女の顔に傷は残せないだろ?

初めて見せた優しい微笑みでそう言ったロー先生。突如落とされた反則級のそれに狼狽えに狼狽えた私はその日先生のことで頭がいっぱいだった。脳裏に焼き付いたあの表情がふとした時に過っては勝手に顔が熱くなるのだから本当に参ってしまって。
これ明日から通常通りにできるのかな…とも思っていた。けれどそんな折、舞い込んできたビックニュースによってそんな私の不安はあっという間に消え去ってしまったのだ。




「…随分と機嫌がいいな」

翌日回診に来たロー先生が私を見て放った第一声。よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに私はそれに勢いよく食いついた。

「えっ、やっぱりそう見えます!?実はすごくいいことがありまして!聞いてくれますか?」
「いや遠慮しておく」
「実はですね〜」
「おい人の話を聞け」

じゃじゃーん!と効果音をつけてスマホの画面をロー先生に向ける。そこには私が推してやまないマリガル≠フナミ≠フSNSアカウントが映っていた。

「実は私の推しがおめざめテレビのお天気お姉さんに抜擢されたんです!」

そう、これこそが私の下へ舞い込んできたビックニュース!朝に更新されたこの記事のおかげで私の頭の中にいたロー先生は一気に彼女一色に切り替わった。推しのパワーと歓喜による勢いで昨日の戸惑いは嘘のように消えている。ありがとう推し。ありがとうナミ。推し(と書いてナミと読む)は世界を救う。
おかげでそれはもう弾けんばかりの笑顔を見せる私に訝しげに目を細めたロー先生はスマホ画面を見つめる。そして長い沈黙を置いた後、は?と一言だけ零した。

「あ、おめざめテレビ知らないですか?いつも平日の朝にやってるんですけど」
「それは知ってる。誰だその女」
「その女…!?ナミですよ!」

マリガル≠アとMARINE girls≠ヘ絶賛人気急上昇中の女性アイドルグループで、私はそのメンバーであるナミの大ファン。ちなみにメジャーデビューよりずっと前の駆け出しのころから熱烈に推しているおかげで彼女からはばっちり認知もされている。一部のナミファンは本人から「お財布ちゃん」と呼ばれ、それは彼女からの最上級の褒め言葉かつ認知されている証拠でありまして。そしてもちろん私も「お財布ちゃん」の一人。

「どうですか羨ましいでしょう!」
「全然」

くっ、即答か…!意気揚々と語ったにも関わらず全くもって動かない表情筋、それどころか若干引かれているともとれる雰囲気に非常に嘆かわしい気持ちになった。だけどそれくらいじゃ私は屈しない。推しを布教するためなら!

「ロー先生も絶対気に入るメンバーがいますよ!例えばこの子とか!」

そう言いながら画面をスクロールして見せたのは、同グループのメンバーであるハンコック。男性人気がダントツで、彼女がグラビアを飾った雑誌は軒並み人気過ぎて売り場から消えるらしい。同じ女性である私も目がくらむ程の美しさを持つ彼女ならばきっとロー先生も!と思ったものの、画面を見つめる表情は何一つ変わらなくて。

「…いや別に」

え、まじか…。ハンコックを見てここまで無反応な人初めて見たかもしれない。

「先生、女の人に興味ないんですか…?」
「は?」
「ま、まさか、童て」
「それ以上言ったらバラすぞ」
「すみません悪ふざけがすぎました許してください」

危ない。目が本気だった。あれかな、やっぱりイケメンは美女にも免疫があるってことなのかな。先生のルックスと医者っていうスペック考えたら女の人に苦労しなさそうだもんな…。ハンコックの画像を眺めながらうんうん唸る私にロー先生は深いため息をつく。

「で、そのナミとかいう女がおめざめテレビの天気を担当するからそんなに機嫌がいいのか」
「そう!そうなんですよ!明日かららしいので先生もぜひ観てください!」
「残念ながらおれの家はZAP派だ」
「なんと…!?」

確かにZAPも面白いけど!でもそうか、ロー先生のお家はZAP派なのか。もし家族で観てるなら無理強いはできないしな…。

「じゃあせめてZAP派の先生には私がこれから毎日ナミの魅力と共におめざめテレビの星座占いの結果を教えますね…」
「は?」
「知らないんですか?おめざめテレビの星座占いって意外と当たるって有名なんですよ。ついでに妹さんのもお教えしましょう!」

実は同い年だってことが判明して勝手に親近感が湧いているラミちゃん。ドヤ顔で胸を張ると、ポカンとしたまま数秒の間を置いてロー先生は微かに笑った。え、なんで笑ってるんだろう。くそう、やっぱりかっこいいな。

「教えるってお前、おれと妹の星座知らねェだろ」
「あ、そうだった。先生と妹さんの誕生日教えてください」

そこで「わざわざ誕生日聞くのかよ」なんてまたロー先生は呆れたような顔をしながらも、しっかり自分と妹さんの分の誕生日を教えてくれるからやっぱり優しい人だ。


*****


それは夜、いつも通り薬を持ってくるのとついでにされる血圧測定の最中、一人のナースさんから放たれた言葉だった。

「ナマエさんってロー先生のこと好きなの?」

まるで仲よく会話をしていたと思ったら前触れもなく突然ビンタを食らったかのような。実際ビンタに近いと思う。言葉という名の。完全に虚を突かれた私は噎せた。それはもう盛大に噎せた。

「ッぐ、ぅ……げほッ……!」
「あらやだ大丈夫?」

気管に何かが入り込んだのか勢いよく咳が出る。ナースさんが背中をさすってくれたけれど私はとてもそれどころじゃなくて。え…今なんとおっしゃいました…?それが聞きたいのに私が噎せ返ったせいで血圧測定がやり直しになったらしく、一旦外した血圧計をもう一度装着させられた。それは聴診器で脈音を聞きながら手動で空気を入れて測るタイプの血圧計。聴診器を当てたナースさんはニヤリと笑う。

「あらあ、さっきより脈が速いわね」
「……!」

いやそんなん速くなるに決まってるでしょうが!結局測定し終わった血圧はいつもより高めの数値を出したらしく「ま、動揺からということで許容範囲内かしら」というナースさんの診断の下カルテに記入された。
その後一体どういう事かと詳しく話を聞いてみれば、どうやら私はナースさんたちの中で結構有名人になっているらしく。

「あの<香[先生と仲よしな入院患者ってことでね」
「はあ…」
「ロー先生って確かにイケメンだけどあんな感じでしょ?私たちナースには特に厳しくて怖いし!」

曰く、若い新人がロー先生の見目に惹かれたと思えばその容赦ない厳しさに打ちのめされるパターンがあとを絶えないのだとか。うわあ、なんとなく想像がついてしまう。

「なのにナマエさんとは病状のこと以外にも世間話までしてるって聞いたからもうナース一同びっくり仰天しちゃって!聞いたわよ、仕事終わりのロー先生がわざわざこの病室に来てたらしいじゃない!」

で、どうなの!?とキラキラした目で詰め寄らればすごく居心地が悪くなった。分かってたけどやっぱり先生があの時病室に来たのって普通じゃなかったんだ…!そりゃ当たり前に仕事が終わってるお医者さんが入院患者のところに行くなんて聞いたことない。でもまさかそんなあらぬ憶測が飛び交うとは…。
ナースさんの期待の眼差しから逃げるように目を逸らして私は考える。確かに…世間話と言われれば世間話はしているんだろう。だけど私たちの会話は大体私が一方的に話しかけているために成り立っているというか…なんか自分で言って悲しくなってくるな。
でもまあ入院生活が始まって徐々に接触が増えていった中、ロー先生の印象は随分と変わったように思う。確かにめちゃくちゃ意地悪だしいろいろと規格外な人だけど、なんだかんだあの人はすごく優しい。だから。

「好きですよ、ロー先生のこと」

思ったままのことを声に出す。するとナースさんの色めき立った声が上がった。あ、間違えた!これ絶対違う意味で伝わってる!

「あのっ、違いますよ!?好きっていうのは変な意味じゃなくて、えっと、推してるって意味で好きということです!ファン的な!」

思わず折れていない方の腕を思いっきり前に突き出して否定のポーズを取った。
そう、例えるならロー先生は近くにいる推しで、話してもらえるのは認知をされたおかげで受けられる一種のファンサービスのようなもの。ナミとはまた違った形の推し。いろいろ無理がある気がしなくもないけど、それが一番しっくりきた。

「えーそうなのお?」
「そうです!」

私の慌てた弁明にナースさんは分かりやすく落胆するような表情を見せる。絶対この人に限らず面白がってるなナースさんたち…!

「本当に本当にそれだけ?ちょっとときめいちゃったりとかないの?」

あんなイケメンの医者に特別扱いされるのに?と想像以上に食い下がるナースさんにぐっと喉が詰まる。大体特別扱いとか言う程可愛らしいものじゃないし…!散々馬鹿にされて揶揄われて脅かされて…昨日だって、

女の顔に傷は残せないだろ?

……昨日だって。そう思って蘇ったのはなぜかあの瞬間で。意地の悪い皮肉めいた笑顔の方が何度も目にしたことがあるはずなのに、よりによって思い出すのは柔く微笑んだあの笑顔。
せっかく大好きなナミのことでいっぱいだった頭がみるみるうちにロー先生に侵食されていく。薄まってたのに…無かったことにできそうだったのに…!無言のまま段々と赤く上気する私の顔を見たナースさんは何かを悟ったような表情をする。

「ちっ、違いますからね!?」
「へぇ〜〜〜〜???」
「あぁぁぁああ!もう!!!」

否定の言葉もむなしくニヤニヤと意味あり気な笑みを浮かべるナースさんに結局私ができたのは意味のない声をあげることだけだった。

(それもこれもロー先生がいつもと違うことしてきたからだ!)

八つ当たりも甚だしいことを内心叫び倒して熱い顔を覆い隠す。そんな私が多少は可哀想になったのかナースさんは「ごめんごめん」と言ってくれたが、全然ごめんと思ってないような非常に軽い謝罪にむくれる。それにまたナースさんはからからと笑って手際よく周辺を片すと、顎に手を当てて少し考えるそぶりを見せた。

「でもロー先生もナマエさんのこと気に入ってると思うのよね」
「え?」

まるで独り言のように零された台詞に反射的に聞き返す。これがよくなかったのかもしれない。にっこりと綺麗な笑顔をしたナースさんは再び言葉のビンタを私へ浴びせるのだった。

「だってロー先生、ナマエさんの回診に行く時はとても楽しそうだもの」

……えっ?



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