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巣窟ヘヴン02


「久しぶりだけど、やっぱ変わってないねー」
「ああ、敦たちはあまり帝光城から出ないか」

 黒塗りの車の後部座席は四面座るところがあるが、二人は隣同士で座っている。征は手にスパークリングウォーターを持ち、紫原はお菓子の袋を持って隣にも山積みにジャンクフードを積んでいる。
 一般的に高級車と呼ばれるその車は舗装された路をスピードにのって走っている。帝光城から舗装された路まではジープで悪路を走っており、それに比べると快適という他ない。車の窓から見えるのはとても賑わっている街並みだ。
 帝光城にいると曜日感覚が狂うから困る、と征はよく言う。あそこは何曜日だなんてほとんど関係がない場所なのだ、日にちでさえ分からなくなることもある。今日は丁度なにか行事があったらしく、いつも以上に人や車が多い。運転手は速度を緩め、渋滞に巻き込まれないように細心の注意を払いながら緩やかな一定速度で走らせる。
そして目的の場所に到着すると、征の持っていたスパークリングウォーターが揺れることもなく停車した。

「迎えはまた連絡する」
「はっ」

 開かれた扉からまずは紫原が出て、黒いトランクを2つ持つ。最後に征が出てきてそのまま建物の中にはいった。
 この街で一番よく使われている銀行と謳われるそこは、行事に参加するついでに用事を済ませようとでも言うかのように人で混雑していた。ソファがあるが、勿論びっちり座っていて、立っているのも億劫になるほど人口密度だ。いつもはカツンカツンと自分の歩く音すらも響く静寂は今日は味わえないらしい。
 二人が入るとざわついていた待合いは一瞬で音を無くしたかのように静かになった。その一瞬を通り過ぎると徐々に音を取り戻して雑音が響きだす。征は窓口を見渡し、もうすぐ終わるところを探して割り込みで名前を告げる。私服かスーツを着ている人間ばかりのところにいきなりアオザイを着た男(しかも一人はとてつもなく大きい)が現れるのだから、目を見開いて驚いた。驚いたがその顔を隠して受付嬢は「順番にお呼びしております」とにこやかに言い放った。

「はぁー? 征ちん待たせるとかさぁー」
「敦、いい。今日は急だったからアポイントをとっていなかったし。すまないが順番というのはどうやってとるんだ?」

 受付嬢に文句を言おうと凄もうとした紫原を止める。受付の後ろで作業している数人が征らを見て急いで駆け付けるのが見えたからだ。

「赤司さま! 大変失礼を、」
「混み合っているね」
「ええ、近くで祭りが行われるようで」
「混んでいると思っていなくてね。つい連絡をせずに来てしまったんだが、止めた方がいいかな?」
「いえ、こちらでお待ちいただけますか?」

 そうして個室に案内され、そこで珈琲を出されて少し待たされる。

「敦、先に氷室さんのところに行ってもいいんだよ」
「えー、そしたら征ちん一人になるじゃん」
「まぁ、そうだがなんの問題もないだろう」
「あるじゃん。俺は征ちんのボディーガードのつもりで来てるんだから離れちゃダメなの」
「この金はこのままここに入れるから大丈夫だぞ?」
「んもー、征ちんの身の危険を守るのが俺のお仕事なの」

 分かってないなー、と出された茶菓子のクッキーを二枚一度に食べる。まぁまぁかな、なんて言っているが、赤司が全部食べて良いよと言った途端に皿を持って全部食べきった。
 征は別段弱くない。生まれたときからこんな世界に身を置いているのだ、必要最低限の護身術くらい習っているし、足の速さもある(これは逃げに使われたことはなく、追い掛ける方で使われている)。ボディーガードなんて邪魔なだけだが、帝光城の赤司家の敷地内は征と征十郎がいないと成り立たないため、いざというときの身代わりとして置いておけと言われて可能な限り付いている。さらに言えば、キセキの世代と名付けられたグループは基本的に征十郎と征に過保護であるので側にいることが多い。そのため危険は毎日のように付きまとうが、それを回避できる状態にある。

「お待たせしました」

 ようやく銀行員が揃って征は用件を伝える。紫原は金の話に全く興味がないし、自分に出される給料も征十郎に預けて必要なときに貰うようにしているくらいだ。この話は別段興味を引くものではない。
 何千万かの金がマフィアに渡っても、何十億かの金がどこぞの政治家に流れても問題はない。征と征十郎が考えてやったことならば回りに回って利益になると確信があるからだ。
 紫原は赤司兄弟を崇拝している。キセキの世代は全員形はどうあれ兄弟に少なからず敬意を払っているが、その中で一番神格化しているのは明らかに紫原だ。あの二人は凄いのだ。まだ子供と呼ばれる年齢なのに大人を言い負かす口も、実行力も、権力も、知能も、何でもあるのだ。その彼らに拾われて自分は幸せ者だし、これからもあの二人がいてくれたら幸せが続くと疑うことすらない。
 その幸せの下にとれだけの屍があろうとどうだって良いのだ。

「よろしく頼むよ」
「はい。確かにお預かりします」

 難しい話は終わったらしく、征が立ち上がる。それに紫原も続いて先程のホールに出た。もうそろそろ受付時間が過ぎるというのに人はまだまだ待っていて、きっと営業時間内に終わることはないだろう。
 銀行を出ると、さらに人は賑わっていた。仮装した子供や、お菓子たくさん持ってる学生、酒を片手に笑い合う大人たち。身軽になった二人はすいすいと人を避けて次の目的地へと歩を進める。

「久しぶりだなー、行くの」
「そうだね。でも店も混雑してそうだな」
「あー、かきいれ時?ってやつかもね。なら二階でのんびりさせてもら……や、その時は帰ろ」
「? 時間はあるからゆっくりすればいい。なんなら店の閉店時間まで違うところで時間を潰しても良いよ」

 その征の言葉に、んー、と紫原はあやふやな返事をする。紫原的には征の言うように氷室の店でゆっくりと仕事ぶりを見ながら美味しいものを食べていたいのだけれど、その店には一つ欠点がある。欠点、というと大袈裟だし、他の客にはなんら欠点でもなんでもないのだが、紫原と征十郎の嫌う男がたまに出入りするのだ。

(まー、人の多い祭りの日だし帰って来てないかなー)

 ぽりぽりと紫色の頭をかいて欠伸をする。紫原と征十郎以外はその男のことを容認している節があるため、キセキには別段なにも言われない。しかし征十郎がとても嫌っている。征が虹村を嫌うように、征十郎もその男を嫌っているのだ。
 建ち並ぶオフィスビルの隙間を縫うように店がぽつぽつと存在する。そのなかの一つが目的地である。カントリー調の、パステルブルーの外壁で扉や窓枠は白く、所々剥げているのがまた味がある。バルコニーのテラス席ではパラソルを設けて強い日差しから守りつつ涼しい風を楽しめると女性客から好評だ。
 数段の階段を上ってその店へと入る。満員で、待っている人もいるくらいだ。アオザイを着た男たちが入るには幾分か浮いてしまうが、本人たちは気にしていない。街ではアオザイを着た連中には気を付けろという暗黙の注意があり、周りの客がそわそわと店を出るべきかどうすべきか迷っている。

「室ちーん」
「やぁ敦! 久しぶりだね!」

 左目を隠した泣き黒子の男は、にっこりと笑顔で二人に挨拶をしてくれた。しかし右手でフライパンを握りつつ、左手で盛り付けをするというというなんとも器用な事をしている。つまりは一番忙しいときに来店してしまったようだ。

「ありゃりゃ、大変だ」
「上に行っててよ。手が空いたらすぐ向かう」
「手が空くことあんの?」
「空かせるんだよ」

 ここはランチも遅めにしているため、まだご飯系のものを頼む人が多い。祭りの日であってもオフィス街の大人たちの仕事は減らないし、時間差でランチをとらなくてはいけなくなるのだ。遅めのランチをしているこの店はそういう大人たちの最後のランチ手段としても活用されている。勿論カフェとしても賑わっているから、暇な日というのはあまりない。

「や、今日は別に…………」
「敦、遠慮しなくても良いんだぞ? 氷室さん、カウンターの一人席は空いてますか?」

 ぴっと指差す場所は、仕事をしていても客と話が出来るようにという思いで作ったカウンターの一番端の席だ。今のところ、並んでいる中で一人で来ている客はおらず、ぽつんとそこだけが空いている。

「ああ、そこなら大丈夫だけど」
「敦、そこに行け」
「赤ちんはどうすんの?」
「上に行かせて貰う。氷室さん、仮眠させてもらっても?」
「構わないけれど、」

 じゃあそうさせてもらおう、と征はスタッフオンリーの扉の向こうに消えていった。征的には旧友と積もる話があるだろうという好意でしかない思いからの行動だが、紫原には焦る要素でしかない。

「え、え、えっ室ちん、ちょっと」
「おお、敦! よう来たなぁ! 最近は客が多くて嬉しいわい」
「ちょ、アゴリラやめてよ! ……つーか、客が多いってどういう」
「誰がアゴリラじゃ!」

 すとん、とここの店長である男に席に座らされる。この店の店長を務める男はカントリー調のカフェがまるで似合わない男であるが、ちゃんと切り盛りをしていて、カフェに住むゴリラとかなんとか子どもに言われて実は意外に人気がある。

「一昨日かな、大我が帰ってきてて二階に住んでるんだ」
「それ先に言ってよ!!」

 嫌な予感が的中した。紫原はすぐに立ち上がって征の向かった方へと行こうとしたが、二人の店員によってそれも叶わない。

「あーきらめろ。あいつらもう会ってるぜ」
「会ってるの邪魔したらこっちまでとばっちり喰うアル」

 待て待て、と背の高い二人が飛びの前で仁王立ちした。行かせないとの意思表示なのか、二人の手が扉の前でばってんを作っていて、その手には二人とも注文の書かれた伝票がある。内容もランチにカフェにと様々。つまり面倒事はごめんなのだ。ここの店員はこの扉の先に紫原が行けばのちのち面倒なことになるということを十分理解している。万が一なにか壊そうものなら、オーナーである荒木雅子という若干赤司たちと同じ世界に入っていたんじゃ……と思うほど怖くて強い女性に殴り倒されながら説教されるという最低のコンボを決められてしまうことになる。

「福ちんも劉ちんも邪魔しないでよー。捻り潰すよ?」
「じゃあお前に今からいく勇気あんのか? あ?」
「……」

 いく勇気あるのかの訳は、二人がいるところを見てなにも壊さない自信があるか、征に「二人にさせて欲しい」と直接言われてダメージを受けない防御力があるか、だ。そんなものあるわけない。

「この忙しいさが過ぎたら特盛パフェを作ってやるから。とりあえず、な?」
「う……ん? とりあえずでなに俺にエプロン渡すの?」
「敦、俺たちはいま時間がないんだ」

 こうしてのんびり話しているようで、全員なんらかの仕事を高速で行っている。つまり、藁にもすがる思い、猫の手も借りたい程の忙しさなのだ。そう、帝光城の現住人の手を借りたいほどなのである。

「……はぁー、くるんじゃなかった」

 きっと断れば出ていけと言われて別のところに行かなければならなくなる。これ以上征から離れるのを避けたい紫原は、渋々その黒いエプロンをアオザイの上からつけてキッチンに入った。


* * *



 ギシギシと階段の木材が踏まれる音がする。帝光城は燃えやすい木材の建物は禁止しているので、その感触はとても珍しいものだ。ギシリ、と最後の段を踏み込む。目の前にある扉を開くと、リビングのような部屋があって、店員の休憩室として普段使われている。大きな二人用ソファ二つに小さなキッチン。もうひとつ部屋があって、そちらにはベッドもあるが、征はソファ目当てでここに来た。
 紫原はここがとても気に入っているらしく、よく店に行きたいと言う。氷室たちあの店員たちは一年ほど帝光城にいた時期があり、そのときからの付き合いだ。その願いを聞けて良かったと一階でわたわたしている紫原を知らずに心が暖かくなる。
 ここの店員たちが大きい人間が多いからか、ソファも一回りほど大きい。そこに横になれば十分に仮眠をとることは可能だ。
 帝光城下層部の売春施設の病気蔓延が目を逸らせられない程になってきており、どうにかしなければと策を考えていたら睡眠不足になっていた。さらに今日、赤字を見て余計に頭が痛い。急に必要となった金の工面も出来たし、本家への入金も、その他もろもろ銀行での手続きもうまくいったため、悪い事ばかりの一日ではなかったのが救いだ。さらに一番はこの時間を休憩とできたことだろうか。
 柔らかなソファに座ると弾力をもって沈むのが気持ちいい。ぽすんと横へと倒れこむと、クッションがいい枕代わりになる。窓も少し空いていて、心地の良い風が吹いているし、陽も少し当たる。外は賑わっているが、とても平和的なものでBGMとして聞いていられる程だから苦痛ではない。
 もう少しで眠りに落ちる、と言うときに隣の部屋で物音がした。この場所で危険人物がいるとは思わないが、どこの誰だか分からない人がいるところで眠れる程平和ボケはしていない。かちゃん、と軽い音でノブが回る。

「はー、良く寝れた……って、征!?」
「なんだ、君か」

 無意識に起き上がって触れていた腰のナイフを離し、また横へ倒れてクッションに顔を埋めた。自分の命を脅かす程の害はない人間とすぐに判断し、眠るのには最適な場所を探すべくもぞもぞと動いてようやく一息ついた。

「久しぶりに会ったのにまた寝るなんてことしねーよな?」
「大我はさっきまで眠っていたようだが、僕はまだなんだ。帰る数分前に起きるから話はその時にしてくれ」
「数分じゃ足りねぇな」

 短い赤い髪をさらさらと鋤いてから、ちゅ、と額に軽くキスを落とす。それに征が照れたように顔を逸らすと、火神のなかの愛しさが溢れてしかたがない。なにせ、三ヶ月ぶりの想い人なのだ。舞い上がっても誰も文句は言わないだろう。

「ここに住んでるのか?」
「ああ。つい最近まででかい仕事をしてたから休暇だ。またちょっとしたら出稼ぎに行くけどな」
「ほう?」

 聞けば、ここではなく他国に運び屋としての仕事を頼まれたついでに銀行強盗をしてきたそうだ。本業は盗みの方だから、仲間を募ってなかなか良い仕事が出来たようだ。今回は参加人数が多かったのもあり、分け前は少なかったが危険も少なかったという火神の話ににやりと征は笑う。

「まー当分は遊んで暮らすけど」
「分け前が少ないのは悲しいけれど、いくらくらいだったんだい?」

 ソファの下のラグに座っていた火神の耳にちゅ、とキスを落とす。猫のようにしなやかに寄ってきた征はにぃと笑って目を細めた。それが親愛からなるものではないと分かっている火神は苦い顔をして征から離れる。

「教えねー! この金の亡者め」
「亡者で結構。金は使い方を間違わない限り裏切らないよ。可愛い女でも紹介してやろうか、安くしてや…………っ」

 安くしてやるから買えばいい、という言葉は途中で遮られた。詳しく言えば、腕を持たれ、思いきり回転させられてマウントポジションを奪われた。ラグに座っていた男はソファ……否、征の上に乗り上げている。その顔は最高潮に機嫌が悪いときの顔であり、征ですらしまったなと思うほど。持たれた腕の痛みだけでなく別の意味も込めて顔を歪めた。

「俺、そういうの、すっっっげー嫌いなんだけど」

 そういうの、とは、征に女性を勧められることだ。二人は付き合っている。火神は征に愛をたっぷり囁くし、からだを繋げることもする。仕事上、なかなか会ったり連絡をとることはできないが、それでも征の代わりを宛がうなんてことはしたことがないし今後もする予定すらない。
 なのに征は、いつも飄々としていて僕以外とも遊んではどうだい? なんて言ってくる。本当に遊んだら傷付くのに、自分の知らないところで遊ばれるのは我慢がならないから、近くの、目の届く範囲の女を勧めるのだ。本人の前では決して本音は言わないけれど、別れを切り出すこともない。それほどには征も火神を愛している。

「知らないな」
「征」
「知らない」
「征」
「……べつに、悪いことは言ってない」

 真剣な顔で見られて居心地が悪くなる。もぞりと火神の下で動いてみるが、乗っかっている当の本人がぴくりとも動かないためそこから脱出出来ない。

「まだ、俺が信じられねぇか」
「そうは言っていない」
「女に移り気するほど暇じゃねーよ」

 わしわしと頭を撫でられて止めろと手を払う。髪の毛を整えるようにしているが、それが照れ隠しだということは双方がわかってしまっている。

「早くあそこ出ろよ、俺と泥棒やろうぜ」

 ちゅ、ちゅ、とその照れた顔に軽く啄むようにキスをしていく。やめろ、というように顔を背けたりするが、結局どこにでもキスをしたい火神にとっては抵抗ですらない。

「……僕には、ここらの空気は綺麗すぎるよ」

 あの閉鎖されてどろどろに腐ったような空気がちょうど良いんだ、と平然と言ってのける。帝光城のような掃き溜めの集まりがちょうどいいだなんて。
火神は征にいろいろな事を教えたかった。飛行機の上からしか見たことのないという海や、山の中にある別荘で温泉というのも体験させてやりたい。美味しいバーガーのある店、征の好きそうなあっさり系の料理屋は征と一緒なら行っても良いかと思う。しかし、この男は帝光城以外はこの街と本家くらいしか行こうとしない。

「いつか絶対引きずり出してやる」
「はは、怖い怖い」

 最後に唇にキスして、見つめ合う。
 もう一度、もう一度唇に。
 啄むキスから深く口付け、慣れたようにスリットから手を入れて着ているものを脱がしにかかる。征もそれを受け入れてするりと火神の肩に手をかけた。征の鼻から抜けたような声が色っぽく、興奮を煽っていく。お互いに体温が上がる。その時だ。

ちりりりりん、ちりりりりん、ちりりりりん…………。

 猫の鈴のような電子音と、おまけにバイブレータの音が脱がしにかかろうとしているズボンのポケットから聞こえてきた。征の携帯の番号を知っているものはごく少数で、その少数からの電話は出来る限り出るようにしている。今回もその例外ではない。

「もしもし」
『征?』
「征十郎か、どうしたんだ?」
『いや、上にあがったら誰もいないからどうしたのかと思って』

 目で退いてくれと訴えられて火神は渋々征の上から退いて唸るが、征十郎からの電話の方が優先順位が上なのだからと座り直して話を進める。

「敦以外は全員集金に行って貰っているよ。さつきは寝ているようだから何も言っていないが、今日はもういいかな」
『ああ、さつきにはまた俺から伝えておくよ。紫原は?』
「敦は僕と街に来て貰っている。少し急ぎの用があってね。ついでに本家への入金も済ませておいた」
『ありがとう。氷室さんのところかい?』
「うん」
『いつくらいに帰ってくる? 今日は……、』

 征十郎の続きの言葉が征に聞こえることはなかった。手に持っていた携帯電話は拗ねた顔の火神によって奪い取られたのだ。

「征は今日ここに泊まって、明日帰る。そんときは俺もついてくからな。少しだけ厄介になるぜ」
『……お前か。胸くそ悪い声を聞きたくもなかったな。征を出せ』
「今の言葉を征に聞かせてやりてぇぜ」
「火神、征十郎となにを話しているんだ」

 聞きたい、貸せ、と手を伸ばして携帯電話をとろうとする姿は更に征を幼く見せて可愛らしいが、今はそれどころではない。同じ容姿をした猫かぶりの鬼の相手をしなければならない。
 征十郎は、火神を猛烈に嫌っている。とりあえずどこかの仕事でしくじれば良いと思っているし、可愛い可愛い大切な弟をたぶらかした悪い男は帝光城や街に近づくなとも接触するなとも思っている。帝光城の外で誰かを雇って殺し、二度とここに来させない案を何度も考えたが、プライドの高い征が誰にも言わずにこっそりと悲しむのは分かっている。火神のことは征十郎にも言うことは少ない。きっと誰もいなくなった部屋でぽつんと涙を流すのだ。そんなことさせてはならない。火神のために流す涙なんて不必要。しかしいなくなったら悲しむ……つまりは生かしておかなければいけない。なんとも似たようなことを兄弟共々考えている。

『征と俺は今日一緒に眠るんだ。お前はどこだか知らないし興味もないがその辺で一人で眠ればいい』
「悪いけど、俺の今日の抱き枕は征だって決まってんだよ。じゃーな」

 そう言ってすぐに電源ボタン連打、からの長押しで電源オフ! うんともすんとも言わなくなった機械に勝利のガッツポーズを心のなかで決めてポイと放る。

「なに勝手に切っているんだ!」
「別に良いじゃねーか。どうせ明日会えんだから」
「僕は今日帰る気だった」
「気だったってだけで確定じゃねーだろ? なら泊まれよ」

 慣れたように脱がしていき、頼むよ、と耳元で囁く。囁き方は甘くゆっくり、その時に鼻の頭を耳にちょんと当てると良い。征は頼られると弱い、ということは分かっている。誰にでもというわけではなく、自分の気に入っている相手ならということだが、火神は自分がその中に入っていると自覚しているのだ。せっかく会えたし、お前ともっと一緒にいたいと哀しく言えば征は無下に出来ない。

「……はぁ、明日は帰るからな」
「俺も一緒にな」

 ちう、とキスをするその顔は悪戯が成功した子供のような顔であったが、征は仕方なさそうにもう一度キスをした。この顔は、嫌いではないのだ。


* * * 


「あーあ、携帯切られちゃったね」
「…………」
「そんな顔で見られても、携帯の電源切れたら盗聴出来ないようになってるからね?」

 煌々と光る画面を幾つも前に、困ったように笑う。そんな彼女の言葉にはぁとため息をつきながら携帯をポケットにしまいこんだ。
 電波はこの機械がひしめき合っているここがなぜか一番良い。彼女に話を聞かれてしまうが、それくらいどうということはない。征との電話中に通話が途切れるのだけは避けたいのだ。

「あの男が邪魔すぎて胃がキリキリする」
「前に同じようなことを征くんも言ってたよ」
「征はなぜ虹村さんと犬猿の仲なのか」

 その疑問には、赤司くんが火神んを嫌ってる理由と同じだよ、と言いたいが、言えば違いを何時間も説明されてしまうかも知れないため押しとどまる。帝光の姫君こと桃井さつきは頭が良いし、賢いのである。
 かちゃかちゃとキーボードのキーを打つ度に目の前の一番大きな画面が四分割から十六分割へ変わり、防犯カメラからの映像のようなものが映し出される。見知った人間がいるところで手を止めてそこをアップで映し出した。
 青峰が男を壁に追いつめてしめあげている姿と、緑間と黄瀬が部屋に侵入していく姿だ。

「火神んのこと、許してあげれば良いのに。大ちゃんだってテツくんだって仲良くしてるじゃない?」
「ふん、そんなことは知らない」

 ぷいと首を振る彼は随分と子供っぽいが、していることはそんな可愛らしいものじゃない。弟の携帯電話に盗聴機をとりつけ火神と良い空気になればすぐに邪魔するし、カード明細やネット履歴も見て弟がどんなことに興味を持っているのかどうしたいのかを逐一確認している。ストーカーだと言われても否定できないことをいろいろとしているのだ。まぁ、そこは兄弟似ているなと第三者から見れば思ってしまうのだが……。知らぬは本人のみだ。

「ちゃんと黒字になったら皆呼んでお祝いで食事会しようよ。火神んも氷室さんもリコちゃんも」
「征と俺が考えるんだから、再来月には黒字だよ」
「じゃあ再来月で予定立てるね。わたし、頑張って料理しようかな!」
「……あ、そういえば虹村さんが俺の料理を食したいと言っていたんだった。だから桃井の好意は嬉しいが今回は俺に任せて貰えると嬉しい」
「そう? いつでも言ってくれれば作るからね」
「ありがとう。けれど、徹夜をしている女性に包丁は危なっかしくて持たせられないな」

 笑いながらまた携帯電話を出して電話をする。

『もしもし』
「黒子、そろそろ青峰を止めろ。殺してはいけないよ」
『ああ、赤司くん。もう虹村さんは良いんですか?』
「……問題ない」

 遠まわしに、もういちゃつかなくていいんですか? と言われてしまったような気がして居心地が悪い。画面では青峰が男を素手で殴ったり壁に打ち付けたりしている姿が映っている。その脇には怯えている女性と子供のだが、そんなもの関係ない。

『適当に青峰くんの勘頼りに探していたんですが、やっぱり桃井さんの指示がある方が効率良いです』
「それでも二組見つけ出したんだって? 青峰の勘は野生の動物以上だな」
『ですね。沈めたりお金の回収出来たりと良い感じです。死亡者もゼロです』
「今まさにそのゼロが一に変わろうとしているのが俺は心配だよ。青峰に伝えておいてくれ、俺と征の言うことはなんだったかと。あと二時間したら戻っておいで」
『了解です』

 通話口から遠いところで、黒子が「赤司くんが、俺の言うことは? って聞いてましたよ」とでも青峰に言ったのだろう、「ぜったーい」という気の抜けた声が聞こえてきた。映像の青峰もそこから暴力をやめて話し合いに切り替えたようだ。これなら安心だろうと次のペアを見る。

「きーちゃんたちのとこ、カメラがないところだから見れないよ」
「ふむ、とりあえず連絡をとってみるか」

 カメラはそこかしこに取り付けているが、このごちゃごちゃときた魔の巣窟の全てに取り付けることは不可能だ。桃井やキセキたちが気になるところに置いているだけで、万能ではない。

『赤司か、どうした』
「どんな感じか聞こうと思ってね」
『虹村さんはもういいのか』
「…………ああ」

 この会話、数分前のデジャブか。
 虹村さんは俺にくっつきすぎだと思っていたが、正解のようだ。少しきつく言わないと。

「ちゃんと徴収できているかい?」
「ああ、なんとかな。桃井からの指示があって助かったのだよ」

 桃井は監視カメラの映像から徴収対象を見つけ出したり、目撃情報を照らし合わせて位置を予測しているのだ。なかなかその情報網やサーチ力の右に出るものはいない。

「黒子たちにも言ったが、あと二時間したら帰っておいで。一緒にご飯にしよう」
「分かっ……おい、その辺にしろ! 口が利けなくなるのは困るのだよ」

 これもデジャブか。
 征がこのペアにしたのは正解だ。否、赤司が決めてもこうなるだろう。青峰と黄瀬を一緒にしてしまえば死亡者が出るのは確定要素になってしまう。後ろでぎゃーぎゃーと文句を言う声が聞こえるため、また同じようなことを言ってやる。

「黄瀬にも伝えておいてくれ。あと言うことを聞かないようだったら、俺と征の言うことはなんだったか思い出させろ」
『了解なのだよ』

 そういって通話を終える。
 桃井は変わらずに先程から集めた情報をまとめて信憑性のあるものを頼りに未納者を炙り出していく。そして近いチームに次々と情報を送っていくのだ。キセキの男どもはその手となり足となって未納者から金を集める。良いチームワークだ。

「さて、俺も時間まで仕事をするかな」
「大変だね」
「キセキのみんなといるためなら苦にならないよ。桃井もちゃんと二時間後集合だぞ」
「はーい」

 彼女のパソコンルームを出て先ほどいた部屋に戻る。消臭剤を振り撒いたが、まだ青臭い気がするのが恥ずかしくてまた消臭剤を撒いた。この部屋には窓がないため、換気扇か消臭剤で臭いを消すしかないのだ。

「明日は、征と一緒に眠れるかな」

 机の上に置かれた一つの写真たて。そこにはこの帝光城で比較的交流を持っているグループが全員写っている写真が入っている。虹村も、火神も、氷室も日向も。大人数だから小さくなってしまっているが、それでもちゃんと自分の片割れを探し出して指でなぞる。どんなものにも代えがたい弟が愛しい。

 明日も、明後日も、明々後日も、ずっとずっとこの城の中で過ごしていこう。
 あわよくば死ぬまで。
 きっと本家に戻るよりも楽しく過ごせる。
 無理なことは分かっているけれど、少しでも長くこの生活が続きますように。



<了>

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