくなれないかな…」

そもそも一患者がお医者さんと仲よくなろうとするのがおかしな話ではあるのかもしれないけど。せっかくなら仲よくお話したいじゃんね?え、下心?ナイナイ。
あれだな、最近よくある恋愛育成ゲームみたいだな。好感度高めないと会話イベント発生しない的なやつ。

「よし、明日は話しかけるぞ」

誰に聞かれるでもなく小さくそう自分に呟いてガッツポーズを…あ、私左手使えないんだった。


*****


頭は縫ったし腕は折ったけど足に何の怪我も無くてよかったと心の底から思った。

トイレに行くために病室を出たついで、親に電話をしようと持ち出したスマホを触る。
私の宛てがわれた病室は四人部屋で二つは空床、そしてタケコさん(90)という先客がいた。「おやまあかわいいお客さんが来たわねえ」なんて顔を合わせた初日に言ってくれて、ほわほわと穏やかに笑うおばあちゃんだった。そんなタケコさんの方が可愛い。推せる。
という訳でそんなタケコさんに迷惑を掛けるのは私の良心が痛むので電話は病室外ですることにしている。

打ち身のせいでベッドから起きたり立ったり座ったりの動作はかなり辛いけど立ってしまえばこっちのもので、歩くだけのことに関しては何の問題もない。せっかくだし少し冒険してみようとふらふら宛もなく病院内を徘徊してみた。単純に病室に篭っているのが暇というのもある。
ここの病院はこの辺でもとりわけ大きく有名な病院で私も何度か外来でお世話になったことがあるけれど、いつもたくさんの患者さんがいた。噂によるととても腕のいい天才外科医がいるとかいないとか。
……あれ?もしかしてそれってロー先生だったりして。



「トラ男せんせ〜!!!」

元気な声が聞こえてきた方向を思わず見遣る。周りは子供たちの割合が多くなっており、気づけば小児科の近くを通っているようだった。
声の方向に向かって歩みを進めると、複数の子供の元気な声が聞こえてくる。とらおせんせい?とやらは随分人気者なんだなあ、と穏やかな気持ちで覗いた先の視界に飛び込んできた人物に、私はついに視力までやってしまったのかと思った。

「……!?」

ろ、ろ、ロー先生!
見た瞬間思わず壁に隠れてしまった。こっそり様子を伺うと子供たちはわらわらと複数人ロー先生を取り囲んでおり、とても微笑ましい光景になっている。ロー先生は身長が高いので子供たちの頭は先生の膝元くらいしかない。多分威圧感が凄いだろうに子供たちは意に介さずキャッキャと騒いでいた。
こんなこと言っちゃあれだけどロー先生はどう考えても子供が好きそうなタイプには見えない。「子供はうるさくて嫌いだ」私の頭の中に浮かぶ無表情なロー先生はその台詞がよく似合う。

「うるさいぞお前ら。ここは病院だから静かにしろ」

ああああほらもう言わんこっちゃない!
対子供でも声色ひとつ変えないロー先生はある意味見ていて清々しい。

(でもそんな対応したら泣いちゃうよ子供が…!)

そんな私の心配も他所に子供たちは「はーい」と声を揃えるだけで特に何も変わらなくて。え、ええ…あの子たち強心臓すぎない…?
未だに騒がしい子供たちに何故か私がハラハラした心地になっていると、群れの中で一人、ロー先生の白衣を引っ張る子がいた。

「トラ男せんせ、トラ男せんせ」
「…何だ」
「あのね…これ!トラ男せんせかいたの…!」

その子はツインテールが可愛い女の子で、ぷくぷくの頬をぽっと赤く染めて一枚の紙をローに渡した。ここからじゃ中身は見えないけれど、女の子の台詞からおそらくロー先生の似顔絵。

(え〜!!!可愛い〜!!!)

壁から見守る私はさながら保護者か何かの気分。
いやでもあの人がそんなものを受け取る感じが全くしないんだけど…!
ロー先生もといトラ男先生は数拍の無言を貫く。そうしてその長い足を折りたたむと、女の子の目線に合わせるようにしゃがみ込んだ。

「ありがとう」

ぽん、と手のひらが女の子の頭に乗る。小さく微笑んだロー先生は大切そうにその似顔絵を女の子から受け取った。
ぽぽぽ!と更に顔を赤く染めた女の子の頭を再度ぽんぽんと撫でるロー先生はそれはそれは優しくて素敵なお医者さんで。

「ぎゃ、ギャップ萌え…!」

思わず悶えるように私が呟いてしまったのは無理もないだろう。好感度を上げるどころかこちらが上げされられるだなんて!

「やだ推せる…!」

私はどえらいモノを見てしまった!


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