案の定私はあれからサボさんに関する怒涛の質問攻めにさらされ、退勤後会社を出るまでそれは続いた。

「つ、疲かれた……」

会社の自動ドアを潜る頃にはひと戦終えた気分で思わず心の声が漏れ出る。疲労困憊の中、気だるい足どりで指定された待ち合わせ場所に向かえばその原因である彼は既にそこにいた。
簡単な挨拶の後、「何が食べたいですか」の問いに「特には」と返せば「じゃあおれ肉食いたいので」と連れてこられたのはカジュアルな雰囲気漂う程よい照明がお洒落なバル。ていうか肉食いたいって結構ワイルドだなこの人。

「今日はありがとうございました」
「いいえ、とんでもないです」
「会議も無事終わりましたし。そちらは大変そうでしたが」

あーこれはあのハゲのことを揶揄しているんだろうかと何とも虚しい気持ちになる。サボさん側に比べてこっちはてんやわんやだったもんな。

「ええ…あのハ…上司はふんぞり返ることが仕事ようなものですから…すみません」

おっと危ない心の中でハゲって呼びすぎて思わずここで言ってしまうところだった。

「まあ他社のおれでもあのクソハゲオヤジと思ったので心中お察しします。ナマエさんがいて助かりました」
「お、おお……」

まさか彼の形のいい口からクソハゲオヤジなどという呼称が出てくるとは思わず、動揺から感嘆が漏れる。綺麗な顔に似合わず豪快な性格なのかもしれない。やはりエースくんの兄というだけはあるということだろうか。

「あれからどうですかエースは」
「あ、あれからですか?特には、というかそんな頻繁に顔を合わせるわけでは無いので…」

この一週間私は今日の会議に向けて文字通り忙殺されてたしエースくんと顔を合わせたのは一度だけだ。それに未だ私は彼の連絡先を知らない。その旨を伝えればサボさんは面食らったような顔をした後、何か考えるように顎先に手をやる。

「あいつ思ったより奥手だな…」
「え?」
「いいえ、こちらの話です」

小声で呟かれたそれはよく聞こえなかったが、笑顔でそう言われてしまえば追求する術はこちらにはない。首を傾げていると、注文した料理がちょうどやってきた。うわ美味しそう。

「ナマエさんが問題なければ、エースと連絡先を交換してやってください」
「え…ええ、それはいいですけど…」
「おれも仕事がありますし、物理的な距離もあるのでいつでもエースを気にしてやることも出来なくて。ナマエさんが近くにいれば安心ですし、万が一のことがあった時頼れる大人が少しでも多くいるといいでしょう」
「私にそれが務まるかは微妙ですけど…随分とエースくんのこと大切になさってるんですね」

確かにエースくんは学生だけれど、もう20歳で法律的には大人の仲間入りをしている。女の子ならばともかく男の子である彼はそこまで守らなければいけない人間だとは思わないけど…一人っ子の私とは考えが違うのだろうか。
サボさんはナプキンで口元を拭いながらしばらく思慮する素振りを見せると、フッと目もとを細めた。

「そうですね…過保護、とも言えるかもしれない。でも大切なんです…本当に大切な兄弟で」

あまり過ぎると怒られてしまうんですけど、と困ったように微笑うその様は心做しかどこか物哀しい。
もしかすると他人の私が易々と踏み込めない何かがあるのかもしれない。それなら尚更私には何も出来ない気がするという言葉が一瞬浮かんだが、それは胸の中にしまっておいた。



食事を終えてお店を出ると、サボさんから一枚のメモ用紙を渡された。中身を確認すると携帯番号と思われる数字の羅列。それはサボさんのプライベート用の電話番号で、エースくんのことで何かがあれば連絡が欲しいとのことだった。仕事用と分けているのは、仕事上やむを得なく連絡先を交換した相手からプライベートな誘いが来ることが頻繁に起こったかららしい。イケメンは大変なのだと同情をした瞬間だ。

「こちらの番号であれば捕まりやすいと思うので」
「ありがとうございます」
「あとナマエさんに伝えたいことがあって」

伝えたいこと…。はて何だろうか。思い当たりが無くて首を傾げる。エースくんに変なことしたら殺すとかそういうやつか。うわどうしよう有り得る気がする。ざあっと少し湿り気のある風がサボさんの綺麗な金髪を揺らす。蒼い瞳に身構える私が映った。

「───おれは覚えている≠ニ」
「……ん?」
「ははっ、意味は分からなくてもいいですよ。ただこれを忘れないで欲しい」
「は、い」
「もしも意味が分かるようなことがあれば、連絡をください」

とても切実な声音だった。
不思議と深い追求は出来なくて私はただ首を縦に振った。

「あともう一つ、今日おれと二人で会ったことはエースには言わないでください」
「え?」
「きっとすごく怒られてしまうので」

えっと…それは大切なお兄さんに何処の馬の骨ともしれない女が近づくなということだろうか。サボさん確かにめちゃくちゃモテるだろうし。

「仲よしなご兄弟ですね…」
「?」
「いや、エースくんもサボさんのこと好きなんだなあと」

私の台詞にサボさんはキョトンとした顔を見せてしばらくした後、吹き出すように笑ってしまった。え、なに、私変なこと言った?
オロオロとする私に心底可笑しそうに笑ってサボさんはこう言った。

「逆ですよ、逆」


*****


エースくんの連絡先を教えて欲しい。
サボさんと食事をした日から数日後、いつものようにエースくんが私の部屋の窓を叩いて話す機会が訪れた時、いの一番にそう言えばなぜか大いに本人はむせた。

「へっ、え、突然どうしたんだよ」
「いやあのサボさん…」

「今日おれと二人で会ったことはエースには言わないでください」思わず出てきた名前にあの台詞がリフレインする。

「サボ?」
「あ、いや……ほらお互いなにかあった時に連絡先知っておくと便利と思って!ご近所さんとして!」
「…ふうん?」

うわなんか疑われてる…どうしよう怒られたくないよ〜!ジト目をするエースくんの表情からきっとすごく怒られるというサボさんの言葉が脳裏に過ぎりながら引き攣る笑顔を貼り付けた。

「…まあいいや。いいよ、交換しよ」
「! うん!ありがとう」
「じゃあおれが電話番号言うからこっち掛けてきて」

えっ、今ここで?そう思う間もなくエースくんは口を開く。

「じゃあ言うぜ、0」
「ちょ、ちょちょっと待った!」
「あ?」
「ダメでしょこんなところで!」

怪訝な顔をするエースくんに語気が強まってしまうのは許してほしい。だって私たちはマンションとアパートのベランダから数メートルの距離を介した会話をしている。しかもエースくんの方はベランダに出てしまっていて、そんな状況で電話番号なんて…どこで誰が聞いてるか分からないのに!
慌ててその旨を伝えればエースくんはますます怪訝な顔をして「今更じゃね?」と言った。そんな顔しないで傷つくから。

「誰も聞かないから大丈夫だろ」
「分かんないじゃんそんなの」
「じゃあ誰が聞くんだよ」
「…エースくんのファン、とか?」
「ぶはっ」

くっくっく、と可笑しそうに笑うエースくんに大人気なくもムッとする。君かなり人気者なんだからファンくらいいると思うけど!知らないけどさ!大体こっちは色々心配して言ってるのに!

「分かった分かった、じゃあ別の方法にしよ」

粗方笑って落ち着いたのかエースくんは目元の涙を拭う素振りを見せた。ていうか笑いすぎでは。
早速さてどうしようかと二人して頭を捻ることになったのだが、まず手は届かない距離だし、私が番号を書いた紙をそっちに投げるといえば「それこそ危ないから却下」と即答された。

「大丈夫コントロールには自信あるから。多分」
「どんな根拠だよ」
「ぐっ」
「もう大人しく下に降りて合流した方が早くね?」

……確かに。



ポコン、とスマホの通知が鳴る。トーク画面には可愛らしいキャラクターのスタンプが一つ送られてきた。それにクスリと笑みが零れる。
結局エースくんとは下で合流した後、電話番号と連絡アプリの両方ともで連絡先を交換することにした。トーク画面を眺めていると、ふと彼のアイコンに目がいく。それは海を背景に三人が肩を組んでいる写真で、サボさんとエースくん、そしてその間にいるのは笑顔の眩しい男の子。

「それ弟。可愛いだろ」
「……えっ!?」

アイコンを拡大して見ていたのがバレたのか、横からエースくんの声が入ってきた。わざわざ拡大してるのを見られた恥ずかし…ってそんなことより弟って!中高生くらいだろうか、可愛らしい顔立ちをした弟くんを凝視する。これまたエースくんともサボさんとも系統の違う…だから神様!ここの兄弟に力入れすぎだから!

「エースくん三兄弟だったんだね」
「あァ、まあ血は繋がって無ェけど」
「……え」

サラリと言われた事実に思考が停止した。

「サボのこと兄貴だって言った時のナマエちゃん、似てねェ〜!って顔してたもんな」
「へっ!? いや、あの、あれは」

随分と顔面偏差値の高い兄弟がこの世に存在したものだと驚きまして…と小声で言えば、なんだそりゃ、と彼は可笑しそうに笑った。頭の後ろで手を組んで空を見上げる彼に釣られて私も見上げるとそこは美しい星空が一面に広がっている。しばらく無言のまま二人で夜空を眺めれば、静かにエースくんは声を落とした。

「おれは孤児院で育ったんだ」
「……!」
「サボとルフィ…弟の名前なんだけど。そこで二人に出会った」

孤児院で三人で過ごす中で自分たちは兄弟だと幼いながらに契りを交わしたこと、サボさんは高校入学と共に一人暮らし、同時期に自分はルフィくんと共に里親に引き取られたことを少しずつ静かに彼は語った。

「サボは頭が良かったから学費免除で大学まで行ったんだけど、おれはあんま頭良くねえしルフィもいるから中学出たら働こうと思ってたんだ。だけどサボがすげェ止めてきて」

結局サボさんや里親の援助もあって大学まで通えている、とそう言った。

「サボっておれたちのことばっかなんだよ。自分だって大変な思いしてきたのに…」

視線を落とした彼の横顔が力なく微笑う。その顔は本当に大切な兄弟なのだと憂いの色を滲ませて微笑みを浮かべたサボさんと重なった。
言葉に迷っていると、こちらを見たエースくんと目が合う。

「悪ィ!ちと重すぎるか」

頬をかきながらへにゃりと眉を下げる彼に、そんなことは無いという意を込めて首を横に振った。こんな時に気の利いた一言も発せない自分に嫌気がさす。少しでも頼れる大人が多くいれば、と語ったサボさんの真意をここで漸くはっきりと認識できた気がした。

「この話あんま誰にもしたことねェんだけど。ナマエちゃんにはつい話しちまった」

エースくんはなんでだろうなァ、とからから笑う。

「本当に話しやすいんだ」
「ふふ…私のこともお姉さんだと思っていいよ」

それは冗談七割の本気三割くらいの台詞だった。
努めて軽い口調で言ったそれにエースくんは一瞬だけ目を見開いて、その後フッと小さく笑う。

「それは嫌だな」
「………そうですか」

即座にそう言われてしまって、地味に傷ついた。いや、いいんだけど…結構グサッときたな今の。
でもそれもそうか。サボさんやルフィくんと比べて圧倒的に過ごす時間さえ足りてないのにそんな奴に姉と思えと言われて頷けるはずもない。別に私が言ったのは近所の頼れるお姉さんという意味であって、あの二人と同じようにとは微塵も思っていないのだけれど。
じくじくと痛む胸をそのままにつま先へ視線を落とせば、ふいに頬に何かが触れる。それはエースくんの手で、長い指先が髪を梳かした。思わず息を飲んで彼を見る。

「ナマエちゃんがおれの姉ちゃんになったらすげェ嬉しいけど、それ以上に困っちまう。だから嫌なんだ」
「…なんで困るの?」
「内緒」

それはまたいつか教えるよ。
満天の星空の下でそう言って微笑う彼の顔は驚くほど儚げで綺麗だった。


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